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No.383/阪神淡路大震災を想う

2025.01.17

こんにちは、くのてつです。

1995年1月17日。

遠く離れた九州にいた自分も、あの日のことはよく覚えています。

いとこが神戸で被災して、幸いにも無事だったものの、しばらくの間我が家に避難していました。

当時はいとこに会える喜びを、不謹慎にも感じていた自分がいたことを思い出します。

当時は単純に「街がこんなにも壊れるのか」と、テレビに映る街の様子をどこか遠い街のように感じていました。

そんな自分も年を重ねるにつれ、この震災がどのようなものであったのかを正しく理解し、考えるようになりました。

もし、自分が被災したらどうなるのだろう・・・。

どこか現実的なものとは捉えられないながらも、「いつ何が起こるか分からない」ということが現実であることは理解できるようになっていきました。

社会人となったばかりの頃、東日本大震災を経験しても尚、まだぼんやりとこの「自分が被災したら・・・」を考えていたように思います。

今、自分はようやく自身の「死生観」を考える機会の1つとして、「1.17」と向き合えるようになりました。

さらに「1.17」は新たな家族が誕生した日であり、まさに「生と死を考える」大切な日になりました。

今日は新聞やメディアを通じて、当時の記事や情報を目にします。

そこには家族や大切な仲間を亡くした、残された方々の手記なるものもあります。

「もし今、自分の大切な人が突然いなくなったら・・・」

正直そんなことを考えたくもありませんし、自分はどうなってしまうのだろうと想像を絶する想いがします。

果たして自分が一人残された時、それに耐え乗り越えらるのだろうか。

そんなことを思い巡らせます。

これは決して悲観している訳でもなく、ネガティブに捉えてい訳でもありません。

この「生かされている」ことを当たり前のように、軽く考えることがないように真剣に向き合いたいと考えての、積極的な思考なのです。

自分の中ではこうして考えてきたことが、より善い形で自分の人生に影響を与えていると感じています。

自分が今生きていることは「当たり前」ではありません。

明日、自分の人生が終わる可能性だってあります。

明日、大切な人との別れがくる可能性だってあります。

そういう意味では、病気になり余命宣告をしてもらえた方がいいのではないかと思います。

予期せぬ形で失うよりも、失うとしても「残された時間」をどう過ごすか選択できることは幸せなのかも知れません。

このように考えてたどり着くのは、人並みかも知れませんが「今を懸命に生きること」こそ全てだということです。

自分が今日、自分の人生を生きていられること。

大切な人と一緒に過ごす時間があること。

仲間と思いっきり仕事できること。

これがどれだけありがたい(=有難き)ことであるのか。

だからこそ、今に感謝をすると共に、そこに命を燃やさなければいけない。

大好きなかりゆし58の歌詞にもありますが、「自分が生きる今日はもっと生きた方誰かの明日かも知れない」のですから。

「今を生きる」

残りの人生の時間が分からないからこそ、命の時間を燃やして自分の人生を生きる。

そんな大人で在るべくこれからも精進します。

当時被災された全ての方に、改めて哀悼の意を表します。

今回はここまで。

お付き合いいただき、ありがとうございました!



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