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No.372/情弱脱却のキーは家族団欒にあった?

2025.01.06

こんにちは、くのてつです。

前々回のnoteにて「昭和団欒スタイル」の脱却が必要なのではないかと書きました。

今回はその続きです。

昭和団欒スタイルを象徴するイメージはサザエさんとちびまる子ちゃんだと思います。

いわゆる、夕食には家族が集って食卓を囲む姿です。

これは自分も幼少期に経験しましたが、どこか懐かしく温かいイメージがあります。

しかし、ここには思い出を美化しているのではないか?という疑いの目を向ける必要があります。

例えば、こういう家族の集う団欒の場で主導権を握っているのは誰だったかを考えてみましょう。

大抵、父親か祖父になると思います。

亭主関白という言葉が象徴するように、男性優位な構造がこの時代にはあり、それが今なお根深く残っているのが日本社会ではないでしょうか。

それが当たり前だと育つとどうなるか?

同じサイクルを子、孫と辿っていくことになり、余程大きなパラダイムシフトが世の中で起こらない限り、変わることは難しくなると思います。

そもそも男性優位な社会とは昨今当たり前に使われるようになった「ダイバーシティ」の対局にあるものではないでしょうか。

話を戻しますが、この多様性なき一家団欒の環境が生み出すものは「偏り」です。

ここは男女問わずですが、特定の人が主導権を握っている場合、その人の思考に偏ってしまうのは自然なことではあります。

ただ、この思考が誤った方向に向いている場合、その偏りが閉鎖性を深め、よりカルト的になっていく可能性があります。

つまり、昭和団欒スタイルは「閉鎖的で偏った思考」を形成させている可能性が高いということです。

これが何を意味するか。

一番は「選択肢のなさ」だと思います。

父親の言うことが絶対となると、それ以外の情報は強制的に遮断され、是非を問うこともなくなります。

それが当たり前になるので、当然思考の拡がりは生まれません。

この環境こそが「情弱」と呼ばれる人々を生む要因となっているのではないでしょうか。

最悪なのは、力を持たない子どもたちがこの環境に置かれることです。

一種の洗脳にもなり得る訳ですが、選べない親のために自分のキャラクターを決められるリスクを背負うことなるのです。

本当にこれでいいのか?って話です。

現代社会においては核家族化も進み、昭和のように集うシーンは減っていることでしょう。

ただこのマインドセットは世の中の至るところに残っています。

「そのスタイルは違うのでは?」と一度自身を疑ってみることが、情弱から脱却し、自身の人生をシフトさせていくために必要なのだと思います。

今回はここまで。

お付き合いいただいき、ありがとうございました!

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