
No.223/自分探しは頓挫する
2024.08.10
こんにちは、くのてつです。
ちょうど学生の時、部活の大会が終わり2週間のオフがありました。
その時やろうとしたのが、原チャリで九州一周。
自分探しの旅をしようとスタートして20キロほど進んだところで、「腰が無理だ」と感じてリタイア。
そもそもやり遂げる覚悟もなかったんですよね…。
と、これはネタですが実際によく耳にする「自分探しの旅」では旅を終えてもおそらく自分は見つかりません。
この表現は若い世代の人たちがよく使うように感じますが、きっとちょうど何かの壁にぶつかり、自分と戦ったり、社会に抗ったり、成長しようとしている証拠なのだろうと思います。
ですから、見つからないと思っていても、相談されれば「行って探してこい!」と送り出します。
自分で体感しなければ「見つからない」ということに気づいたというプラスさえ訪れないですからね。
それでなぜ「自分探しの旅で自分は見つからない」のか?を考えてみます。
そもそも「自分探し」って何?ってことです。
自分は今ここにいるんだから探す必要ないよね?
と言うと元も子もない訳で。
要は「自分がやりたいこと」や「夢中になれる何か」を考える、ということをそう表現するんだろうなと思います。
自分もそうでしたからね。
で、これを置き換えると「自分探しの旅で自分は見つからない」=「やりたいこと、夢中になれることは旅では見つからない」ということになります。
結局、ただ旅をしても見つかることはありません。
世界一周、バックパッカーとして1年かけめ泥臭く旅した…となれば全く話は別です。
自分が見つかる可能性は十分にあると思います。
つまり、「自分の価値観をひっくり返すほど心を揺さぶられる体験」がなければ、やりたいも夢中もないんです。
一種のバカンス、レジャーのように捉えて、心をリフレッシュさせよう…みたいな感覚では無理がありますね。
何も行動せずにやりたいことって見つかるでしょうか。
いいなと思ったとしても、やるという行動には繋がることはないでしょう。
一方、いろんなことにチャレンジして行動を繰り返す人は、やりたいことが見つかる可能性は高くなります。
それだけ体験したことが、自分の引き出しや判断基準になっていくからです。
それでもまだまだ及第点にはいきません。
実際に自分の行動、活動が世のため人のためになっている実感、そこまで行動できて始めて納得できるもの、納得できることに出逢えるように感じます。
「自分探しの旅」に出る前に、まずは「大量行動」の徹底から始めてみてはどうでしょうか。