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パノラマビールの夜(6人60分)

脚本:久野那美  表紙写真:紅たえこ  

(1997年箱の階・2018年匣の階上演台本)


※上演に際するお問合わせは xxnokai@gmail.com まで

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登場人物(6人)

人形・展望台の女 
旅人
天文学研究会のメンバーQ(会長)PLR    

《1》

遠くで波の音が聞こえる。
風の中。星明かりに、じんわりと目が慣れてくる。
背中に大きなねじのついた人形が、遠くの空を見上げている。
古ぼけた、いびつな形の野暮ったい人形。
しばらく。
小さな物語を、人形は語り始める。

人形 遠く離れた二つの町がありました。
うっかりすれば遠くにあることさえ忘れてしまうほど、
二つの町は遠いのでした。
あんまりに遠いものですから、道は途中で足りなくなって途絶えていました。
互いの町を行き来する手段は何もありませんでした。
いつの頃からだったでしょうか。
互いの町がちゃんと遠くにあることを忘れないでいるために、
二つの町は夜になると小さく灯かりを点すようになりました。
夜になるとどちらの町も新しい灯かりを点し、遠くの灯かりを眺めるのでした。どちらの町も、何があっても灯かりを絶やさないように注意していました。灯かりを点しておくと、「寂しく」なくなるような気がしたのですが、
それが自分の町のためになのか、遠くの町のためになのか、よく分かりませんでした。

北風が吹き抜ける。寒い。

人形 (背中のねじをさわってみる。空を見上げる。遠くを見て、何か考えている。)

しばらく。

人形 (あ。)

闇の中に、静かに光る小さな灯かりが見える。
いつまでも、人形はその場所に立ち尽くし、遠くの灯かりを見上げている。
いつまでも…。

空には星。
大きなオリオン座が一瞬、激しく瞬いて、闇の中に消えていく。
やがて人形も…。

波音の向こうから、町の雑踏が透けてくる。

《2》

夕刻。
人気のない展望台に、北風が吹いている。
売店の前に広場があり、安っぽいテーブルと椅子がいくつか置かれている。
空き缶が転がり、ビニールの旗がはためいている。

長い長い階段を、大きな箱を持った旅人が上ってくる。
最上段の手すりに寄りかかり、遙か眼下に町を眺める。
箱を降ろし、大きく伸びをする。
空を見上げる。
だいだい色の雲が長い影を引いてゆっくりと動いていく。
しばらく。
エプロンをかけた女が一人。売店から出てくる。

旅人を見つける。しばらく、見ている。
旅人は大きく息を吸い、伸びをする。遠くを見下ろし、何か、考えている…。
女、旅人を見ているが、やがて近づいていく。
旅人は気づかない。
やがて、物語の一節を口ずさむ…

旅人 …遠く離れた二つの町がありました。
うっかりすれば遠くにあることさえ忘れてしまうほど、
二つの町は遠いのでした。
あんまりに遠いものですから、道は途中で足りなくなって途絶えていました。
互いの町を行き来する手段は何もありませんでした。
いつの頃からだったでしょうか。
互いの町がちゃんと遠くにあることを忘れないでいるために、
二つの町は夜になると小さく灯かりを点すようになりました。

女、手を止め、思わず聞き入っている。

旅人 夜になるとどちらの町も新しい灯かりを点し、遠くの灯かりを眺めるのでした。
どちらの町も、何があっても灯かりを絶やさないように注意していました。
灯かりを点しておくと、「寂しく」なくなるような気がしたのですが、
それが自分の町のためになのか、遠くの町のためになのか、よく分かりませんでした。

長い時間が過ぎました。
ふたつの町はとても大きく、明るくなりました。
もう、町には闇がなくなりました。
お互いの灯かりは町の中まで届かなくなりました。
いつしか二つの町は遠くの町のことを思い出さなくなりました。
自分の町を十分に自分の灯かりで照らせるようになったのです。
町は幸せでした。遠くの町も幸せでした。
長い時間が過ぎました………

旅人はふと、言葉を止め、何か考えている。

旅人 ……あるとき……
困ったことが、起きました。

後が続かない。町を見下ろしたまま、しばらく何か考えている。

女、旅人の話が終わってしまったので、困惑している。
旅人、ふと、知らない女がこっちを見ているのに気づく。

旅人 あ。

女、じっと旅人を見ている。

女 あ。

おたがいに、なんだか困った。

しばらく。

旅人 …いや。どうも…。
女 こんにちは。

女 …あの…気にしないで、続けて下さい。私気にしませんから。
旅人 いえ失礼しました。こんなところに人がいるとは思わなかったものですから。つい。
女 こんなところ。

旅人 いや…。まあ。
女 昔話ですか?
旅人 …え?…ああ……そうです。
女 どんな話?
旅人 町の話です。
女 町の話?
旅人 昔どこかで聞いたことのある小さなふたつの町の話です。
女 町…。その町は、
旅人 あなたは?
女 仕事を。
旅人 仕事?
女 お店ですからね。私の。
旅人 (周りを見る。売店のようなものが近くに立っている)
ああこれは失礼しました。こんなところに…
女 飲みますか?
旅人 え?
女 飲みませんか?
旅人 …え…ああ…はい。
女 ちょうどね、いい具合に冷えてますよ。ちょっとだけ。待ってて下さい。
旅人 ?
女 もうすぐ準備できますから。
旅人 あ…

女はくるりと旅人に背をむけ、店の中へ入っていってしまった。
旅人はなんだかわからないまま立ち尽くしている。
やがて店の中から女が手にランプとテーブルクロスを持って現れた。
旅人を見て、にっと笑うと、カウンターの上のラジカセのスイッチをぽんと入れた。
スピーカーから、モダンな音楽が流れて来る…。
女は楽しそうに、慣れた手つきでテーブルや椅子を整え、テーブルクロスをかけ、
各所にランプをつり下げる。
みるみるうちに、なんだか雰囲気が変わってくる。
ここは…

旅人 ここは…
女 休憩所です。
旅人 こんなところに?
女 休憩所は、人が疲れるところにあるものです。
旅人 …はあ。
女 下から、ずうっと歩いてきたんでしょ。
旅人 ええ。
女 疲れたでしょ。
旅人 え。でも…
女 景色を見に来たんですか?
旅人 ええまあ。なんとなく。
女 下の方までよく見えるでしょう。今日はお天気がいいから。
旅人 …。
女 もう、すぐ、暗くなるけど。
旅人 ええ。
女 この辺は、初めてですか?
旅人 …ええ。
女 観光?
旅人 いえ。
女 お仕事ですか?
旅人 ええ…。まあ。
女 そこへ掛けて下さい。今、用意します。

旅人は言われるまま、近くの椅子へ腰掛ける。
女は忙しそうに店の中と外を行き来している。
カウンターの上の布をひょいとどけると、大きな樽が現れた。
旅人はぼんやりそれを眺めている。

やがて、女が大きなガラスのジョッキを盆に乗せ、運んできた。
ひとつ、選び出し、大樽からジョッキにたっぷりとビールを注ぐ。

女 (旅人のテーブルにビールを置く)
旅人 あ…
女 はい?
旅人 これは…
女 お待たせしました。
旅人 ビール?
女 まだ、ちょっと明るいけど。
旅人 いや…その…。
女 …ビール、嫌いですか?
旅人 いえ。大好きです。
女 よかった。
旅人 ここ、
女 はい?
旅人 ビール、飲めるんですか。
女 夜はビアガーデンですから。ビール飲むところです。
旅人 …。

女、自分の分もジョッキを用意し、樽からビールを注ぐ。
ビアガーデンに北風が吹く。寒い。
女、ジョッキのビールを一気に飲み干す。

旅人 …寒くないですか?
女 寒い中できゅうっと飲むビールがおいしいんです。
旅人 …きゅうっと…ね…。
女 はい。きゅうっと。

だんだん、日が陰ってくる。
空が青紫色になり、ランプの灯かりに影が揺れる…。
女は丹念に掃除をし、開店の準備をする。

旅人は、なんとなく女の様子を見ている。

女 何か?
旅人 いえ…。
女 ピーナツ、出しましょうか?
旅人 いえ…。(じっと、女の顔を見ている)
女 何ですか?
旅人 いえ…。
女 そうですか。

旅人 あの。
女 はい?
旅人 失礼ですけど…
女 はい。
旅人 客、来るんですか?
女 来てるじゃないですか。
旅人 いや……。でも、私はちょっと、偶然に通りかかっただけで、別にここへビールを飲みに来たわけではないんです。
女 いろんな人が、いろんな理由でここへ来ます。ここへ来た人が、ビールを飲みます。
旅人 …。

女 そのうち、ね。
旅人 そのうち…。

女は店の中からピーナツの入った大きな籠を運んできた。
奥のカウンターに座り、慣れた手つきで殻を剥き始める。
旅人は、とりあえず、席に腰掛け、出されたビールを飲んでいる。

やがて。女はピーナツを剥きながら、カウンターごしに旅人に話しかける。

女 大きな箱ですね。
旅人 はい。
女 何が入ってるんですか?
旅人 …あれですか?
女 ええ。それです。
旅人 …人形です。
女 人形?
旅人 ええ。人形劇の。
女 あの…失礼ですけど、お仕事は?
旅人 失礼じゃありません。人形劇です。
女 人形劇。
旅人 これを持っていろんな町を回ってね、人形劇を。
女 あら。
旅人 流しの人形劇屋です。
女 そういうのの流しもあるんですか。
旅人 ええ。
女 ご自分で作られるんですか?
旅人 人形も。物語も。
女 どんな?
旅人 どんなって、いろいろです。
女 ピノキオとか?
旅人 壊れやすい形のものは作りません。あまり嵩張るものも作りません。
壊れやすいものや嵩張るものは、運ぶのが大変ですから。
女 …。

女 人形劇…
旅人 見たことないですか?
女 昔…。あったかもしれません。

女 人形は…なんだか怖いです。
旅人 どうしてですか?
女 どうしてかな。こっち見てるような気がするからでしょうか。
どこ見てるかわからないから?生きてないのに、生きてる振りしてるから?
旅人 生きてますよ。
女 (笑って)…子供は、そういいますね。大切にしてる人は。
旅人 「人形にも心があるんです」
女 (笑っている)
旅人 「ちゃんと何かを見たり聞いたり、働きかけたりしているんです」
女 (笑っている)
旅人 …と、私は思いません。
女 ?
旅人 人形たちはほんとうに何も見ていないし、何も聞かない。何にも、ほんとに働きかけたりしない。人形が自分たちの方を見ていると思ってるのは私たちです。
女 私たち…。どうして?
旅人 誰かに見ていて欲しいからです。寂しいからです。
私は、人形たちを、とても優しいと思います。でも、そういうふうには優しくないんです。
女 …。
旅人 子供が大きくなって人形を手放すのは、人形の心が分からなくなってしまうからではないと思います。人形には、私たち人間に分かるような「心」が、はじめから備わってなかったことに、気づいてしまうからです。
女 …。生きてるって(言ったじゃない)
旅人 私たちには絶対に分からないような方法で。
女 ??
旅人 気持ちを通わせられる相手にしか生きている証を見つけられない、というのは、私には、とても傲慢な考えに思えます。

女 あなたはどうして、人形を作るんですか?
旅人 …(黙っている)。

女 …。
旅人 彼らは、ビニールで、プラスチックで、セルロイドです。命や、心を持ちません。自分の外側の世界と接する方法をもちません。

女には、なにがなんだかよくわからない。

旅人 私は私の人形たちと会話することができません。
人形はどうしても人間ではないから、同じ言葉で話をすることができないんです。
私が彼らに語りかけるためにできることがひとつだけあります。彼らに似合う素敵な物語を作って、その中に並べてやることです。
女 物語。
旅人 ひとつ、人形ができあがると、その人形に似合う物語が生まれます。その人形を置いてやりたくなる風景が目の前に浮かんできます。
女 物語。
旅人 そうすると、私はその風景を、どこかで見たことがあるような気持になります。
気持になる、だけなんですが。

旅人 人形を作って、物語を作って、たくさんの町を回ります。たくさんの町へ行きました。

女 私の生まれた町にも、人形が来たのかしら。
旅人 行ったかもしれません。いろんな町へ行きましたから。
女 …

女 人形…。
旅人 ……と、いうのが私の仕事です。
女 はあ…。
旅人 難しい仕事です。
女 は?
旅人 仕事というのは、難しいものです。
女 …はい。

しばらく。
北風が吹く。寒い。女は豆を剥きながらビールを飲んでいる。

女 さっきの話。
旅人 え?
女 町の、話…?
旅人 ああ。
女 あれも人形劇?
旅人 …ええ…まあ。
女 誰が出て来るんですか?
旅人 町です。
女 町?
旅人 町がふたつ。
女 町の人形っていうのも、あるんですか?
旅人 人形にはいろんな形のものがあります。
女 町の形の人形。どんな形してるんですか?
旅人 町の形です。あんなふうな…(眼下を見下ろして)
女 あんなふうな…(町を見下ろす。考えてみる。よくわからない。)

女 いろんな町を回るのは、楽しいですか?
旅人 ええ。
女 一つの町に長い間いるんですか?
旅人 長い間いるときもありますし、そうでないときもあります。
女 町を出るときは、どんな気持ですか?
旅人 …(女の顔を見ている)
女 ?
旅人 どうして、そんなこと聞くんですか?
女 いえ…別に…

旅人 今ね。どきっとしました。
女 え?
旅人 残してきたんです。
女 …。
旅人 あなたにとてもよく似ています。
女 は?
旅人 ある町に…残してきたんです。
女 …
旅人 あなたに、とてもよく似ています。
女 (ちょっと困った顔をする)
旅人 酔ってるんでもないし、口説いてるんでもありません。
女 あの…。
旅人 ほんとによく似てるんです…。
女 はあ…。

女、そういわれても、なんだか困る。それはそうだろう。

旅人 歌を、歌うんです。
女 そのひと?
旅人 ひと………。踊るんです。踊っていました。
女 踊っていました。今は?
旅人 …。
女 ふうん。
旅人 …気を悪くしたらすみません。
女 どうして?

女 歌を…。(ひとりごとのようにつぶやく)

北風が吹く。寒い。

旅人 その町から出る日、私は彼女を岩の上に残してきました。
女 どうして?
旅人 そこが彼女の場所だと思ったからです。その、町の風景が。
他の方法が、思いつかなかったかったからです。

女は混乱している。

女 どんな町ですか?
旅人 壊れた町です。
女 え?(ほんとうにびっくりする)
旅人 ビールをもう一杯、いただけませんか?

女、何か言いかけるが立ち上がり、旅人のジョッキを受け取る。

旅人 今でも彼女は…

突然、人の声がする。
旅人、ふと、押し黙って、階段の方を見遣る。
…大きな荷物を抱えた四人組が階段を登ってきた。
ざわざわと、喧しい。

旅人 …

四人組は階段を上りきるとあたりを見回し、そこいらの物を片づけたりしている。
やがて。

R この辺でいいですか?
L んー。もうちょっとこっちの方がよくないかな。
R そうですか?
L そこだと通る人の邪魔になるし。
R そうか。
Q 通行の邪魔になるのはよくないですよ。
R じゃ、こっちにしますね。

四人組は荷物を降ろし、あたりを見回している。
持っていたござを丁寧に広げ、ゴミをはらったり、四隅をジョッキで押さえたりしている。

旅人 …なんでしょう。
女 こんばんは。
Q こんばんは。
P こんばんは。
L こんばんは。
R こんばんは。
女 早いんですね。今日は。
旅人 お知りあいでしたか。
女 天文学研究会のみなさんです。
旅人 …なんのみなさんです?
女 天文学研究会です。
旅人 天?
女 (空を見上げる)星ですよ。
旅人 (空を見上げる)…ああ。
女 まだ明るいけど…飲みます?
P  あとでいいです。準備してから。今日は忙しいから。
女 今日は何か?
P あれですよ。
女 ……え!?もしかして、あれですか。
P そうなんですよ。あれなんです。
女 あら。
P 降ると思ったんですけどね。
女 降ってませんね。
P ええ。
女 よかったですね。あれ…今日なんですか。
P はい。今日なんです。
旅人 …あの…
女 あ。ごめんなさい。こちらは…えと…
旅人 ちょっと通り掛かった客ですが…。こんばんは。
四人 こんばんは。
女 町を、眺めにいらしたんです。
Q ほーお。町を。
旅人 ええ…まあ…通り掛かったんで。
Q ここからは、よく見えます。
旅人 …ええ。
Q 展望台ですからね。
旅人 はい…。

旅人 あなた方は…星を?
Q ええ。ここからは星も見えますから。
旅人 はあ。

旅人 あの…
R はい?
旅人 今日は何か?
R ちょっとね。特別な、日なんです。
旅人 …はあ。

旅人 月食ですか?

四人、「なぜ?」と旅人を見る。

R …どうして?
旅人 …あ、いえ…
R 違います。月食じゃありません。
旅人 では…彗星かなにか…。
R 違います。
旅人 うーん…。
L 星がなくなるんです。
旅人 え?
L あの辺りにある、ずうっと、ずうっと、遠くにある星が、今日真夜中過ぎになくなるんです。
旅人 星が…ですか。
L ええ。
旅人 なんという名前の星ですか?
Q 名前?(思いがけないことを聞かれて困っている。Rに振る)
R (振られても、困る)…名前は…ちょっと…わかりません。
旅人 …はあ。…その星は、どこにあるんですか?
Q どこって…(Rに)
R 遠すぎてわかりません。
旅人 だってそれじゃ…
R (適当なところを指さして)きっと、あのあたりです。あのあたりの、ずうっと、ずうっと、ずうっと、遠くにあるんです。
旅人 はあ。

旅人 私は…その…天文学の方面にはあまり明るくないんですが…、そんな、ずうっと、ずうっと、ずうっと、遠くにある星が壊れる時、そういうことって分かるものなんですか?
Q 天文学は明るいとだめですね。星が見えませんから。
女 ここは暗いですよね。まあ、あんまりお客もこないし。
旅人 …。

旅人 あの…
L はい。
旅人 荷物は…ええっと…それだけですか?
L は?
旅人 あの…こういうのは(望遠鏡を…)?
L そういうのは…
R そういうのを買うには、ものすごくお金がかかるんです。
旅人 はあ…。
R それに重いし。運ぶのも。
旅人 …。
R 遠くにある星は、遠くにあるんですから、見えなくていいんです。
遠くにある星が見えたら、なんだか、遠くにない星みたいな星になってしまうし…。
道具を使えば、ずいぶん遠くまで見えるけど、でも、結局、いちばん遠くにある星は見えないんだから。全部見えてるような気分になってしまうと、ほんとにいちばん遠くにある星を仲間外れにしてるみたいで、なんだか…。
私たち、天文学研究会の活動は…
Q 考えるんです。
旅人 ?
Q 遠くの星のことを、考えるんです。
旅人 考えるんですか。
L ええ。見えない星のことを、じいっと、こう、考えてますとね、そのうち、そこはなんだか、ほんとうはとてもよく知ってるところのような気がしてくるんです。考えてるんじゃなくて、思い出してるんじゃないかという…そんな、気がしてくるんです。
旅人 今日、なくなる星は…
P とっても優秀な天体望遠鏡でも、やっぱり見えないんです。ものすごく、遠くにある星なんです。
旅人 ものすごく、遠くにある星なんですか。
P ええ。
旅人 そうですか…。
L 私たちはとても貧乏なんです。
旅人 はあ…。
女 ねえ。
P はい。
女 そういう星が、ほんとに、その、ちゃんと、そこにあるって、どうして分かるんですか?
Q …ほんとうに、ちゃんと、そこにはないのかもしれません。
見えないけれど、遠くのどこかに、ちゃんと在る星なのかもしれない。もしかしたら、ほんとはどこにもない星なのかもしれない。私たちにはわかりません。分かってるのは、その星が、今日、真夜中なくなって、消えてしまう…、ということだけです。
女 星…。

旅人 真夜中まで、まだ時間がありますよ?
L 飲みましょう。
旅人 この店は、そんな時間まで開いてるんですか?
女 朝まで開いてます。誰が、いつ、どんな理由で通りかかるか分かりませんから。
旅人 真夜中まで、まだ、ずいぶん、時間があります。
Q 飲みましょう。(自分のジョッキをカウンターの上へ置く)すいません。ビールをおねがいします。

残りの三人もそれぞれ自分のジョッキを持って並んでいる。

女、遠くを見てなにやら考え込んでいる。

旅人 …すみません、ビールを…
女 …ああ。はい。
(ジョッキを持ったまま店の中へ入っていく)
五人 ?(女の姿を目で追う)

女は戻ってこない。

しばらく。

やがて、四人は互いに顔を見合わせ…

L あの(声を潜め、おそるおそる旅人に話し掛ける)
旅人 …は、はい…
L ちょっと…ですねえ。
旅人 はい…。
L さっきから、気になってるんですけど…
旅人 …なんでしょう。
L 大きな箱ですね。
旅人 …あ。(なんだ。ほっとする。箱のことを尋ねられるのには慣れているのだ。)

と、他の三人も寄ってくる。

R いい箱ですね。
L ほんとにいい箱だ。
P 縦と横のバランスでしょうか。
Q バランスだけじゃだめです。この、大きさがいいんです。ねえ。
旅人 …はあ。
Q ちょっと、持ってみていいですか?
旅人 …は?
L 会長にはちょっと地味なのでは…。
Q わかってます。(Rに)君、ちょっと持たせてもらいなさい。
R いいんですか?
旅人 …どうぞ…。

R、箱を両手で持ってみる。なかなかいい具合。

R こう、ですか?
P ………似合う。
Q うーん。なかなか。
旅人 あの…
R 箱は、私たちの研究会のシンボルなんです。
旅人 …は?
R …ほら。

4人とも、腰や首から鈴のように小さな箱をぶらさげている。

旅人 …箱…ですか。
Q ええ。先代が大の箱好きでね。
旅人 先代?
Q この研究会の創始者です。
旅人 …そんなに歴史ある団体だとは知りませんでした。
Q いえ、今年で二十年です。まだまだ、若輩者です。
旅人 その方が、箱を?
R 箱は天文学の象徴なんです。
旅人 はあ…。
Q 飲むと口癖のように、そう言ってました。
人間が、宇宙に思いを馳せて、そして箱が生まれた…。
旅人 ?????
Q 呪文みたいなことばっかり、言ってる奴でした。
旅人 はあ…。
Q 双方に酒が入ってるからか、いつもよくわからないことをつぶつ言ってるんですけど、なんか妙に説得されるんですよ。
旅人 …はあ…。
Q さ、壊さないように降ろしなさい。

R、箱を降ろす。

旅人 (やっぱりよくわからない)…天文学?
R 平面と、直線。
旅人 ???(もっとわからない)飲んでる内に分かってくるものでしょうか?
R おかわりビールもらってきましょうか?
旅人 いえ…。
R そうですか。
旅人 みなさんは…、強いんですか。
L 毎晩飲んでますから。
旅人 …なんの研究会でしたっけ?
R 天文学です。星ですよ。
旅人 はあ…。
L 人間は、壺を発見しました。天体は、箱を発見しました。
旅人 箱と壺っていうのは、対立概念なんですか?
L ええ。
旅人 ???
Q ものを入れるために、人間が最初に作ったのは、箱じゃなくて、壺だったんだと思うんです。壺は人間の姿をしています。左右対称で、天地があって、側面が曲線で。人間が壺を作ったのはとても自然なことだったと思うんです。
けれどもある時人間は、どういうわけか箱を作ってしまった。
これは実に不自然なことです。
旅人 不自然?
Q 平面と直線。自然界には平面も直線もありません。自然界に箱形の生き物はいないんです。私たちは、平面や直線を、発明しなければなりませんでした。
どうやって?
天体です。太陽の作る影や、月や星の見える角度。
直線というのは観念です。観念というのは、絶対に届かない、遠くの場所に思いを馳せることです。直線というのは、ここと、果てしなく遠くに在るものとの間にある道の形です。果てしなく遠くにある星のことを考えたとき、いろんなものが持ってるゆがみを全部無視できるくらい、遠くの遠くのものを眺めたとき、私たちは、「直線」や「直角」を、手に入れたんだと思います。
旅人 なるほど…
L …先代の受け売りです。
旅人 はあ…。

旅人、何か考え込んでいる

旅人 それで…だから…
Q 箱なんです。(箱のかたちを手で作っている)
旅人 …箱…
Q そういわれるとなんだか、宇宙のロマンを感じるでしょ。
旅人 箱に…
Q 気になり出すでしょ。箱のことが…
旅人 …なんだか、そういわれてみれば…。
Q そんな気になってくるでしょ。
旅人 ええ…。
Q 箱みたら、「あ、箱。」って思うでしょ。
旅人 …。
Q ………そういう奴だったんです。
旅人 それで?
Q (腰にぶら下げた箱をみせる)
旅人 はあ…。

旅人 その方は、今は?
Q 亡くなりました。十年になります。
旅人 …それは…
P 空っぽの箱が好きな人でした。空っぽの場所が好きな人でした。空き地で空を見上げるのが好きでした。すごい近眼だから、星なんか見えるはずないのに、いつも星空を見上げていました。
旅人 …。

P (ふと、思い出したように。Qを見て)「焼け跡の幻想」っていう言葉。
旅人 え?

四人、顔を見合わせて

P 生きてる時はなんだかわけのわかんないことばっかり言ってると思いましたけど、ふしぎなもんで、死んでから何年経っても、妙にはっきり思い出されてくるんです。
ほんとはとっても、単純なことを言おうとしてたんじゃないかという気がするんです。
旅人 残された人間がいろいろ考えるからでしょう。

P 「日常生活の基盤の崩れたところに人はユートピアを求めてしまう。現実感がないからこそ言える、無責任な部外者のファンタジーだ。」
旅人 …?
P 焼け跡の幻想っていうんですって。でもね、彼はこう言ってました。どんな場所に立っている人にも、そこから見えるいちばん綺麗なものを見る権利がある。灯かりを亡くした町から見る星空がいちばん綺麗だということは、悲しいけれど美しい事実だ。「焼け跡の幻想」っていうのは、現実の焼け跡のための物語だ。現実の焼け跡で、実際に、そこで生きていくために必要なファンタジーだ。
旅人 …格言のようなものをいろいろ残された方のようですね。
P そういう人だったんです。
旅人 はあ…。天文学研究会は、彼が?
P はい。今の会長は二代目です。町が壊れてしまったんです。
旅人 !
P 十年前の、今日。
旅人 ?
P そのときにわかりました。
旅人 ?
P 何もかも燃え尽きてしまった一面の焼け野原の中で、呼びかけても答えてくれない彼の頭の上に、見たこともないくらい大きなオリオン座が光っていました。
私は彼との思い出ではなく、遠くの星を見ていました。オリオン座と、そのずっと遠くで変わらず静かに光っている、たくさんの星のことを考えていました。
旅人 ?

いつの間にか女が戻ってきて樽からビールを注いでいる。
やがて、人数分を盆に載せて…。

女 ごめんなさい。おまたせしました。

《3》

真夜中にはまだ少し。
宴会もたけなわ。大きなジョッキにビールを入れて六人は飲んでいる。
頭上にはオリオン座が傾いている。
輪の真ん中にはすでに残り少なくなったピーナツの大皿がぽんと置かれている。

五人が話している後ろで、Qはこっそり旅人の箱を持ってみている。
みんなは無視して飲んでいる。
女は椅子に座り、ピーナツの殻を剥いている。
旅人も何故か輪の中へ入り、話に興じている(??)。

R やっぱり、ビールですよね。
L うーん。
旅人 …ワインなんかもいいかもしれません。
P 星の名前のついたワイン、ありませんでしたっけ。
R サザンクロス。
P そうそう。
L 名前がついてればいいってもんじゃありませんよ。
旅人 …日本酒はどうでしょう。
L どうも…今いち、しっくりきませんねえ。
R 日本酒とくると…星よりも、月ですか。
旅人 …なんだかね。
P 大きさの問題でしょうか。
L うーん。
女 うちは、ビールしかおいてませんよ。
R どうして?
女 ビアガーデンですから(怒)。

五人 …。(ジョッキをつかんでぐいっとビールを飲む)

北風が吹き抜ける。

旅人 それにしても、こんな寒い日に、よくビール飲もうなんて考えましたね。
女 寒い中で、きゅうっと飲むビールが、おいしいんです。
旅人 きゅうっと、ね…。
女 ええ。きゅうっと。
L 樽に入れてるんですか?
女 樽売りなんです。
L はあ…。
P おいしいですよね。ここのビール。
女 広いところで飲むからですよ。
旅人 銘柄は何ですか?
女 銘柄?
旅人 ビールの名前です。
女 名前…。
L キリンとか、サッポロとか。
Q それは、ビール会社の名前じゃないんですか
L 会社の名前がビールの名前になるんじゃないんですか?
Q そんなの変でしょう。じゃあ、同じ会社が二つ目のビールを作ったら、一つ目のビールはどうなるんですか?
五人 …………。

R 名前、ないんですか?
女 ええ…だぶん…。あるのかもしれないけど、私はちょっと…

旅人 名前、つけましょうか。
女 え?
旅人 私は旅人ですから、今夜限りでみなさんとはお別れです。
女 はい…
旅人 でも、もしかしたら、今日の、この時間をいつか思い出すことがあるかもしれませんし、誰かに話したくなるかもしれません。
女 …
旅人 私は、あなたがたの名前を知りません。この山の麓の町の名前も、私たちが今日、見送ろうとしているあの星の名前も知りません。
五人 …
旅人 この……こういう……この……これ……を、説明する言葉が、何もないんです。
五人 ……

L だからって…ビールの名前でいいんですか?
旅人 …いけませんかね…
L いえ…いけないという理由は特に…。

Q つけましょう。それは、なんだか、とても良い考えのような気がします。
L でも、どんな名前をつければ?
R …樽ビール。
旅人 そういう、情緒のないのはだめです。
L (空を見上げて)オリオンビール。
旅人 …ありましたよ。それは。
P ボックスビール。
旅人 …わるくないですけど、ちょっと…
Q スーパーナイト・ビール。
五人 …。

女 パノラマビール。(遠くの町を見ている)
Q …パノラマビール。
P ……パノラマビール。
L ………パノラマビール。
R …………パノラマビール。

旅人 それは、ビールの名前ですか?
女 …飲み方の、名前かもしれません。
Q パノラマビール…。
女 大きいジョッキにたっぷりいれるんです。とっても寒い日に、広いところで、遠くを見ながら、きゅうっと飲むのがおいしいんです。
旅人 パノラマビール…。

L 意味がありそうでなさそうな名前ですね。
Q 先代のことを思い出します。

R 口あたりがいいですよね。
女 そうですか?
旅人 パノラマビール…。(呪文のようにつぶやいている)
女 え?
旅人 …いえ…
女 この店で飲む、ビールだから。
L どういう意味があるんですか?
女 大きいジョッキにたっぷりいれるんです。とっても寒い日に、広いところで、遠くを見ながら、きゅうっと飲むのがおいしいんです。
L  …。
女 なんとなく、思ったんです。

旅人 いいでしょう。陳腐な気がしないでもないですが、他の名前が思いつかなくなってしまいました。
L 口に馴染んじゃいましたね。
旅人 パノラマビール…。
女 …。
Q 意外と単純なことを表してるのかもしれません。
L そのまんまじゃないですか。
女 …。

Q 私も、なんだか口に馴染んできました。
L もう、他のビールは飲めませんよ。
R 銘柄、変えないで下さいね。
女 ありがとうございます。
旅人 …。

Q あの、…おかわりをもらえますか?
女 はい。(ジョッキにたっぷりと注ぐ)

なんだか、一仕事終えたような気分になる。
みんな、遠くを見ながらビールを飲んでいる。

しばらく。

女 あの…。
旅人 はい?
女 さっきの…町の話…
旅人 え?
女 なんだか、気になるんです。ここへ来たとき、ほら…
旅人 あ、
女 あれは、最後はどうなるんですか?
旅人 いや、あれは…
P 町の話って、何ですか?
女 あ、人形劇の…その、この人の仕事の…
R 人形劇をされるんですか?
旅人 はい。
Q 人形劇…。と、いうと…あれですか?あの、ピノキオとか…
旅人 人形劇と言うと、なんでみなさん、そうおっしゃるんでしょうね。残念ですが、ピノキオはちょっと…。
L どうして、ピノキオをやらないんです?!
R ピノキオは、やらないんですか?!
旅人 いえ…別に何が何でもやらないというわけではないんですが、その…
女 壊れやすいでしょ。人形をたくさん持っていろんな町を回らなくちゃいけないのに、こんなじゃ(鼻)、壊れちゃうじゃないですか。(得意げに説明する)
L なるほど…

四人、納得している。

P 人形も、作るんですか?
旅人 ええ。
P あなたが?
旅人 ええ。私が。
L 人形を作るのは難しいでしょう。
旅人 そうでもないです。慣れれば。だってそういう仕事ですから。
P …そうですか。
R その人形…今持ってます?
旅人 持ってますよ。
R どこに?
旅人 (大きな箱を指さして)この中に…。
Q 人形が入ってたんですか…。

四人、ほおーっと納得する。

旅人 そうなんです。
Q いやあ、そうか。知らなかった。あなた、そんなこと言わないから。
旅人 あなたがた、誰も聞かなかったじゃないですか。
Q …いや、そうですけど。

R あの。
旅人 はい。
R 持ったりして…大丈夫だったでしょうか。壊れたり、してないかしら。

Qも、どきっとしている。

旅人 大丈夫ですよ。それくらいのことで、壊れたりしませんよ。
R だと、いいんだけど…。

Qも。ほっとしている。

P 大事に運んでても…壊れたりすることって、あります?
旅人 …。
P どんなもので、作るんですか?
旅人 いろいろです。ビニールや、プラスチックや、セルロイドや、針金…。
歯車や…………。
L  いろんな、町へ行かれたんですね。
旅人 いろんな町へ行きました。
P 私たちの町へも、人形が来たのかしら。
旅人 たくさんの町へ行きました。たくさんの町には、たくさんの風景があり、たくさんの物語がありました。大きな町、小さな町、幸せな町、悲しい町、暖かい町、冷たい町、……壊れた町…。
五人…。
旅人 壊れた町には、壊れた町の風景がありました。私はその町を出て、次の町へ向かいました。
女 あなたが言ってたのは…
旅人 (思い切って)私はその町に、大切なものを残してきました。
いったい、何のためにそんなことをしたのか…。憐憫でも追悼でもない。私のためです。
P ??
旅人 彼女に、いちばん似合う風景をその中にやっと見つけたんです。
彼女をいったいどういう風景の中に置けばいいのか、私はそれまでどうしても分かりませんでした。

みんな、黙ってしまった。

旅人 背中に大きなねじがついていました。
女 ねじ。
旅人 私がつけたんです。
女 (旅人の背中を見ている)
旅人 私に、じゃ、ありませんよ。

女、四人を見る。
四人、自分たちの背中を見る。

旅人 あなた方にでも、ありません!

旅人、ため息をつく。

旅人 彼女、です。

みんな、大きくうなずく。

旅人 不自然に、大きなねじです。
女 ねじ。

四人 ねじ。

旅人 あまり大きなねじをつけるとうまく踊れないんです。
女 踊るんですか?
旅人 踊ります。身体の中にオルゴールが仕込まれていて、ねじを巻くと踊るんです。
大きなねじをつけるとうまく踊れないんです。
女 どうしてそんなおおきなねじを?
旅人 どうしてなんでしょう…。
R 背中におおきなねじ。羽みたい。
旅人 飛ぶんじゃありません。踊るんです。
R 飛ばないで、踊るんですか。
旅人 踊るんです。そして、歌っていました。

旅人 空っぽの町の、星の明るい岩の上に、私は彼女を置いてきました。
命を持たない彼女は、空っぽの町で、空を見上げて歌っていました。
おしまいとはじまりの歌を歌っていました。

なんだか、よくわからないので、みんな黙っている。

女 歌を…。(何か、考えている)

女 思い出しますか?その…彼女のこと…
旅人 思い出すというのとは、少し、違うような気がします。
女 だって…
旅人 あの岩の上で、彼女は今も踊っています。
私が自分のことを考えるとき、ふと、気づくといつも彼女はそこで歌っているんです。
女 歌ってるんですか。…

旅人 言葉にして人に話をすると、ほんとに私の記憶の中にある出来事を語っているのか、いちばん似合った物語を作っているのか、わからなくなります。
女 …。

旅人 思い出したくてたまらないのに、どうしても思い出すことのできないものがあります。
記憶の中のどこにもない、というだけの理由で。そういうものを思い出すために、
私は人形を、物語を、作ります。
女 彼女の物語を、どうしてあなたは作らなかったの?
旅人 私の箱の中には、たくさんの人形とたくさんの物語が入っています。

旅人 箱の中にないのは、彼女と、彼女の物語です。

みんな静かに星を見ている。のどが乾くとビールを飲む。
女はピーナツを剥いている。
やがて。

女 壊れた町を、私もひとつ知っています。

女がひとりごとのように話し始めた。
ピーナツを剥きながら、誰に話しかける風でもなく。
どこへ行き着くのか分からない。うろ覚えの物語を思い起こしながら語りつなげるように。
五人は星を見上げ、ピーナツを食べ、のどが渇くとビールを飲む。

女 ほんとうにどこかにあった町なのか、ほんとうは、はじめからどこにもなかった町なのか、はじめから、遠くにあった町なのか、ずっと近くにあった町なのか、わからなくなってしまいました。

女 私が生まれた町は、とても小さな町でした。ほんとうは小さくなかったのかもしれないけど、私が小さかったものですから、
きっと町の全部は見えなかったんです。
だから小さな町でした。
駅があって、大通りがあって、高速道路があって、デパートがありました。
道路をバスが走っていました。
いろんなものがひと通りあって。見開き1ページの町。
大嫌いでした。いつも風が吹いていました。どこもすかすかしてて、
嘘が風になって吹いているような町でした。
P 嘘…?
女 どんな出来事も、町の外側を通り過ぎていくような気がしました。
幸せな町でもなく、かといって悲しい町でもなく、暖かい町でもなく、冷たい町でもなく…。
重力のない町でした。ガラスのように透き通った町でした。
光と一緒に風と時間が通り抜けていきました。
町の外には川が流れていました。
電車は川を横切って、どこまでも走っていきました。

あるとき。川を越えてみました。
町の外にはもっと大きな町がありました。
外側の町にも道路がありました。バスが走っていました。

いくつか川を越えたところに、素敵な町を見つけました。居心地のいい町でした。
そこが私の町になりました。

ひとつめの町は、もう私とは関係ない、遠くの町になりました。
はじめから、どこにもなかった町なんだと思いました。
私はもうその町のことを思い出しませんでした。誰にも、何も、話さなくなりました。

長い、間

女 あるときね。ふと、振り返ると、その町はなくなっていました。
旅人 なくなった?
女 壊れてしまったんです。

四人はピーナツをかじっている。のどが乾くとビールを飲む。

女 困りました。
どこにもなかった町が壊れてしまったんです。
どこにもなかった町は、突然、壊れた町になりました。
壊れていないどの町よりも、はっきりそこにありました。
私が壊したのではありませんでした。
私が遠くに捨てた町は、私なんかと関係のないところで風の吹き抜ける隙間もないくらい、徹底的に壊れてしまったんです。
悲しいとかいうわけにはいきませんでした。
遠くの町で起こったことだと思うことにしました。
とても、難しいことでした。
ひとつめの町は、輪郭をなくしたまま私の周りをぐるぐると回っていて、
私は必死になって、ずっと…そこから逃げようとしていたのかもしれません、

旅人 …。
女 棄てても棄てても、どうしても私の思い出の中から追い出すことのできなかった町が、私の思い出の外で壊れてしまいました。

女 ひとつめの港。ひとつめのヨット。ひとつめの高速道路。ひとつめのバス。ひとつめのデパート。ひとつめの駅。ひとつめの商店街…。
みんな壊れてしまいました。
私が言葉を覚える前に見たものは、みんな、あの町の中にありました。
壊れてなくなってしまうまで、あの町は、きっと、そもそも「町」ですらなかったんです。
私が「町」という言葉を覚えたのは、あの町の中ではなかったからです。
旅人 …。

女 壊れてなくなってしまった町の話をするとね、みんな「ふうん。」ていうんです。
四人 ふうん。

旅人、四人を見る…

女 …。

女 今、私はこんなふうに、壊れた町のことを話すことができます。
壊れなかった町の話はできなかったのに。
私はいったい、誰の町の話をしているんでしょう。

女 話す度に、その町はどんどん輪郭を持ち始めて、そして、今度こそ、ほんとうに、私の中から消えて行きます。
旅人 消えていくんですか…。
女 消えていくんです。

北風が吹く。

Qが立ち上がり、空のジョッキをカウンターへ置く。
女は樽からビールを注ぎ、Qに渡す。ピーナツも一掴み。

旅人も立ち上がり、カウンターへ向かう。女の前に右手を出す。
女は旅人にも一掴み、ピーナツを渡す。
旅人はピーナツを受け取ると柵の近くの椅子へ腰掛けた。
眼下には、遠く、町の灯かりが広がっている。

P、残ったビールを飲み干す。自分のジョッキをしばらく見ている。

みんな星を見ながらピーナツを食べている。
のどが乾くとビールを飲む。

長い、間

旅人 (ふと、思いついたように)あなたは、今、その町が好きですか?
女 好きになる機会を失くしてしまいました。
これからもずっと…。
旅人 思い出しますか?その、町のこと…。
女 …思い出す理由がありません。

長い間、みんなビールを飲んでいる。大皿のピーナツは、そろそろ底をつきかけている。

しばらく。

P ひとつめの箱がありました。
ずうっと昔。いちばん最初に見た箱があったんです。
(ひとりごとのように話し始める。ピーナツをかじりながら。誰に話しかける風でもなく。)

五人は星を見上げ、ピーナツを食べ、のどが渇くとビールを飲む。

女 …。
P きっと、それを箱だと思ってたんです。
ところがあるとき、別の箱に出会ってしまいました。
それも箱でした。箱はふたつになりました。
いろんなところへ出かけるようになると、いろんな大きさの箱、いろんな形の箱がありました。
冷たい箱。小さな箱。かさばる箱。動く箱。静かな箱。重い箱。ささやかな箱。申し分のない箱。悲しい箱。
一体誰の箱なのかわからない、箱たちの大群がありました。
物語の中にも箱がありました。中に物を入れることのできない箱でした。
そういうのまで箱だったら、もう箱の数は大変なことになってきました。
そのうち、世界の中にある全部の箱のことを考えることはできなくなりました。
気がつくと。ひとつめの箱のところからは考えられないくらい、遠くの箱のところへ来ていました。
今、世界の中に、数え切れないくらいのたくさんの箱があります。
どの箱も、結局はあのひとつめの箱のずうっと先にあります。ずうっと先。誰も、ひとつめの箱のことをちゃんと思い出すことができないところ…。
女 …。
P 言葉はどんどん大きくなって、そのうち世界と同じ大きさになってしまうんだけど、
初めは小さかったんです。
一つの言葉で言えることは、ほんのひとつしかなかったんです。
それ、だけ、だったんです。
女 …。
P 先代の会長がね、そんな話を昔。
あるときそんな話をして。それから箱をひとつ、プレゼントしてくれました。

旅人 その箱は?
P …(笑っている)
旅人 どんな箱ですか?
P (首を振る)
女 中には、何を?
P 何も。まだ何も。

長い、間

旅人 中に何も入っていない箱は、そこで何をしているんでしょう。
P 世界を、箱の内側と外側に分けてるんです。
旅人 …。

北風が吹く。
みんな、黙っている。
大皿のピーナツはもう底をついている。
しばらく。

女がふと立ち上がり、今まで剥いていたピーナツを全部、中央の大皿に開けた。
何も言わず、空っぽの籠を持ってカウンターへ戻ってくる。

みんなそれぞれ一掴み、ピーナツを手にとって次へ回す。四人と旅人の間を大皿が回っていく。
最後にQが大皿をカウンターへ運んでいく。
女は大皿から、ピーナツをひとつかみ、取り出して食べ始める。
みんなピーナツをかじりながら空を見ている。のどが渇くとビールを飲む。
ばり、ばり、ばり…。風の中にピーナツを噛み砕く音だけが聞こえる。

しばらく。

女 (ふと顔を上げ)ねじまきの彼女は今日も岩の上で踊ってるのかしら。
Q 今夜も星が出てますから……。
女 どんな歌を、歌うんでしょう?
旅人 おしまいと、はじまりの歌です。

長い間

旅人 どうやっても、「なかったこと」にはならないものがあって。
女 …
旅人 そういうものが、ただ、放り込まれている場所が在るんです。

P、ふと何かに気づいて旅人の顔を見る…。

P あなたは、なんだか…(誰かに遮られたわけではなく、自分で飲み込んでしまう。)

しばらく…長い、間

旅人 この店は、いつもこんな具合なんですか?
女 ??
旅人 客が来てるんですか?
女 いろんな人がいろんな理由でここへ来ます。ここへ来た人がビールを飲みます。

みんな黙っている。何か、考えている。
やがて…。

R あ。
L あ。
旅人 え?
女 ?
Q (空を見ている)
P (空を見ている)

六人、空を見上げる。
いつまでも、遠くの空を見ている。

青い閃光が走り…
遠くでものすごい爆音が聞こえた。

《4》

夜明け近く。女はエプロンをかけたまま、テーブルに突っ伏して眠っている。
天文学研究会の四人も、地面に寝転がり、寝息をたてている。
床にはピーナツやジョッキが転がっている。
旅人は、旅支度を整え、箱に腰掛けて町を見ている。
北風が吹く。

ふと、女が目を覚ます。
あたりを見回す。
旅人の姿を見つける。
しばらく、見ている…。
旅人の声が聞こえてくる。

旅人 …あるとき。困ったことが起きました。
一つの町が壊れてしまったのです。
町は闇の中に沈み込んでしまいました。
壊れた町は狼狽えました。
こんなに深い闇の中で、一体どっちを向いて何を見ればいいのかわかりませんでした。
誰かが、ふと遠くを見ました。遠くに灯かりが見えました。大きな灯かりでした。
壊れた町は不思議な気持ちで灯かりを見上げていました。
いったい何の灯かりなのかはわかりませんでした。誰も、覚えていませんでした。
遠くに町があることを。もう誰も覚えていませんでした。

分からなくても灯かりが見えました。覚えていなくても灯かりが見えました。
大きな灯かりでした。
なんだかわからないけれど、それはとても懐かしくて、親しい灯かりのような気がしました。

遠くの町は遠くにあるものですから、何も知りませんでした。
遠くに町があることも、遠くの町が壊れてしまったことも、向こうの町が自分の町の灯かりを見上げていることも、ちっとも知りませんでした。

壊れていない町はいつものように暮らしていました。
毎日夜になると新しい灯かりを点して自分の町を包んでいました。

もう、寂しいとは思いませんでした。
どちらの町も、もう、寂しいとは思いませんでした。

女は最後まで聞いている。
あ。と気づいて空を見上げる。
旅人は女に気づかず町を見ている。
4人組は眠っている。

やがて…
強い北風が吹く。
ランプの灯かりが消え、ビアガーデンは薄明の中に沈み込む。
しばらく。

ねじを捲く音が聞こえる。
やがて静かに、オルゴールの音色が聞こえてくる。
星が一斉に輝きを増し…
ゆっくりと、夜明けが近づいてくる。

終わり 

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久野那美
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