10年後
昨日は節分、今日は立春。
暦の上では春になった。
今日は久しぶりに良く晴れている。
柔らかい陽射しがありがたい。
有難い。
こんなことはそうそうあることではない。
だから有難い。
それが言葉として成り立っている。
おもしろいです、日本語。
さて、さてさてさて。
私は決断力に欠けているなと昔から思っていて、実際そうなんだけれど、それはつまり、失敗をしたくないから、なんだと思う。
決めてしまったら、他の選択肢を捨ててしまうことの恐怖。それは欲張りだからでもあるし、未練がましいからでもあるかとふと考える。
自分の中に答えはあるとしても、それが正しいかどうかは誰にもわからないのだが、だからかそれを決定することができない。
決められない。のだ。
が、必ず決めなくてはならないこともある、リミットがあるので、そこまで七転八倒してどちらかを選択するしかない。
しかし、その選択で失敗で死にかけたことはない。ないな。ないない。
じゃあなんで選択することにここまで時間を割かなければならないのか、苦痛なのか、ということを考える。
後悔したくないからかなぁ。
どうして後悔したくないのか。
そこで立ち止まってしまう。
変わりたくない、というのもあるかもしれない。変化することの恐怖。
それは現状維持バイアスがかかるから、というのはどなたか専門家の方がおっしゃっていたので、知ってはいるのだけれど、それでも現状から抜け出すことは怖い。
とはいえ、自分の心の中に浮かぶ、
このままではダメなのでは?
という声はしっかりと聞こえている。
二人の何かが私の中にいて、
え、このままでいいんじゃない?変化すると面倒だよ、特別今は問題も無いんだし、このままでいた方が楽だし、変化するなんて大変なことをわざわざやらなくてもいいよ~
というAさん(仮)と、
今のままだと楽だけど、そのままで本当にいいの?ずっとこれが永遠に続く訳じゃないし、何か次の手段を考えておかないとすごい大変だし、そのときに焦って突然動き出すよりは、準備した方がいいんじゃない?その方がもっと安全だよ。
というBさん(仮)の声。
というこの文書を書き出しながら、今、Bさんの意見に耳を傾けてみようと思っている。
10年後の私を今から考える。
相反する自分の中のバラバラな意見を
統合してとりあえずは一歩足を進めようと思う。