キラキラ女性起業家と言われた私の、調子に乗っていた3年間と、もがき苦しんだ3年
28歳で経営をはじめてちょうど丸6年になる。起業してすぐからメディアに取り上げていただき「キラキラ女性起業家」と言われ調子に乗っていた3年間と、そんな奢りからコロナショックで足元を救われもがき苦しんだ 3年間。
自分がうまくいかなかった原因、そして状況を変える糸口になった事やいただいたアドバイスについて書きました。同じように人に頼ることができずに苦しんでる方の参考になれば嬉しいです。
1.強く、完璧でありたい
28歳で起業した時、私は今よりずっと弱くて、心ない人たちの攻撃の格好の餌食だった。
自分の倍以上の年齢の男性しかいないような場に、1人で切り込んで行ってビジネスを展開する。当然、人の興味を引く。プレッシャーもある。
「パトロンは誰?」「おじさんと食事行くだけで仕事取れるし楽でいいね。」「そんなにバリバリ仕事してたら、同年代の男は引いちゃうよ」
面と向かって、こういった言葉を悪気すらなく投げかけられる事が日常茶飯事だった。容姿や振る舞いや喋り方に至るまで、好き勝手にジャッジされる。悪い人に目をつけられて、身の危険を感じるような怖い思いをしたこともあった。
悔しくて負けたくなくて、そんな事を言う奴らは全員残らず、結果でぶちのめして黙らせると決めた。圧倒的なアウェーで戦うために、強く完璧になろうと思った。
2.ドンキに行って欲しくない
結果を出す事にこだわって、とにかくすごく努力をした。売上が増え、キラキラした経歴が増えていくたび、周囲の扱いが変わっていった。結果が自分を守ってくれる鎧のように感じて、結果を出す事にどんどん陶酔していった。
けれども時間が経つにつれ、その強い鎧は逆に自分を苦しめることになっていった。
結果を出すために完璧にデザインされたキラキラ女性起業家としての自分。住むところや持ち物、交友関係、振る舞いなど、周囲から勝手に理想を押し付けられるようになり、想像と異なると失望されたり馬鹿にされた。
徐々に自分自身の気持ちよりも、自分に求められるものを探し、正しいアウトプットをすることを優先するようになった。
昔、付き合ってた人と街を歩いてる時にドンキホーテを見かけて何気なく「あ、ドンキだ!」といったら、彼がびっくりして言った。「ドンキとかいくの?俺は行ってほしくないな。いつもの完璧な華ちゃんでいて」
友達や恋人など身近な人にすら、弱みを見せれなくなっていた。
期待に応えようと精一杯頑張ってるのに、「華ちゃんはいつも正しいけど、一緒にいてしんどい」とか「本当の気持ちが見えない」と言われ、たくさんの人が離れていった。
間違えてないのに責められると、余計にどうすればいいかわからなくて困り果てた。
3.どうしてみんな、売れるものを作らないの?
精神的な息苦しさとは裏腹に、起業して最初の3年間事業は順調に推移した。オリンピックを控えて、売上も大台に乗る王手というところまで来ていた。勝ち抜けるイメージしかしていなかった。
結果を出せてたから正直、調子に乗ってたのだと思う。起業して上手く行ってない人を見ると、会社を作る前になんでちゃんと考えなかったのかな?顧客や働き手のニーズを組み合わせて自走するように設計したら自然と売れるのに。と不思議に思っていた。
私が完璧な設計図を作るから、みんなは指示通りに手を動かしてそれを作ってくれればいいというスタンスでスタッフにも接していた。
今ならこの考えは間違いだとわかるのだけど、私は驕りからパワーゲームで全てを押し切った。
4.全部コロナのせい?
井の中の蛙だった私に起業4年目にして初めての試練が訪れた。イベントが軒並み中止になり、外国人の来訪も途絶えた。売上は激減。誰もが予想出来なかったことだし、多くの企業がダメージをうけた。
コロナをきっかけに大躍進したビジネスを見るたびに、コロナさえなければ、オリンピックがちゃんと行われてたら。そのポジションは私のものだったのに。と思って悔しかった。
ところが、コロナが長引くにつれ真実が見えてきた。同じようにコロナで打撃を受けた企業の中で、うまく方向転換してコロナ前よりずっといい成績をあげてる企業がでてきた。そういう企業は決まって、みんなで知恵を出し合って、力を合わせて乗り切ったと言ってて、羨ましくて仕方なかった。
私はというと、孤軍奮闘という言葉がピッタリだった。オンラインへの転換や新しい受注を生み出す方法を次々考え実施していくことで一定の効果は上がったけれど、1人で考え実行しているから展開のスピードが遅く毎回波に乗り遅れる。やるべき事は明確に見えてるのに、手足が縛られてて動けないみたいだった。コロナ対応に追われて、ろくろく説明もしないままスタッフに業務を投げ、耐えきれずに辞めてしまった人もいた。
3年間もあって、挽回できなかった本質的な原因はコロナではない。そもそもコロナがなくてオリンピック特需の恩恵を受けたとして、ちゃんと拡大する売上に耐えられる組織作りができていたのだろうか?多分答えはノーだ。そしてその原因は自分自身にある。気づくまでに2年以上かかった。
5.仲間...?
結果に誰よりもこだわっていたのに、結果すら出せない。そんな自分にリーダーの資格があるのか段々とわからなくなってきて、本当に辛かった。だから色んな事に挑戦して事業以外のところで結果を出す事でなんとか存在価値を感じようとしていた。
器用貧乏な私は事業以外でもそれなりに結果を残すことができて、有名なイベントに登壇したり、メディアに出演したり、インフルエンサーみたいな言われ方をするようになった。
余計に鎧は強靭になっていって、より一層息苦しさが増した。何かがおかしくて変えなくてはと思うのに自分の力ではもうどうにもできない所まで来ていた。
そんな時に、アクセラ(起業家向けの育成プログラム)に参加した事が自分を変えるきっかけになった。メンター達から繰り返し言われたのが「仲間を作りなさい」ということ。でも、仲間と言われても最初は正直全然響かなかった。
小さい頃から、人に頼るのは苦手。ひとりで世界中どこにでも行って、起業してからも3年間、自分の判断で切り抜けてきた自負もあった。だから突然人に頼れと言われても、誰にどう頼っていいかもわからなかった。
5.二日酔いで出社するくらいでちょうどいい
精一杯背伸びして強がっていたけど、1人で出来ることには限界がある。結局は私は抱え込みすぎて、完璧とは程遠いくらいたくさんの失敗をした。情けない姿も見せた。
「久野さんは、普段しっかりしすぎてるから、二日酔いで出社するくらいでちょうどいいよ」これもメンターに言われた言葉だ。色んな人の助けで、間違えても、失敗しても生きてていいんだと思えた。
というより大変な状況でも側にいてくれるような、本当に私を大事に思ってくれる人たちは、正しさや完璧さなんて最初から求めてなかったのだ。雑音に惑わされて、自分が作り出した虚像が急に馬鹿らしくなってきて、やっと今まで作ってきた強靭な鎧を脱いでもいいという気になれた。
リーダーとして前に立つ以上、きっとこれからもとやかく言う人は現れるだろう。でも、そんな奴をいちいち倒してるほど、私は暇じゃない。
6.周りと一緒に走る3年間
今、私が取り組んでるのは自分の頭の中にあったビジョンやノウハウを、メンバー全員がわかるようにアウトプットすること。完璧な正解を私が作って提示する必要なんて無い。メンバーに見てもらって、意見を聞いて一緒にチューニングしていくのが大事だ。
トライアンドエラーを経て、少しずついい人が集まり、メンバーも前よりずっと意欲的にチームづくりに参加してくれるようになった。私自身は前よりだいぶかっこ悪くなって、でも等身大で笑っていられるようになった。
強靭な鎧なんてなくても、もう自分自身で勝負していける。
調子に乗っていた3年間ともがき苦しんだ3年間。これからの3年間は自分らしく周りの人たちと一緒に走る3年間にしたいと思う。