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それは演劇なのか?

「存在を認識されないこと」は否定されることよりはるかに哀しい。次元の違う、解決不能な哀しみ。相手が認識していないものについては議論することも説明することもできない。相手が認識していないものについて切実に語る姿は、認識していない相手から見れば、観念的な言葉を弄して虚構を語るスノッブな態度に見えるだろう。(あるいは、認識していないことを非難したりマウントとったりしているように見えるかもしれない。)

世の中には、「普通は、無いよね」と根拠もなく言われてしまうものが実はたくさん、たくさんあって。もう、それは日々あちこちにあって。
同じ言葉で表現するもの、見えている世界は悉く違っていて、でも、同語反復だけど、自分が何かを認識できてないことは本人には意識できないので、その認識のずれは「見えている側」の人からしか指摘できないから、指摘された側の対応としては、「そんな考え方もあるんだね。でも、<普通は、無いよね>」となる。

この世界の認識のずれは、自分がそれによってダメージを受けない時には知識を伴って意識しなければ認識することはできない。逆に言うと、自分が全く気付かない幸せな時に、まさにそのことによって誰かの切実さが無効にされその場から疎外されているということで、そしてそれは日々にあちこちで起こっている。

そこで演劇なんだけど…。

演劇は<存在>の可能性に満ちている。
ひとつのものをたくさんの視点や方向から見ることができるから、たいていのものを「存在させる」ことができる。「存在しない(と誰かが思っていた)ものを存在させる」「見えてなかったものをみつける」ことができる。演劇は存在と認識のための装置だ。

誰も知らないものでも舞台の上にあげさえすれば、有無を言わさず反論の余地なく「存在」させることができる。
客席を創れば登場人物は認識される=存在できる
言葉にすれば、それまで言葉にできなかったものが存在できる(ソシュール的な意味で)言葉にしなくても、重力や光や、音を利用して存在させることもできる。
完結した物語にすれば、それ以外の言葉では誰も説明できない物でも存在させることができる。(相手の知っている)言葉を使ってで救い上げなくても「存在」させることができる。なんて素敵。
そしてこの素敵さは「存在できないこと」の痛みと裏表だ。

それはとても辛くて痛いことなので、できるだけ馬鹿馬鹿しい物語にくるんであげたい。私が演劇を創りたいと思う理由はそれで、それ以外の何でもなく、それなのだ。それは、もしかしたら「演劇」ではないのかもしれないけれど、私が創りたい演劇はそういうものであってそれ以外のものではないのだ。

30年前と比べれば、今は、「なかったはずのもの」を救い上げることに対して世界は少しずつ関心を増しているような気がしている。
<ない>とされていた脳や身体の困難、<ない>とされていた性、<ない>とされていたストレス(セクハラなど)、<ない>とされていた家族の在り方、を可視化して、議論の土壌にあげることが少しずつだけど増えてきている。情報の処理に特別な困難のある子供は「嘘をつくんじゃありません!」と叱られるのではなくサポートする教員を配置してもらえたりする。誰にだってできないことがあって、誰だって、他の人から見れば「あり得ない」世界を生きている。

それでも、まだまだまたまだたくさんの「ない」はずの「ある」ものが世の中にはあふれているはずで、演劇はそれを手作業でひとつずつ可視化していく可能性をもった媒体だと思っている。
全く違う場所からものを見ているひとを同時に同じ比重で描くことができるので、ひとつの時空間にたくさんの物語・たくさんの世界を重ねておくことができるから。

自分の日常を簡単に日常と呼びたくないし、他人の日常を簡単に非日常と呼びたくない。「これは虚構?」「観念的な言葉はどのように扱えば…?」「これは何のメタファ?」と混乱した時、
「ひとつの言葉やものが、前提を違えば全く別の意味を持って存在し、別々の意味はひとつの言葉や場所の中に共存できる」ということは特別なシチュエーションで起こることでは決してなく、今ここでもおこっているかもしれないことであり、むしろそれこそが世界の性の様なものだという前提にたてば見えるものが変わってくるのではないか。
「サブテキスト」と言う言葉は、メインが別にあるみたいであまり好きじゃない。ひとつの台詞・ひとつの言葉には<原則として複数の意味がある>と思っている。演劇はそれを可視化できる。

「人は、自分の想いもよらない場所から同じ世界を見ているかもしれない」
「だから、どんなものも、誰かの世界の中には存在することができる」
というのが私にとっての演劇なんだけれど、それは果たして演劇なのかどうか…創りながら観ながら、ずっと考えている。

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久野那美
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