『Port- 見えない町の話をしよう -』(※1場3人・2場3人・3場2人・4場1人以上 45分)

脚本・演出:久野那美 / 表紙写真:紅たえこ (2017年匣の階上演台本)


※上演に際するお問合わせは xxnokai@gmail.com まで

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https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdfnwd905bJwUCho7YX3jQmJ-ZD9li9Izqgt8VlLgRs10d4IA/viewform


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上演記録:
2017年9月17-18日@神戸アートビレッジセンター第8話         神戸開港150周年記念「港都KOBE芸術祭」 連携事業

主催:大阪ガス株式会社 /共催 神戸アートビレッジセンター /協力 港都KOBE芸術祭実行委員会 /企画・制作:匣の階

匣の階webサイト
http://floor.d.dooo.jp/hako/


【1】30年くらい前の話(登場人物:PMO)

【2】40年くらい前の話(登場人物:店主 バイト 客)

【3】150年くらい前の話(登場人物:男 女)

【4】100万年~1万年くらい前の話(登場物:不明)


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【1】30年くらい前の話(1995年1~2月想定)

午前2時。海の淵にある公園。3つの人影がおとずれる。手慣れた手つきでシートを広げる。頭上には空が。そのはるか遠くには星が。

O 足元に気を付けて

P 勝手に入って大丈夫?

M 誰もいないし

P それはそうだけど

M 誰も来ないでしょう

O 怪我しないように気を付けて。

P 暗い

M 暗いね。そして寒い。

O 暗くて広くて静かで誰もいない。これはもう一晩中星を見るための場所だとしか…

P 違う。

M 違うと思う。

O でも…ここを今いちばん有効に使う方法ではあるわね。

M 誰もいないしね。

P でも…寒くない? M …罠かも。

P・M・O 罠!?

P なんのための

O 誰の為の

M どういうしかけの

P・M・O 罠!?

M それが簡単にわかるようでは罠とは言えないわ。

O そうね。その裏を読んでうまく相手をかく乱するのよ!

P 相手って誰? M 攪乱て何?

O 意味がわからない。わたしたちは窃盗団じゃないのよ。天文学研究会。星を見に来たの。なにもやましいことはないはず。

M …言ってみたかったの。

P ここはたしかに一晩中星を見るための場所ではないけど、ここにいれば一晩中静かに星を見ることができる。

O そして私たち以外誰もいない。

 

O 星を見ましょう

P 見ましょう。

М見ましょう。

O だってここにはあんなにたくさん。

Мここにはあんなにって変じゃない?

O なんで?

М だって星はここにあるわけじゃないでしょう

O でも、

М 星は星のあるところにあるのよ。

O でも星のあるところにはその星ひとつしかないわけだから、たくさんあるとしたらそれはそこじゃなくてここにあるんじゃないの?

М そうよ。

P そこじゃなくてここ?

М 星のあるあそこじゃなくて星の見えるここ

P そうかな。

O でもこんなにたくさんあったっけ?

М 突然増えたりはしないでしょう。

O でもこんなにあったっけ…

М あったんでしょう。あるんだから。あるじゃないですか。

 

P ここには何があったの?

O いつのことを聞いてるの?

М 昔ここは港だった

O 今は公園。

M ここは公園なの?だからこんなに広くて静かなの?

P ここは公園だしあっちは海だから。 M 前は港だったの?

O ここには人がたくさんいて、世界中から船が来て、荷物の渦の中心だった。

P コンテナ船が荷物を運ぶようになって、港にはたくさんのひとがいらなくなった。

O 港は向こうの島へ移ったのね。

P そしてここは公園になった。

M そしてここは公園になった。

 

M オリオン座。

O 今日のオリオン座おおきくない?

M おおきい

P おおきい

O あんなにおおきかった?

М 突然おおきくなったりはしないでしょう

O でもあんなに……

P あんなにおおきくはなかったかも

M ねえ。

P あんなにおおきくはなかった。

M 暗いからじゃない?

O 暗いと星はおおきくなるの?

P オリオン座は星じゃない。星座。

M どうちがうの? P それは…

O 星は星のあるところにあるけど、星座は星を遠くから見れるところにあるんです。

М つまり、オリオン座の星は自分たちがオリオン座であることを知らないのね。 O しらないでしょうね。

M 教えてあげたい

O それはよけいなお世話じゃない?P そんなこと知りたいかな

O 別の場所から見たら別のものの一部なのかもしれないし、

P 何かの一部だったりしたくないかもしれないし。

М …空が、こんなに広いからじゃないかな

P 寒い。風が強い。

М 海が揺れてる

O 山も揺れてる P 星は揺れない。

O 遠くにあるから

 

O 遠くにある星を見よう

M 今の間に。

P 暗くて誰もいないし。

O 明るくなったら見えなくなるかもしれないし。

M 空が狭くなったら見えなくなるかもしれないし。

P 見えるものが増えたら忘れてしまうかもしれないし。

M ここはまた明るくなる?

P 空はまた狭くなる?

М ここから見えるものは増えていく?

O きっと。

M どうしてわかるの?

O だってここは、ああなったりこうなったり、それからまたああなったりこうなったりして、そうやって、たくさん繰り返して繰り返して、ずうっと長い間この場所であり続けたんだから。

P 海と山の間で。

O これまでだってそうだったし、これからもそうだと思う。 M でも、そうなった時のことを…

O 今夜は

P ここから見える星を見よう。そしてもっと遠くにある星のことを考えよう。 O そうしよう

М そうしよう

P そうしよう

O 何もやましいことはないわ。私たちは窃盗団じゃないんだから。

P あ!

М 何?

O 何?

P 星が、流れてる…

 


【2】<2>40年くらい前の話(1980年代想定)

年季の入った喫茶店。店内はがらんとしている。女性客(10代)がひとり、珈琲を飲んでいる。

客 え?閉めるんですか?ここ…
店主 今月いっぱいなんです。
客 とうとう…
店主 とうとう。
客 別の場所に移転するんですか?
店主 どうしようかな。
客 まだ決めてないんですか?
店主 考え中。

バイト 僕は続けてほしいです。
客 私も続けてほしいです。
店主 港があってこそのお店だったから、別の場所って言っても思いつかなくて。
バイト 港がなくなってから大分たつじゃないですか。
客 港のあったところ、埋め立てて公園になるってほんとですか?
バイト ほんとうみたいです。
客 あんなところに公園?
店主 海の見える公園って素敵じゃないですか?
客 なんかでも全然想像がつかないです。この殺風景な場所がおしゃれスポットになる…?
バイト 僕は今の、この空っぽな感じが好きなんですけど。
客 海の見える公園ですからね。
店主 あっちには山も見えますよ。
客 どうなるんだろう。

客 お店の中のものどうするんですか?
店主 いったんうちに引き上げます。再開するときはまた考える。
客 このカップも全部?
店主 最初はお客さんの数だけと思ってたんだけどどんどん増えちゃって。
客 壮観ですよね。
店主 うちのはひとつひとつぜんぶ違いますからね。
バイト デザインだけじゃなくて大きさも違うって喫茶店としてありなんですかね。これなんかこれの3倍ですよ。珈琲の値段同じですよ。
客 これ大きいですね…形がものすごいし…。
店主 お客さんが自分で選ぶんだからありでしょう。
バイト 入れるのは珈琲だけなのに。
店主 喫茶店がお客様に提供するのは珈琲の味だけではないんです。

客、ひとつのカップを手に取り…

客 私これが好きでした。
店主 ああ。それね…。
客 なんですか?
バイト なんですか?!
店主 ん…やっぱり内緒。
客 え気になる…
バイト 気になる。
店主 簡単には話せないな。全部に思い出があるからね…。いろんな形のいろんな大きさの。私の。
客 こんなにあるのに全部に…?
店主 どんなにあっても全部に。
客 それぜんぶ覚えてるんですか?
店主 ぜんぶね。
客 すごい…
店主 ぜんぶほんとの思い出かどうかもう分からないけどね。
客 嘘の思い出もあるってこと?
店主 思いだせることがあるっていうことに比べたら、それがほんとなのか嘘なのかなんていうことはわりとどうでもいいことだと思うのよ。
客 それは年を重ねると言えるようになる言葉ですか?
店主 さあ…。思いだすことも思いだしたくないことも増えていくから。

客 カップだけじゃなく…椅子もテーブルも、ちょとずつ違ってますよね。
店主 よく気づいたわね。
客 最近はやりだけど、昔は珍しかったんじゃないですか?

店主 創業30年ですからね。最初の頃はね。むしろ貧乏くさいイメージだった。
客 あら。素敵なのに。これも持って帰るんですか?
店主 とりあえず。
客 ぜんぶ?
店主 ぜんぶ…

客 (想像する…)壁の絵も?
店主 壁の絵も。

客 あの、前から気になってたんですけど。この絵って…ここの港の風景ですよね。昔の…

バイト 全然気づかなかった。半年見てるのに。
店主 あなたはね。
客 私が来た時にはもう、港はこんなふうじゃなかったから。この絵気になってて。
店主 こんなふうに船も人もたくさんいて、物もあふれかえるほどたくさんあって、朝早くから賑わってた時期があったのよ。つい最近まで。
客 本当に、ここに港があったんですね。
店主 ほんとうに、ここに港があったんです。

客 色もついてないけど、すごい華やかに見える絵ですよね。それになんだか懐かしい感じ。どうしてだろう。この時代を知ってる人が描いたから?それとも、港がなくなってしまってから、大切な思い出の中にある港を描いたから?
店主 …

客 有名なひとの絵ですか?
店主 全然。プロの画家でもない人の絵。
客 お知り合いとか?
店主 いいえ。私も人からゆずってもらったの。
バイト こんな風だったんですね。港だったころのこのあたりは。
店主 今の港と全然違うでしょう。
バイト 僕は今の港の方が好きです。昔をしらないからかもしれないけど。
店主 あなたはそうね。
バイト コンテナって鉄でできた大きな匣ですよね。鉄でできてて、とんでもなく大きくて、どこから見ても四角いかたちの。そんな大きな大きな匣が海の向こうから運ばれてくる。船で運ばれてくる。誰がどこからなんのために誰に届けたくても、関係なく、どんなものも区別なく全部同じ形の同じ大きさの匣に入って運ばれてくる。
客 そんな風に言うとちょっとかっこいいですね。
バイト そう思います?(くいつく)
客 はい。大きな匣か…
バイト 匣気になりますか。
客 ちょっと…
バイト 匣はいいですよ。
客 え?
バイト 匣はいいです。
客 あの…
バイト (こそこそ)僕ね、天文学のサークルをやってるんです。
客 …話の流れがわからないです。
バイト わかるように説明します。
客 天文学ですか?匣ではなく?
バイト 天文学で、匣です。
客 …説明されたらわかりますか?
バイト ものを入れるために、人間が最初に作ったのは、匣じゃなくて、壺だったと思うんです。
客 え?!
バイト 壺は人間の姿をしてます。左右対称で、天地があって、側面が曲線で。

客 ああ…はい。
バイト 壺を創っていた人間が匣を創るようになるまでには大きな価値観の変化があったはずです。
客 (店主に助けを求める)あの…
店主 最後まで聞いたら意外とわかります。
客 はい。
バイト 匣は直線と直角でできています。でも、自然界には平面も直線もありません。匣を創るためには、平面や直線を、「発明」しなければなりませんでした。
客 発明…
バイト そこで天文学です。
客 どこで天文学?
バイト 直線というのは観念です。観念というのは、絶対に届かない、遠くの場所に思いを馳せることです。直線というのは、ここと、果てしなく遠くに在るものとの間にある道の形です。果てしなく遠くにある星のことを考えたとき、いろんなものが持ってるゆがみを全部無視できるくらい、遠くの遠くのものを眺めたとき、僕たちは初めて、「直線」や「直角」を、手に入れたんですよ。
客 はあ…
バイト だから、匣は、天文学の象徴なんです。
客 匣…。
バイト サークルに勧誘するときはいつもこの話をするんです。
客 勧誘されてるんですか私…
バイト 無理に誘いはしません。
客 はい
バイト でももし、この話を聞いて匣が気になって仕方がなくなったり、遠くの星が気になって空を見上げたくなったりしたら、星を、見に行きませんか!客 …
バイト 星嫌いですか?
客 どちらかというと星は好きです。
バイト 良かった。
店主 がんばったね。
客 え?
店主 この辺、昔より今の方が星がよく見えるかも。
バイト そうなんですか。
店主 昔はもっと明るかったからね。
バイト 町ってどんどん明るくなるものだと思ってました。
店主 どんどん?
バイト 明るくなった町がまた暗くなることがあるなんて思わなかった。
店主 それはあるでしょう。
バイト そうなんですね。
店主 明るくなったり、暗くなったり、大きくなったり、小さくなったり、合併したり、いらなくなったり、壊れてしまったり、そこからまた立ち上がったり、新しく生まれたり…この先には今は想像もできないことが起きるんです。

客 想像もつかないこと…
店主 この店だって、始めた時は終わる時のことなんて考えてもみなかった。客 そうですよね。
店主 港がなくなることなんて考えもしなかった。
バイト なくなるんじゃないですよ。変わるんですよ。
客 公園になるんですよね。
バイト 変わるって終わることではないですよ。生き残ることだと思うんです。

店主 生き残るために変わるか…ここも…。
バイト ぜひ。
客 先のことがわかるといいのに。
バイト 想像もつかないってことには抵抗したいですね。
客 どういうこと?
バイト できるだけたくさん、いろんなことを想像しておけば、そのうちのどれかはほんとうになるかもしれない。
客 でもずうっと先に、どれが本当になったのか、どうやったわかるの?
バイト 自分ではわからない。
客 それじゃ意味がなくない?
バイト 仕方がないよ。生き物だから。
客 え?
バイト 生き物は、知りたいと思う先のことを知ることができるちょっと前に終わるようにできてる。
客 えええ
バイト それを次の人が知る。次の人が知りたかったことはその次の人が知る。
客 生き残るってそういうこと?
バイト 僕理論。
店主 いろんなこと考えてるのね…。匣だけじゃなくて。
バイト ありがとうございます。

バイト  終わりにするスイッチって、生き残る秘策なんだと思う。
客 ん?
バイト 絶対必要で、これからもどんどん必要になると思って始めたことでも、時代が変わればいらなくなるかもしれない。もっと違うものが必要になるかもしれない。終わらせるしかどうしようもないことが起きるかもしれない。その時に慌てずに終了スイッチを押せたら、効率よくリセットしてその時いちばん必要なものを新しく作ることができる。
客 それはそうかもしれないけど…
バイト 絶対必要だと思って作るものがいつかいらなくなったときのことを考えるのは難しい。
客 うん。
バイト すごく残酷な設計だと思う。
客 うん。
バイト でも、そうなんだと思う。
客 お店を創るときに閉じるときのことを考えるってこと?港を創るときにいらなくなったときのことを考えるってこと?町を創るときに町じゃなくなるときのことを考えるってこと?
バイト たとえばね。
客 たとえば…
バイト うん。だけどこれまでも、これからも、生き物はみんな普通にその残酷な設計で生まれてくる。
客 …
バイト 効率よく終わって、効率よく変化して、だから生き残る。
客 …
バイト だから先のことがぜんぶ自分でわからなくてもいいんだと思う。
客 …

店主がさっき客が指さしたカップに珈琲を入れてくる

店主 白熱してますね。
客 あ…りがとうございます
店主 こんなふうに終わるとは全く思ってなかったけど、こんなふうに終わるのも悪くない気がする。
バイト だったらよかったです。
店主 この店を始めた時のことを今思い返したら、始めた時に見えてたものと全然違うものを思いだすような気がするの。
客 そうなんですか。
店主 この絵。
客 はい?
店主 この時代を知ってる人がその時に描いたのか、港がなくなってしまってから、思い出の中にある港の絵を描いたのか?ってあなたさっき言ってたけど…
客 はい。どっちなんですか?
店主 どっちでもないって言ったらどうする?
客 え?
店主  この絵が、目の前にある風景を描いた絵なのか。記憶の中の風景を描いた絵なのか。選択肢はもう一つあるかな。

店主 いつかここに現れるかもしれない風景を描いた絵
客 あの…
店主 ここに港ができるよりも前に描かれた絵かもしれない。
客 え?意味が分からないです。
バイト 記憶の中にはあったけど今実際目の前にはないものが描けるなら、まだ誰も見たことがないから今実際目の前にないものだって、同じように描くことができるってことですか?いや…ここに海外と貿易するようなちゃんとした港が創られてから百二十年ですよね。それまで、この国はほかの国と交流がなかったんですよ?この絵みたいに人や物であふれるようになったのはずっとずっと後になってからです。
店主 いつかここに港ができる。そこが世界の貿易の中心になる。船がたくさん来て、荷物がたくさんやりとりされて、人がたくさんたくさん集まって、店や食堂や喫茶店ができてここは賑やかな港になる…かもしれないって想像したひとがいたかもしれない。そして百年経って、その想像がほんとうになった…かもしれない。
客 そんなことって…
店主でも、方向性違ってないよね。ここは百年後に実際この絵みたいになったんだから。
客 そうですけど。でも…
バイト 現実にそうなったんだから、そうなるかもしれないって予想して描いたことは非現実的な想像ではない…?

バイト 答は?この絵が描かれたのはいつなんですか?
店主 有名な画家の絵じゃないから、情報が何もないの。百二十年 前のこの町には百年先の変化の向こうの世界を見ているひとたちが集まっていたのかもしれないその人達が時代を変えて、体制を変えて、世界を変えて実現させた…のかもしれない。彼らが当時見ていた未来の先に、現在のこの国がある…のかもしれない。この絵を描いた無名の画家がその中にいたかもしれない。
客 …そうなんですか?
店主 その方が楽しくない?
客 楽しい。
店主 そう考えたひとが百二十年にいたんだとしたら、今ここでこっそり「正解です」って言いたい。
客 「正解です」
バイト でもそのひとには伝わらないですよ。
店主 それは仕方がない。
客 私たちは生き物だから。

客、珈琲を飲みほす

客 星を見るのに道具とかいりますか?
バイト え?
客 そのサークルには何人くらいいるんですか?
バイト え??
客 どこで活動してるんですか?
バイト えええ?
店主 星は、なくならないのかしらね。
バイト そんなことはないです。生まれたり、壊れたりします。
店主 そうなのね…

客 そのカップでその店でコーヒーを飲んだのはそれが最後だったように思う。店はきっちり月末でなくなった。しばらくして、そこには新しい公園ができた。町は明るくなったり暗くなったりを繰り返している。
私は星を見ることを覚えた。


【3】150年以上前の話(1866年想定)

男 「尊王攘夷」の声が上がり、またそれを断固阻止しようとする動きもあり、時代の空気はあわただしかった。もう、じきに、動くのは空気だけではなくなるだろう。拒むにせよ受け入れるにせよ、四方を海に囲まれたこの国は「その向こう側にあるもの」を意識せざるをえないのだ。
「開国」とは何だろう。何がどこへ向かって開かれていくのだろう。

建物の表からは山が、裏からは海が見えた。裏庭の先を少し歩くともう海だった。東へ向かう帆船が時折通りかかるのが見えた。私が絵を描き始めたのが先だったのか、そのひとが海辺を訪れるようになったのが先だったのか…
私は毎日そこで絵を描き続けた。海を見ずとも描けたはずの絵を。いや…

男 発つのはいつですか?
女 あさってのあさ早くに。
男 明日は?
女 ここへ来るのは今日が最後です。
男 なら、日が暮れるまでに仕上げてしまわないと。
女 ついにですか。
男 餞別に間に合わなくなる。
女 これ、わたしにですか?
男 そのために描いています。
女 …。
男 向こうには海がないと聞いたので。
女 山はあるんですって。
男 海がないんですね。
女 …海はないです…でもこれは海の絵ですか?
男 港の絵です。
女 …どこのですか?
男 ここの。
女 ここの?
男 なにゆえ餞別にここでない港の絵を贈るのです?ここの港の絵です。
女 はじめからですか?
男 途中から変わりません。
女 ひとつきくらいかかっていませんか?
男 ひとつきくらいかけて描いたのです。
女 なぜ?
男 描いている間話ができるからです
女 …ひとつき……話しました。
男 はい女 私たちはなんの話を…?
男 たわいのない話です。
女 そうでしたか?
男 嘘か誠かもわからない話です。
女 え?
男 誠の話ばかりではひとつきもたなかったでしょう。
女 ひとつき持たせるために嘘をつくのですか?
男 ひとつきとわかっていたのでひとつき話す術(すべ)を考えたのです。
女 どこまでが嘘なのですか?あなたのお国の話も?学問の話も?海の向こうにある異国の話も?あの、匣の昔話もですか?
男 聞かれるままに思いついたことを話したのです。
女 なぜですか?
男 話したかったからです。
女 ほんとうのことを話せない事情があるのですか?
男 ひとつきであなたはいなくなる。それはどうしようもないのですから、ほんとうの話はそれだけでいい。
女 この絵も嘘の絵なのですか?だからこんな風な…
男 どんな風なのです?
女 船も、人も、荷も、見たことのないものばかりです。あなたが話して下さった海の向こうの異国の港ではないのですか?
男 なるほど
女 私にはこの海はこんな風には見えないです。
男 しかしこの絵はここの港を描いているんです。
女 あなたには、この海がこんな風に見えてるのですか?
男 見えないです。こういうふうに見えないなあと思っています。
女 こういうふうに見えていない、ここにある港を描いているのですか?
男 そういうことになりますね。
女 なぜそんな…

男 絵や言葉は、ここには今何があるのかを伝えることもできますが、ここにはまだ何がないのかを伝えることもできるのです。
女 ここは、いつかこの絵のようになるということですか?
男 なるかもしれないし、ならないかもしれない。
女 なるかもしれないし、ならないかもしれない…なるとすればそれは?
男 五十年先か百年先か。
女 そんなに先では…ほんとうにそうなるかどうかをたしかめることができないです。
男 そうですね。先のことは、その時代を生きているひとと、さらにその先を生きている人にしかわかりません。
女 そんな…
男 百年後にどのようになっていたとしても、どうしようもないではないですか。
女 それはそうですけど…
男 ですが、こういうふうになっているかもしれないと誰かが思えば誰かがそれを誠の未来にしようとするかもしれない。
女 誰かが…
男 しないかもしれない。できないかもしれない。もっと別のことを思う者がいるかもしれないし、そちらが誠になるかもしれない。
女 え…
男 誰も考えなかったことのためには誰も動けない。
女 …男 だから、いろいろなことを考えておくのです。きっと。
女 百年先のためにですか?
男 百年先のことを考える百年前の今のためにも。
女 それは、学問の話ですか?
男 絵の話です。
女 難しいです。
男 難しいですか?
女 はい
男 この海をずっとたどっていけばそこにも別の国の別の町の別の港がある。女 はい。
男 しかし昔は誰もそんな風には考えなかった。だからこの町には港がなかった。行き止まりだったのです。
女 行き止まりがいつ港になったのですか?
男 誰かがはじめてここに立って、海の向こうに町があると思ったときから。女 海の向こうに町は見えないです。
男 見えないです。今も見えないしこれからも見えない。しかし、ずっと昔に、この向こうに町があると思って海を見た者がいた。
女 ずっと昔に。
男 この町に港ができるよりもずっと昔に。そしてそれを誰かに話した。
女 なぜですか?
男 見えないからです。話さなければ伝わりません。見えるのならば話さなくとも良いですが。
女 …
男 はじめは誰も信じなかった。しかし、いつかその話は大勢の人に伝わった。聞いた者がまた誰かに話し、それを聞いた者がまた誰かに話したから。
女 なぜ?
男 誰にも見えなかったから。
男 あるとき誰かが「自分もその町へ行きたい」と願った。
女 見えない町へ…
男 そしてその願いを誰かに話した。
女 話さなければ伝わらないから…
男 あるとき誰かが海を渡る方法を思いついた。
女 え?
男 はじめは誰もが嘘だと思った。でも、嘘の話でも大勢の人に伝わった。
女 はい。
男 大勢の人が海の向こうを見るようになった。
女 はい。男 見えない町は見えないまま、海の向こうの町になった。
女 ……はい
男 そして船が来た。
女 …
男 ここは港になった。

女 つまりここはいつかこんな港になるということですか?異国の船が来てたくさんの荷が上げ下ろしされて、大勢の人であふれる…
男 そうなるかもしれない。ならないかもしれない。
女 そうなったら素晴らしいですね。
男 そして外国から来た船に攻め込まれて占領されるかもしれない。この国はなくなるかもしれない。
女 え?
男 外国を従えて強くて大きな国になっていくかもしれない。外国から来た病が流行して、国は亡びるかもしれない。この国の文化や作物が外国に運ばれて世界中で好まれるかもしれない。世界中のことばがこの国で話されるようになるかもしれない。この国の言葉がどの国へ行っても聴こえてくるようになるかもしれない。
女 …
男 ここは港になったことを後悔するかもしれない。それとは全く別の理由で港はいつか壊れるかもしれない。町も人も、壊れたリ追われたりするかもしれない。そのままなくなるかもしれない。また生まれ変わるかもしれない。かつて港であった全く別のものになるかもしれない。
女 そんなに色々なことが起こるのですか?これから?
男 起こるかもしれないことはいくらでもあります。
女 …

女 たしかめることのできない遥か先のことを描いているのですか?
男 たしかめることのできない遥か先のこの場所を描きたかったのです。
女 なぜですか?
男 …
女 ??
男 できました。

女 …こんな絵を…見たことがないです。
男 今描き上げたばかりですから。
女 そうことではなくて…華やかで、懐かしい感じの絵ですね。あ…見たことがないのにおかしいですね。
男 華やかで懐かしいですか。
女 私が持っていっていいんですか?
男 持って行ってください。餞別ですから。
女 いつまでも見ていられそうな絵ですね。
男 いつまでも見ていてください。
女 …わたしがあなたと話したのはこのひとつきだったのに…

男 さあ。
女 この…港の…絵…

女 この絵は…持っていけないです。
男 なぜ?
女 持っていけないですよ。
男 …
女 日が暮れてきましたね。
男 風も強くなりました。

女 水平線の向こうから大きな匣が流れてくる昔話。
男 はい
女 あれも、あなたの思い付きですか?
男 さあ。どうでしょう。なぜですか?
女 こんな日ではなかったのかと。
男 ほんとうの話だと思いますか?

女 どちらにしても。こんな日ではなかったのかと思います。


男 風が。海から吹き上げてくる。傾き始めた日が海に落ちるまではあっという間だ。その後も絵は描き続けた。海へはいかなくなった。時代も、身の回りも渦の中心へ向かって動いていったけれど、私はただ絵を描き続けた。ここは2年後に大きな港になった。そして外国から大きな船がやってきた。


【4】100万年~1万年くらい前の話


ずうっとずうっとずうっと昔。この場所に最初に生まれてきたのはその二人でした。一人は太陽の方向へどこまでも低く拡がり、もう一人は反対側に立ち天を支えました。低く遠くまでへ拡がっていくそれを「うみ」、天高く向かうそれを「やま」と、後の世のひとは名付けました。

うみとやまは背中合わせに生まれてきたので、最初から、お互いが、お互いを背にしていました。背にすることは、向かい合う、ということとは違っていました。お互いを見ることも同じものを見ることもできませんでした。振り返って「出会う」こともできませんでした。うみとやまであるとはそういう事だったからです。動かざること山の如し。海もまた。

ですからうみはやまに、自分のみているものの話をしました。やまはうみに、自分のみているものの話をしました。そうやって世界を半分ずつ見て、おたがいの見たものを伝えあっていました。世界はうみの見ているものとやまの見ているものにわけられている。うみもやまもそう思っていました。ですがほんとうはそうではありませんでした。うみとやまの背中は実は完全にはくっついていなくて、間に小さな隙間があったからです。うみも、やまも、見ることのできない場所でした。

うみとやまの背中の隙間は、とても居心地のいい場所でした。そこに海があるせいで暖かく、やわらかい風が吹いていました。日の光が長い時間地面を照らしました。そこに山があるせいで冷たい風が吹き込まず、空気が熱くなりすぎず、穏やかな気候でした。ですからいつの間にやら植物が根を張り、ぐんぐん育ち、たくさんの実を落としました。それを求めて生き物が集い、増えていきました。背中の隙間はどんどん、快適な場所になっていきました。
長い長い長い時間が過ぎました。


ある日のこと。海の風に誘い込まれるようにして、ひとりの男が この土地へやってきました。遠くから歩き続けてきた彼は、地面が終わったところで足をとめました。それより先に踏み出すことができなかったからです。

男は立ち止まって前を見ました。行き止まりの向こうは海でした。

はじめてみる海は、初めて見るのになぜか懐かしい感じがしました。日の光をうけてきらきらと光り、地面とちがって絶え間なく揺れ動いていました。男は呆然と海を見ていました。

沖合になにかが浮かんでいるのが見えました。大きな波が寄せるたびにそれは少しずつ岸へ近づいてきました。しばらく波に漂っていたそれは何日もかかって、浜へ打ちあげられました。両手で抱えられるくらいの大きさの、「どこからみても四角い形のもの」でした。見たことのないものでした。男はそれを抱えたまま、あたりを見回しました。やはり、誰の姿も見えませんでした。海の向こうに水平線が見えました。見えるのは水平線だけでした。

もし、この「どこからみても四角い形のもの」が、水平線の向こうから来たのだとしたらどうだろうか、と男は思いました。水平線はたしかに一本の線でしたので、その線の向こう側があるとは思えませんでした。ですがそれはとても楽しい想像でした。見たことのない不思議なものは見たことのない不思議なところから考えたこともない不思議な方法でやってきてもおかしくないような気がしたのです。

水平線の向こう側のことを想像してみました。そこにはこちら側と同じように陸地があって、誰かが遠く海を見て、水平線の向こうに思いをはせているもしそうならば、この「どこから見ても四角い形の物」をこちらでたしかに受け取った者がいることをその誰かに伝えたいと思いました。

男は、思い切ってそれを海の向こうへ投げました。波にゆられて戻ってこないように、できるだけ遠くへ投げました。なんども失敗してようやく、それは波の向こうへ届き、やがて海の向こうへ見えなくなりました。

それからというもの。男は毎日海の向こうを見るようになりました。
男の送った「どこから見ても四角い形のもの」はいつか向こう側へ届き、そこからまたこちらへ送られてくるはずなのでした。男はそれを待ちました。
何日も待ちました。何か月も待ちました。何年も待ちました。

何年いても不自由のない居心地のよい土地でした。気候が良く水が綺麗で暮らしやすい場所でした。訪れたひとたちがひとり、ふたり、とこの土地に居つくようになりました。

やがてそこには小さな町ができました。男はその町で家族を作りました。最後まで海の向こうからの便りを待っていたのか、そのうち忘れてしまったのか、あるいは、ほんとうはそんなできごとなどなかったのか…ほんとうはもっと別のことがあって、それが彼をこの地にひきとめたのか…。
ほんとうのところは彼にしかわかりません。ですが男は子供に、孫たちに、海の向こうから送られてきた匣の話を聞かせました。海の向こうに送った匣の話を聞かせました。

聞いた人は皆、男の作り話だと思いました。けれどその話を聞いたあとでは、水平線は行き止まりではなく、見えない遠くの村との境界線のような気がしてくるのでした。

男は最後までその町で生きその村で死にました。

その後も、何人もの人が生まれ、何人もの人が死んでいきました。良いことや良くないことを繰り返しながら、町は大きくなっていきました。きれいな水が沸くので酒造りもさかんになりました。匣の話はその村の伝説として、少しずつ形を変えて語り継がれていきました。

やがて。隙間の町のひとたちは、ほんとうに海を渡って、遠くにある見えない町と行き来するようになりました。ここは行き止まりではなくなりました。
うみとやまの隙間の町はこうして、単に小さな隙間ではなく、遠くの町へいくための門になりました。

うみもやまも、振り返って町を見ることはできなかったのですが、町で交わされることばを聞くことはできました。町のひとは、海と山の話すことばを聞くことはできなかったのですが、見上げれば山が、遠く見やれば海が、いつも必ずありました。

そのあとも、時は流れ… 長い長い長い時間が過ぎていきました…

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久野那美
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