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スイッチ

登場するもの: 男   女

静寂。やがて・・・
かちっ。
     
女 遠くで音がした。スイッチが切れた。
 
女 世界は反転し、あっという間に、動揺してざわめく人々でいっぱいになった。
    
男 おい、大丈夫か?
女 うん。
男 ・・・・困ったな。
女 うん。
男 どうなってんだよ?
女 わかんない。
男 なんなんだ?
女 わかんない。
男 まいったな。
女 どうなるの?これから
男 俺に聞くなよ。
女 だって。
男 あーあ。(あたりを見回して)。
女 ねえ。どうする?
男 どうするって・・・どうするんだ?こういうときは。ふつう・・・
女 こういう異常事態にはふつうはどうするものなのかを聞いてるの?
男 つっこむなよ。
女 ごめん。
男 見てこようか。
女 どこを?
男 スイッチ・・・
女 どこにあるの?
男 ・・・・さあ。
女 もう一回つけられる?
男 ・・・・・さあ。
女 このままつかなかったらどうなるの?
男 このままの状態が続くんだろ。
女 いつまで?
男 いつまでも。
女 そしたらどうなるの?
男 俺に聞くなよ!
女 だって・・・。
男 とりあえず、ここを動くな。落ち着いてゆっくり考えよう。
女 そんな悠長なこと言ってていいの?
男 焦っても一緒だよ。なにかするまでなにもかわらないんだから。
女 でも・・・
 
女 私たちはとりあえず、その場にとどまり、落ち着いてゆっくり考えることにした。
  考えてもなにも思いつかなかった。
  スイッチが切れたときのことを考えたことなんてなかったから。
  なにも打つ手がないまま。時間だけが過ぎた。
 
男 なあ。
女 なに?何か思いついた?
男 いや・・その・・思いついたというか・・・。
女 なんだ。
男 いや・・・・・ちょっと気になったことがあって。
女 なに?
男 あのさ・・・笑うなよ、・・もしかしたら・・・、もし・・・
女 うん・・・
男 いや・・そんなはずはないか。
女 なによ、言いかけてやめないでよ。
男 ・・・いや・・・
女 言ってよ。気になるじゃない。  
男 うん。
女 うん。
男 ・・・スイッチの切れた音だったんだろうかと思って。
女 えええ?(笑う)
男 笑うなよ。
女 だって。
男 何で笑うんだよ。なにも可笑しくないじゃないか。
女 じゃ、なんで、さっきわらうなって言ったのよ?
男 笑うようなことじゃないからだよ。
女 笑うようなことじゃないのにわざわざ笑うななんて言わないでよ。まぎらわしいじゃない。
男 なにが?
女 そんなこと言うから、おかしいのかと思ったじゃない。
男 じゃあ泣くなっていったら泣くのか?おまえはそんな相対的な根拠で可笑しいのか?
女 なに怒ってるのよ。
男 動揺してるんだよ。
女 じゃあ、あの音は何なの?この状態は何なの?これは幻なの?錯覚なの?
男 だから・・・あれは・・・
女 あれはなによ。
男 ・・・もしあれが、スイッチの「入った」音だったとしたら?
女 ええええええええ?!
男 笑えよ。
女 ・・・笑えないわよ。
男 どうして?
女 ・・・おかしくないもの。
男 ばかばかしいだろ。なんとなく、今ふっとそう思ったんだよ。それだけ。
女 ・・・・・・そうかもしれない。
男 疲れてるのかな。なんでそんなこと・・・
女 ・・・そうかもしれないね。
男 ・・・え?
女 そうだよ。あなたの言うとおり。あれは、スイッチの入った音だったのかもしれないよ。
男 どうしてそう思う?
女 そうじゃないっていう理由がなにもないもの。
男 ・・・・
女 どうしたの?顔色悪いよ。
男 だって・・・
女 うん?
男 もしもそうだったら・・・どうしようもない。
女 どうして?
男 だってそうだろ。スイッチが切れたときにしなくちゃいけないことは、
  きっとスイッチが入ったときにしちゃいけないことだろうし、
  スイッチが入ったときにしなきゃいけないことは、
  スイッチが切れたときにはしちゃいけないことだろうし・・・。
  どっちなのかわからないと、何か思いついても、
  それをしないといけないのか、それともしちゃいけないのか、
  どっちなのか決められないじゃないか。
女 なるほどねえ。
男 考えろよ。それくらい。
女 なによ。
男 困ったな。どうしよう。
女 落ち着いて。ゆっくり考えようよ。
男 そんな悠長な・・・
女 大丈夫よ。思いつくまでなにも変わらないんだから。
 
女 私たちは考えた。考えてもなにも思いつかなかった。
  だからなにも変わらなかった。
  長い長い時間が過ぎた。
  世界はいつまでもそのままだった。
  スイッチを入れなければいけないのか?切らなければいけないのか?
  誰にもわからなかった。 
  あの音を境にすっかり反転してしまった世界に、私たちは少しずつすこしずつ慣れていった。
  同時に古い記憶は少しずつ少しずつ薄くなり、やがてどこからもすっかり消えてしまった。
  そうなるのに十分なだけの、長い長い時間がすぎた。
 
      長い時間が過ぎたあと。
 
老女 私たちの世界が終わろうとしていた。
   みんな静かに安らかに目を閉じ、おしまいの準備をしていた。
   何かやりのこしたことがあるような気がしていた。
   けれども、それが何なのか、誰も思い出すことができなかった。
 
静寂。やがて・・・

かちっ。
 
男 遠くで音がした。スイッチが切れた。
 
老女 世界は反転し、あっという間に、動揺してざわめく人々でいっぱいになった。その中にはもう。私たちは、いなかった。

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久野那美
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