No.198/おごる美学、おごられる美学
2024.07.16
こんにちは、くのてつです。
今日は久々にバッタリ先輩とお会いして、昼ごはんをご馳走していただきました。
昼は少し遅めに…と予定していたので本心では行きたくありませんでしたが、ありがたくご馳走していただきました。
この気持ちよく奢ってもらうって大切な後輩のスタンスだと思います。
一方で、中には先輩にも関わらず一切奢ることなく割り勘に徹する方もいました。
おかげで外食、かつ美味しいものばかり連れて行かれて破産しかけたこともあります。
結局、バランスが大事な訳です、この在り方には面白いくらい人間性が出るように感じます。
自分は大学時代、 体育会系の部活動にいたので、後輩だった時は先輩から散々ご馳走していただきました。
自分でお金を払うことはほぼほぼなかったです。
一方で、自分が一学年でも先輩になると、後輩には必ずご馳走していました。
例えばランチの時に学食で後輩と出会ったりすると、全員に1人1000円ずつ渡すルールがありました。
これは戦々恐々、貧乏学生だった自分は心のどこかで会いたくないな…なんて思ってました。
1人で後輩5〜6人に出会った時には1回で飛んでしまう額が半端ない訳です。
もちろん見栄を張って後輩にご飯を奢るのですが、結果1週間ご飯は1食、しかもインスタントラーメンと白飯なんてことはよくありました…。
昭和の話ではありませんからね、平成ですよ(笑)
でもこれって自分の中では人としての「粋」という領域の話であり、大事なスタンスだと理解しています。
そもそも、「粋」の対局にあるのが、ケチとかせこいという領域だと思います。
自分が1番気に言われたくないのはダサいという言葉ですが、ケチ、せこいと同義だと見ています。
これは正直キモいよりショックですね。
後輩を前にして気持ちよく奢ってあげられない。
これはちょっとダサいなって思うんです。
もちろん奢ることが正解ではないと思うけれども、 それは単純に先輩の権威を見せつけるとか威厳を示すものでさありません。
後輩においしいものを食べさせてあげたい、満足して嬉しい時間を過ごしてほしい、といった愛情や想いの現れだと思っています。
それが「粋」というものではないかと。
お金が全てではないけれども、後輩や仲間のために気持ちよく奢ってあげる。
この行為には、人として大切な在り方が示されている、そんな気がしてなりません。
気前よくみんなにご馳走してあげられる、そんな歳の取り方をしたいですね。