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No.341/覚悟の決め方
2024.12.06
こんにちは、くのてつです。
今年の1月1日にこんな記事を書きました。
この3年ほどは個人での活動を続けながら、会社員としての顔を持って働いてきました。
昨今のトレンドもある本業+副業で収入を得る、というものではなく本業+修行機会(副業)が自分のスタイルです。
何をカッコつけているのかって話ですが、今は幅を拡げたいとの狙いが強く、土を耕し、種を蒔いている時期だと思っています。
会社に属することをどうするか。
これはこの数年に渡る自分のテーマで、その時に大事にした考えは吉田松蔭が高杉晋作に宛てた手紙にある以下の言葉に似ています。
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
これまたカッコつける訳ではありませんが、今の会社にいることで大業の見込みがあった、つまり可能性を感じていたので属する決断をしていました。
しかし、今はの会社を卒業する決断をしました。
今動いているプロジェクトが完結したタイミングで離れることは既に意志表示済み。
この決断には「生きて大業の見込みなし=この会社にいて事業が拡大(ここでは社会貢献する)する見込みがない」と確信が持てたことが大きいと思います。
なぜ拡大の見込みがないと確信したのか。
それは「権限を持った人間」に「覚悟」がないと分かったからです。
大抵、どんな経営陣でも「今後は事業を拡大していこう」的な話をします。
要は「より良い」状態を目指して仕事しようぜって話です。
確かにその言葉や話は社員たちの胸を打つこともあれば、今後の未来が明るく見える、期待に溢れることもあるでしょう。
ただ、これは表面的な見え方に過ぎません。
この言葉に魂がこもっているかどうかは行動を見ていれば分かります。
本気で想いを実現しようとする人間は、必ずその想いや意志が行動に現れます。
当事者意識があり、主体性を持った言動が見て取れる訳です・
これがないというのは、結局「口だけ」ということであり、上に立つ人間として一番ダサい在り方だと自分は感じます。
自分は一番信頼できる存在の上長にもその「口だけ」つまり、自分ごと化する覚悟のなさを感じたことで、逆に自分の覚悟が決まったなと思っています。
まあそんな覚悟を持って臨んだ一年だったからか、そんな「覚悟のなさ」をかなり多くの場面で見ることになりました。
今の会社の人たちで嫌いな人はいません。
クソ野郎だと感じる方もいません。
ただ、自社の事業を為す上で魂が入った人はゼロに近い。
これが残念であり、虚しさを覚えるところでもあります。
いずれにしても「大業の見込み」がない今、「不朽の見込み」を持って「いつでも死すべし(=辞める)」といことですね。
これだけの覚悟を持って、自分の進む道を選択できるかどうか。
この覚悟がその先に人生を良くも悪くもするのだろうと感じる今日この頃です。