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さよなら

登場するもの: 母
        男

男 じいちゃんが亡くなって5年。こんな暑い季節だった。呆けてるばあちゃんをひとり残して逝ってしまった。じいちゃんは最後にばあちゃんの顔を見て、「さよなら。」と言って目を閉じた。誰かが声を出して泣いた。あわただしく人の行き交う中ばあちゃんだけは顔色もかえず静かに座っていた。汗もかかずに、涼しい顔をして遠くを見ていた。にっこり笑って頷いたようにさえ見えた。そんな場所からもひとりだけはみ出してしまったばあちゃんが、とても可哀想だった。
  
  そのばあちゃんも去年の暮れに逝った。
    
暑い。
セミの声が耳につく墓地。
手桶と柄杓を持った二人が墓前で掃除をしている。
水をかけたりして…やがて一段落。
 
母  めずらしいね。あんたが盆に帰ってくるなんて。
男  そう?
母  そうよ。仕事仕事ってほとんど帰ってこない。電話してもいつもいない。身体壊してるんじゃないか心配で…ひさしぶりに顔見て安心したわ。
男 ばあちゃん、じいちゃんに会えたかな。
母 一緒に帰って来るんじゃない?
男 もう来てるかな。    
母 そのへんに来てるかも。
男 なんで盆に帰ってくるのかな。こっちは今暑いのに…。
母 死んだ人はもう暑くないんじゃない?
男 そうか。
ふたり、しばらく墓前に…。
やがて。
 
母 あんた、結婚しないの?
男 何、突然。
母 だってめったに会わないから、会ったときに聞いとこうと思って。
男 …しないよ。まだ。
母 そう?
男 しませんよ。まだまだ。
母 そう。どうして?
男 まだ無理だよ。全然。
母 どうして?
男 どうして…って…。この先どうなるかまだわからないのに…。無理に決まってるじゃない。今は誰ともどんな約束もできません。
母 …(黙って、何か考えている)
男 どうしたの?
母 (笑っている)
男 何?
母 面白い話、教えて上げようか。
男 何?
母 昔昔。あるところにひとりの若者がおりました。若者があるとき、ある娘に恋をしました。
男 …何?昔話?
母 そう。昔話。
男 …なんで?
母 思い出したから。
男 ふうん。…それで?
母 一生懸命な若者の気持が伝わったのか、やがて娘もその若者のことを思うようになりました。若者は、その娘と結婚したいと思いました。けれども、まだ彼は若くて貧乏でした。お金も安定した仕事もない彼には、彼女に約束できることが何もありませんでした。
男 …あーそういうことか。でも…ほら。
母 けれども(無視して続ける)ある日。若者は娘に言いました。
「私と一緒になってもらえませんか?明日のこともはっきりしない私があなたに結婚を申し込む資格があるのかどうかわからないのですが、これから先の人生を最後まであなたと一緒に生きていきたい。私のいちばん最後の「さようなら」は、あなたに言いたいのです。他の誰でもなく、あなたに。」
男…それでその女の子、なんて返事したの?
母 娘は考えて、そして言いました。「それは約束ですか?」
男 …。
母 「ええ。この先どんなことがあっても。それだけは約束します。」若者は答えました。
男 …どうなったの?
母 娘は若者と結婚し、長い長い時間を一緒に過ごしました。
男 …幸せになった?
母 幸せなときもあったし、幸せでないときもありました。
男 じゃあその結婚…成功だったの?失敗だったの?
母 成功だと思ったときも、失敗だと思ったときもありました。
男 それじゃあ…
 

 
男 それでその約束は結局守られたの?……………あ…
 
男はふと黙り込む。
寺の鐘が鳴る。
 
母 (笑っている)昔々。おじちゃんがあんたよりも若かった頃の話。
男 ……それじゃあ…。
母 うん。
男 なんで知ってるの?
母 おばあちゃんに昔…。
男 なんか…かっこよすぎるよ。おじいちゃん。
母 律儀なひとだったからね。それがおじいちゃんのいいところ。
男 ばあちゃん、信じてたのかな。
母 だから結婚したんでしょ。
男 …
母 参考になりますか?
男 うーん。
母 別にまねしなくてもいいのよ。
男 しませんよ。


 
母 帰ろうか。
男 うん。
母 来年もまたおいで。
男 うん。たぶん。
 
鐘の音。夕刻が近づいている…。
 
男 はみ出してたのは僕らの方だった。あのときばあちゃんが聞いた「さようなら」は、70年かけて届いたじいちゃんのプロポーズの言葉だ。  

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久野那美
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