No.206/これ!という答えがないから模索する
2024.07.24
こんにちは、くのてつです。
突然のゲリラ豪雨。
本当にすごい雨で、屋根に穴が空くのかと思いました。
今日の正午頃の話です。
ちょうどZoomで会議中だったのですが、相手の声が雨音にかき消されるくらいですから相当です。
と思ったら、Zoomが終わる頃には止んでいて、わずか40分程度の出来事でした。
自分が子どもの頃も夕立はありましたが、これほど多かったのかな・・・と思いますよね。
まさに自然の脅威。
突然変わる天候は人の心に置き換えられますが、そんな天気のように晴れることもあれば曇ったり、雨が降ることもあるのが人らしくもありますね。
今日、こんな相談(というか質問)を受けました。
「不登校気味の高1の息子がゲームばっかりやってどうしたらいいのか分からない・・・」
あるあるですね。
正直、放っておけばいいのでは?と言いたくなくなるところですが、さすがにそれは無責任ですね。
自分が提案したのは、双方のどちらかが妥協しなくてはならない話し合いはしないこと。
つまり、お互いが納得できる、許容できる「共通了解」を探ることですね。
その「共通了解」を見出すために対話をするしかありません。
必然的に「ゲームばかりやる状態」に関する双方の意見を交わし合うことになります。
さあ、ここでどうすれば「共通了解」に辿り着くのでしょうか。
大人がやりがちなのは、「ゲームばかりやるのは良くないからやめなさい」という根拠のない命令です。
命令しているつもりがないのは分かりますが、俯瞰して見るなら大抵は命令と捉えて間違いないと思います。
これは感覚論ですので数的な根拠はありませんが、命令している大人は見ていればはっきり分かります。
本当に優秀な指導者、教育者であれば怒ったり、叱ったりする判断にはならない場面ですからね。
まずはゲームをやめない子どもたちの理由を聴くことからです。
何でやめられないのか、掘り下げていけばきっと本人も正直な回答が出てきます。
一方で、それを飲むことが必要なのではなく、自分はこうだという考えを正しく伝えることがポイントです。
双方が「そういう見え方もあるんだな」と体感することに意味があります。
これを積み重ねていくことが対話から得られるものこそ、対話の本質なのだと思います。
意見が並行線を辿ることもまた一興ですね。
その繰り返し、積み重ねではじめてお互いが納得できる訳です。
対等に大人と子どもの意見を出し合う、という大人がどこか認め難いことであっても許容することこそ、可能性を見出せるように感じます。
答えはないからこそ、納得できるラインを模索するのです。