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それは、満月の夜のことでした(1人 30ー45分)


※ひとり芝居台本(道の階上演台本2011年)

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                           久野那美 

コンビニの帰り道。坂道をだらだらとのぼる。
街灯がぽつぽつと立つ道には人かげもなく。あたりはうすぼんやりと明るい。
遠くから、音がする。
ごろん、ごろん、地面を伝う音がする。
音はだんだん、大きくなる。辺りは白く光っている。
ごろん、ごろん、ごろん、ごろんごろんごろんごろんごろんごろん・・・・・。
少しずつ、だんだんに、大きくなる。
辺りは白く光っている。
だんだん大きくなる。だんだんだんだん大きくなり、私の目の前で止まった。
私も立ち止まる。まっすぐ、前を見る。
あたりがしんと静かになる。
まっすぐ、前を見る。おおきいので、正確には、前を見上げる。丸い。丸くておおきい。
ぼんやりと、白く光っている。
地面には私の影。月明りに照らされた、私の影。月明りということは、月なのか。
丸い月?丸いのだから満月か。
満月?私は満月に話しかけてみる。

「満月だったんですね。今夜。だからこんなに明るいんですね。」

「ちょっと、驚いてます。今夜、誰かに会うなんて思わなかったので。」

(月が道をふさいでしまって通れないので、そのまま立ち止まっている。しばらく。しばらく。何も起こらない。)

「何か、待ってます?何か、答えたほうがいいですか?何に答えたらいいでしょう。
無口なんですね。いえ、月は、無口なほうがいいと思いますよ。
饒舌な月ってのは、ちょっと。べつに、媚びてるわけじゃないですよ。
月とか星とかって、何を考えてるのかわからないくらいがちょうどいいと思うんです。
あんまりわかりやすく丁寧に説明されたらきっと、誰も空を見なくなると思います。
だから、無理してしゃべらなくていいですよ。」

(そういうわけで、ふたりとも黙っている。しばらく。何も起こらない。)

「私、あなたのこと覚えてますよ。ひとつきにいちど、あなたは必ず現れる。
これまでに、きっと何度も見かけてたのに。
その夜は、誰かに会うはずだったり、何かをしてる最中だったり、別の何かを見てたりしたから。だから、会ったのは今日が初めてです。
はじめまして。ふつうの夜ですね。はじめて出会うっていうのは、とても、特別なことだと思うのに、特別なことは特別な夜に起こるわけじゃないんですね。」

「これ買い足しに、コンビニ行ったんです。いつものようにコンビニにいって、いつものように、歩いて帰ってきたんです。帰ってこれ(缶飲料)飲んだら寝ます。明日も特別何かあるわけじゃありません。だから。今夜、誰かに会うなんて、思わなかったんです。

「お散歩ですか?それとも誰かと待ち合わせ?誰ですか?金星とかですか?」

「すいません。共通の話題が思いつかなくて。せっかく会ったのに、自分のことだけ話すのもつまらないし、
でも、私はあなたのことをほとんど何も知らないから。でも、あなたのことを質問すればあなたのことを話せるから。知らないことならたくさんあるから、でも、だからって、あなたがそれに答えなくてもいいんです。
答えてくれてもいいんですけど、もしあなたが答えたら、私はもっと質問すると思うんです。知らないことはいくらでもあるわけだから、それに全部答えていたら、あなたはすごくたくさんのことを答えることになります。そうすると、ものすごく饒舌な月になってしまいます。
そういうことをさせたいわけじゃないんです。あなたはそういうことはしないでしょうけど。」

なにかがふと気になって、私は月から目をそらした。
こんな丸い月の夜が、前にもあったような気がして。
でも、それはこんな風な夜だっただろうか?

「余計なことを云うようですけど。もし散歩だとしたら、方向を変えたほうがいいと思います。この道をこのままずっと行くことはできないんです。」(月は黙っている。)
「戻るのは嫌ですか?」(月は黙っている)。
(私はなぜだかわけを説明しなければいけないような気がしてきて)

「この先に、食パン工場があるんです。大きな門があって、鍵がかかっています。この道はそこで行き止まりになっています。」(月は黙っている。)
「ペンキの剥げた、レンガ色の門です。大きな南京錠がついていて、関係者が入る時だけ、守衛さんが鍵を開けてくれるんです。普段は閉まっていて、部外者は入ることができません。鍵はけっこう古くて錆びついてるから、開けるのに少し時間がかかるんです。しょっちゅう人が出入りするわけじゃないので、大丈夫です。」

「門の少し手前にバス停があります。『食パン工場前』という停留所です。食パン工場に行く人はみんなそこでバスを降りるんです。バスは1日に4回しか止まりません。だから、鍵をあけるのも、1日に4回だけです。

守衛さんは2人いて、道の両側に分かれて入館確認をしています。
守衛さんは優秀で、一度見た貌は決して忘れません。知らない貌が門を通り抜けようとしたら必ず気付きます。その守衛さんが門の前にいる限り、部外者は決して食パン工場の中に入ることはできないんです。」

「守衛さんが来る前は、食パン工場の関係者は、みんな同じ形のビニールの名札を首から下げていました。フルネームと、所属の班の名前と、関係者にしかわからない暗号が書いてある名札です。でも、もちろんどんなシステムも完ぺきではないでしょうけど、そのやり方には重大な欠点があったんです。
あるとき、その名札が偽造されてしまったんです。偽の名札を下げた部外者は、関係者にまぎれて、門からふつうに侵入してしまいました。そして、誰も、それに気づかなかったんです。」

「そういうトラブルを防ぐために、それ以来、門の前には優秀な守衛さんが二人、常に立つようになりました。守衛さんの仕事は、名札を確認することではなく、ひとりひとりの通行人の貌をみることでした。名札を偽造することはできても、守衛さんの記憶を偽造することはできないからです。新しい規則や役職を作り、人を雇い入れるのはたいへんなことですけど、でもそうしなければいけなかったんです。だって、なんと、そのときの侵入者は、食パンという食パンの・・・まあこれは今あんまり関係ないですよね。
とにかく、そういうわけで、この先には食パン工場しかないんです。食パン工場に用事があるのでなければ、別の道を行った方がいいと思います。」(ふたりの間にはなにも起こらない。)

「この道をバスに乗らずに歩く人はいませんから、この先には街灯がありません。まあ、あなたはそれは気にしないでしょうけど、でも、問題なのは道です。舗装がちゃんとされていなくて、でこぼこしていて、くぼみや水たまりがたくさんあるんです。こんな道を通ると、欠けたり傷がついたり汚れたりするかもしれません。穴にはまって動けなくなるかもしれません。雨上がりには自転車で通るのも苦労するんだそうですよ。」
(月は黙っている。)

「だそうですよ・・・・・というのは、私も、ひとから聞いた話だからです。この先へは行ったことがなくて。食パン工場には用事がないので、行く理由がないんです。」(月は黙っている。)

「じゃあなんでそんなに詳しく知ってるんだと云われるかもしれませんけど…云わないかもしれませんけど…
たぶん、云わないと思いますけど…聞いたんです。
もちろん食パン工場の関係者にです。食パンの耳関係の仕事をしていたってことしか、私は知らないんですけど。」(月は黙っている。)
「そのひとからきいたんです。彼女が働いていた頃の食パン工場の話。
ここから先、街灯がないでしょう。夜はバスがなくなると真っ暗になるんです。
食パン工場は一日中稼働していて、1日4回、ひとが出入りするんですけど、彼女の担当は夜から朝方にかけてでしたから、満月の夜は特別だったのかもしれません。
彼女の話はいつも、『それは満月の夜のことでした』で始まりました。満月が出てくるのはそこの部分だけなんです。『満月の夜に』食パン工場で起きた事件の話。名札を偽装した部外者が忍び込んだ話。
工場中の食パンから耳だけが盗まれたときの話、出荷のトラックが故障して、ひとり5斤ずつ両手に持って夜明け前のバスで届けた時の話。
工場見学の小学生たちが来る前の晩、手のひらサイズの食パンを特別にたくさん焼いた話。
両端の耳だけの部分を減らすためにものすごく長い食パンをつくることを提案した職人さんの話。
逆に、5枚切りのぜんぶが耳だけになるような食パンの開発をした職人さんの話。
耳については当然賛否両論ありますから、どちらを採用するかについては議論になって、なかなか結論がでなかったそうです。
論争と言えば、食パン以外のパンも作るべきだと工場を二分する論争になったときの話もありました。
そして、最初の工場長がやってきたときの話。その工場長が退職して去っていったときの話。」

「彼女はいろんなことをとてもよく覚えていて、そして話すのが上手でした。できるだけ正確に話すこと、不明な部分を残さないこと、がとても重要なことのようでした。工場の大きさ、壁の色、制服や帽子の形、休憩室の場所、門を開くときの、がらんがらんという音、焼きあがりを知らせるサイレンの音・・・、
話の内容には直接関係ないような細かい部分についても、できるかぎり詳しく説明してくれました。質問すれば答えてくれました。『細かいところをあいまいにしたら、どこの食パン工場の話をしているのかわからなくなるでしょう』って。」

「・・・話が長くなりましたけど、そういうわけで、私は、私の見たことのない食パン工場のことをお話しすることができるんです。そして、その工場がこの道の先にあって、そういうわけで、この道は行き止まりになってるんです。」(月は黙っている。私も黙ってしまった。しばらく。)

「食パン工場について、私はこれ以上話すことができません。これ以上知らないからです。
私は食パン工場を見たことがないし、この道の先を行ってみたことがないから、彼女にきいたことが、私の知ってる全部なんです。」(月は黙っている)

「食パン工場の話は、ある日突然終わりました。
最後の日。いつものように食パン工場の話をしたあと、彼女は云いました。
もうおしまい。全部、嘘なのよって。
自分は食パン工場で働いたことなんかないし、この道をバスなんか走っていないし、そもそもそんな食パン工場のことなんか知らない。あなたが熱心に聞いているから、思いつくままに話してたけど、もう話すことがない。だからこれでおしまいだって。
……びっくりしましたか?
私はね、びっくりしました。それはもう、びっくりしました。
なんで突然そんなことを言うのか。そのときの私には見当もつきませんでした。ただ、云われたことに戸惑って、混乱して、でも何も言い返すことができませんでした。言い返すことなんてできないですよね。私はなんの被害を受けたわけでもないし、困った、というほど困ったことになったわけでもなかったし。
だから呆然としていました。
食パン工場はほんとうはどうなのかを教えてくれるひとはいませんでした。自分で見に行けばよかったのかもしれませんけど、行くことができませんでした。
私はいつも、彼女の食パン工場の話は、彼女が実際に見てきたそのままの話だと思って聞いていました。だってそうでしょう。ぜんぶ嘘なんだったら、あんなに詳しく説明しなくてもいいじゃないですか。どこにもないものを正確に話す必要がどこにあるんですか。
でも、嘘でも別によかった。私は食パン工場に就職しようと思っていたわけじゃないし、ほんとうじゃないと困る理由もなかった。
むしろ…、嘘でよかったと思っていたような気さえします。だって、ほんとうの話なら、自分で調べることもできるし、別のひとに聞くこともできる。自分で見て、聞いてくればいい。だけど、嘘の話の中のことは、嘘をついてる人の話を聞かないと何ひとつわからないんです。
私は、彼女が私に話してくれる食パン工場の話を聞くのが楽しかったんです。」
(やはり月は黙っている。)

「どうして嘘なんかついたのか、とは思いません。嘘をつくことはそんなに特別なことじゃないと思うので。
でも、嘘なんだからいつまでも話し続けることができたはずだと思うんです。どうして、そう、ならなかったんでしょう。彼女が、嘘をつくのをやめたからです。全部嘘なのよ、っていう言葉だけが嘘じゃなかったとしたら、ですけど。でも。
もし、嘘なのよって言われなかったら、その話を私はいつまでも聞いていられたんでしょうか。どっちにしろ、食パン工場の話はいつか終わったのかもしれません。
食パン工場のこと。ここを通るたびに思いだすわけじゃないんですよ。かといって、すっかり忘れてるわけでもないんです。今日はただ、話の流れでこういうことになってるだけです。」
(月は黙っている。)

「この先に食パン工場があるのかないのか、未だに私にはわかりません。
あるような気もするし、ないような気もします。彼女は、食パン工場がある、とも云ったし、ない、とも云いました。なのに私がどっちなのかを決めるのは嫌なんです。
あなたがこの道を行くとしたら、そこに食パン工場があれば行きあたって戻ってくるでしょうし、食パン工場がなければ、そのまま、止まることなく進んでいくでしょう。
ここでそれを見ているのは嫌なんです。
すごく長い説明になってしまいましたけど、…そういうわけで止めてるんです。」
(月は黙っている。)

「ほんとに何も言わないんですね。…もしかして。」
(ちょっと後ろへ下がってみる。)(月はごろん、ごろん、と音をたてて少しだけ動く。)
(もうちょっと後ろへ下がってみる。月はごろん、ごろん、と音をたてて、さらに少しだけ動く。)
(重要なことに思い当って、何度か試してみる。)
「……私、邪魔になってますか?」
(月は黙っているが、今度は動かない。)

「通れなかったんですね。すみません。気がつかなくて。いってくれればよかったのに。」
(月は黙っている。)

「……やっぱりまっすぐ行きたいですか?」
(月は黙っている。)

「月って、たしか、通る道が決まってるんですよね。
軌道っていうんですか?勝手に変更したりできないんですよね。」

(月のために、道を開ける。今度は後ろに下がるのではなく、きっちり横に外れて、月が通れる幅を確保する。)

(ごろん、ごろん。月は、再び大きな音を立てて、前方へ転がりはじめる。ごろん、ごろん、ごろんごろんごろんごろん。)(何も言わず、まっすぐ、進んでいく。)

「この道は、あなたの軌道なんですね。」
(月は転がっていく。)
「あなたがまっすぐ行くっていうことは、まっすぐ行けるってことなんですね。」
(月は黙って転がっていく。何事もなかったかのように。)
(ごろん、ごろん、ごろんごろんごろんごろん…。遠ざかっているその音を私はぼんやりと聞いている。)
(ごろん、ごろん、ごろんごろんごろんごろん…)
(音は少しずつ遠ざかり、そして、止まった。)
(止まった?)

(道の先を見る。月の姿はもう見えない。あたりは暗く、しんと静まり返っている。
戻ってくるのだろうか?でも何も聞こえない。)
(やがて。ガチャガチャと音がする。鍵の音?そして、門の開く音。門の、開く、音????)

(ごろん、ごろん、ごろんごろんごろんごろん。
月は再び転がり始める。が、音はこちらに向かうのではなく、さらに遠くへ向かっていく。
どこを通って?どこへ向かって?)

「丸い月は、いつもあなたなんですか?」
(誰も何も答えない。)
「あの、食パン工場の話にいつも出ていた丸い月は…。」
(誰も何も答えない。)
「答えなくていいです。私が今夜出会ったあなたのことは、私が考えて私が答えます。」
(何も起こらない。)
「今夜はいい月夜です。
あなたに今夜会ったのは、今夜が満月の夜だったからですね。きっとこれまでにもあったんです。これまでにもあって、これからもあって。そんなたくさんの夜のうちの、今夜はそのひとつなんです。」
(何も起こらない。起こらなくていいのだ。)
空を見上げる。今、頭の上にある空と。そして…
(……いや。違う。)

(何か動いてる?どこに?道のむこう?どのくらいむこう?
遠くの空に、丸い月がひとつ。
どうしてあんなところに?
この道を転がっていったはずなのに。
……今夜は、月夜だから。

丸い月はこの道を転がっていった。
この道をどこまでもどこまでも行って、見えなくなった。
見えなくなった月は道の向こう側へ行った。
遠ざかっていくものは見えないけど、遠くにあるものは見える。
むこうがわは遠くにある。遠くには空がある。
空には道がない。
丸い月はどこまでも進む。
道がないのでまっすぐ進まない。
転がることもない。
傷ついたり、欠けたり、汚れたりすることもない。
道がないので、道幅におさまることもない。
大きくなる。
小さくなる。
点滅する。
回転する。
跳ねる。
飛ぶ。
消える。
ぶつかる。よける。
伸びる。どこまでも伸びていく。
ずんずん進む。とまる。

こまかい部分をあいまいにしないこと、不明な部分を作らないこと。
こっちに向かってくる。いや、遠ざかっていく。
もう1回やってくる。こっちへもまわるのか。
空高く。空高く上がっていく。
この丸い月は今夜の空の月。
私の歩く道の上に今夜出ている丸い月。)

「…それは、満月の夜のことでした。」

月は空にあって。
私は道を歩いて帰る。

終わり

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久野那美
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