『点転』(『・・・』改作・改題) ※5人 60分
★公演 2021年5月15日~17日 南埼玉公演予定@コミュニティセンター進修了館 http://floor.d.dooo.jp/tenten/#saitama
★映像配信【点々の階大阪公演(2021年3月1日)】配信チケット発売中 https://xxnokai.stores.jp/items/603dc1b1c19c456aa4604a85
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※5人 60分
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【登場人物と点々の階公演時の配役】
紙袋を持つ男(紙袋) 七井悠
何も持たない男(何も男) 佐々木峻一
黒い靴の女 (黒靴) 大西智子
白い靴下の男 (白靴下) 三田村啓示
窓の外を見ている女(窓女) 新免わこ
アナウンスする女(アナウンス)田村千明三段
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斎場。の中の一室。
…使われていない、物置のようなスペース。
重ねられた椅子、ピアノ、段ボール箱、行李、使われていない家具、備品に布やビニールシートが被されている。
入口の周りだけものが退けられ、ソファと椅子が適当に並べてある。一部に荷物やコートが置かれ、中座した跡がある。
青い階段が壁にむかって伸びているけれど、その先には出口も部屋もない。
白い靴下の男椅子(階段?)に腰かけ本を読んでいる。熱心に、本を読んでいる。
窓の外を見ている女がいる
窓の向こうに煙突が見えている。煙が上がっている。
同じ窓の外から時折、機械音が聞こえてくる。そして人工的な明かりが差し込んでいる。
アナウンス
「本日は、ご多忙の中、長時間お集まりいただき、ありがとうございました。以上をもちまして、ご葬儀ならびに告別式は終了でございます。
この後、まもなく出棺となりますので、お見送りをされる方は今しばらくお待ちください。」
やがて、紙袋をたくさん下げた男が入ってくる。狐につままれたような顔をしてる…。
紙袋を床に置き、座る。
壁のスイッチに触って部屋の明かりをつける。
白靴下、窓女、なんとなく様子をうかがう。
男は紙袋を開いて中から本を取りだす。古い本だ。
ぱらぱらめくってみる。
白靴下の男、窓女、紙袋の男の読んでいる本を見ている。近づいてじっと見ている。
紙袋の男、煙草を取り出し火をつけようとする…が
視線に気づいて
紙袋 こっちも…禁煙ですか。
白靴下・窓女 …
紙袋 (誰もいないとおもってたのと喫煙を咎められた居心地の悪さから、何か言わねばと…)今はどこも厳しいですね…
窓女・白靴下 …
紙袋 (ごまかし笑い?)…まあ変わりますよね。時間がたてば変わりますよね。なんでも…、
窓女・白靴下 …
紙袋 いやね、ずいぶん久しぶりなんですよ。地元なんですけどね…
窓女・白靴下 …
紙袋 禊が済んだ感じで、再び本に目を落とす
白靴下・窓女 (しかし、さらに凝視する)
紙袋 (なんか読みにくい。集中できない。白靴下と窓女をチラ見する。)
窓女 (目をそらす。)
白靴下(目をそらす)
紙袋 (気のせいだったのか…)
窓女・白靴下 (また本を凝視する)
紙袋 (…やっぱり集中できない…)
紙袋 (会話したほうがいいのか?)すごい花届いてましたね。
ふたり、表情が和らいだような…気のせいか?
紙袋 (ちょっとほっとする)すごい大きい花が、すごいたくさん。
紙袋 (この方向でいけるか…?)あれ、名前・・・変ですよね。「点々倶楽部」?「濁点の会」? 「ドット&ドット」?「PQ団」・・・って・・点々ついてればなんでもいいのかよ?って・・・
窓女 名前変ですか?
紙袋 …(ええええ?そっち?)いや・・まあ、変では・・ないかな。・・・というか・・・あなたどこの人ですか?(見たところ)点々倶楽部?
窓女 なぜ?
紙袋 はずれた
窓女 わたしはそういう、そういう関係者ではないです。
紙袋 そういう、そういう関係者では、ない。個人的な知りあいですか?
窓女 誰のですか?
ドアが開き、黒い靴を履いた女が入ってくる。
式の前にこの部屋に立ち寄った際置き忘れた荷物(紙袋と上着)を取りに来たのだ。
ドアの前に積まれている紙袋の山に躓いて派手に転ぶ。
紙袋、あわてて紙袋の山をどける。
黒靴は、事態が把握できず混乱している。さっきはそんなのなかったのに…
白靴下の男は、黒靴に挨拶し、読んでいた本を黒靴の紙袋にこっそり戻している。
黒靴は紙袋の持ち主らしき男に質問する。
黒靴 どうしてそんなにたくさん紙袋をもっておられるのですか?
紙袋 どうしてなんでしょう。本を紙袋にいれて返すのが流行ってるんですかね?
黒靴 本…。
紙袋 なんでみんな僕に返すんだかさっぱりわからない。
黒靴 え!!
黒靴の女、置き忘れていた紙袋を手にする。
白靴下の男を、「ここにいたのね」という顔でチラ見する。
黒靴の女、紙袋から本を取り出して紙袋を持つ男に見せる。
紙袋 あ…
黒靴 あー(やっぱり)!
紙袋 (目をそらす)
黒靴の女、自分の紙袋を持ってずんずんと紙袋の男に近づく。
白靴下の男も一緒に横に並ぶ。
黒靴 このたびは…
黒靴・白靴下 (頭を下げる)
紙袋 いや…(逃げる)
黒靴 やっぱりいらっしゃったんですね。(すかさず本を渡す。) よかったです。ちゃんとお返しできて。すみません。なにかに入れた方がいいような気がしたんですけど、そんなのしかなくて。
紙袋 返すもなにも僕が貸したわけじゃないし。
黒靴 でも、読み終わったら先生に直接返してほしいって。
紙袋 そんなこと言われても困りますよね。
黒靴 今日、ここに持ってくればいいって。
紙袋 あのひとは…(紙袋の束を見て)…自分の葬式をなんだと思ってるんだ。
黒靴 …先生が来られることがわかってたんですね。
黒靴 (紙袋の束をみている)お会いできてよかったです。
紙袋 ・・・
黒靴 あ。よかったっていうのは、そういう意味ではなくて、えっと…・
紙袋 17年
黒靴 ?
紙袋 ちょうどよかったのかもしれないですね。
黒靴 同じですね。小説と。
紙袋 ?
黒靴 ソファ。ピアノ、(行き止まりの)青い階段。煙の見える窓。
紙袋 …
黒靴 本の中の人たちも、ここから煙が上がるのを見てましたね。
紙袋 …
黒靴 私も見てました。5年前。
紙袋 5年前?
黒靴 夫の葬儀がここだったので。
紙袋 …あ…あ… (何か言おうとする)
黒靴 今日の式、本の中のと同じでしたね。棺に百合の花を入れてました。
紙袋 …
黒靴 葬式は宗教が重要だっていいますけど、
紙袋 誰が言うんですか?宗教なんかなくても葬式はできますよ。同じこと信じてるからって同じように死ぬわけじゃないし。
黒靴 そうです。
紙袋 送るほうだって実はみんなぜんぜん違うことを考えてる。
黒靴 はい。
紙袋 だからせめて手続きくらい人と同じにしたい。
黒靴 はい
紙袋 …そのための式でしょ。勝手に統一すればいいんですよ。百合の花入れれば。別に百合じゃなくても、好きだった花を入れたらいいんじゃないかな。
黒靴 彼女は、百合の花が好きだったんですか?
紙袋 別に……好きじゃなかったと思うけど。
黒靴 ・・・・・
紙袋 花だったらなんでもいいんですよきっと
黒靴 ・・・
紙袋 植えてあるやつじゃなければ。
黒靴 植えてあるやつはだめなんですか?
紙袋 (じっと見る)・・・・だめなんじゃないかな?
黒靴 なぜ?
紙袋 だめでしょう。
黒靴 私はこの本を5年前に読みました。
紙袋 え。
黒靴 そして3年前に読みました。
紙袋 はあ。
黒靴 それから去年読みました。
紙袋 それはどうも。
黒靴 昨日の夜、もういちど読みました。読み始めたら止まらなくなってしまって。
気がついたら朝でした。
紙袋 えっと・・
黒靴 あんなことが書いてあったんですね。
紙袋 ・・え?
黒靴 だからたぶん、もう読まないです。
紙袋 !
黒靴 あ、読まないって言うのは、そういう意味ではなくて、えっと…
紙袋 ・・・・
黒靴 待っていればなじんでいくんです。なじんでいきました。前と違うものに前と同じようになじんでいく自分は何かのつじつまがあってない気がしました。
だってまだここにいるような気がしてしまう。
(白靴下の男を見ながら)
そんなはずはないのにそんな気がしてしまう。だけど、
紙袋・窓女 ??
黒靴 とても、いい本です。
紙袋 (不審そうに)それは…どうも。
窓女は先ほどの黒靴と白靴下のやりとりが気になって、白靴下の男を見ている。
紙袋 (話の流れを変えたくて。窓の女に突然)小説とか読みます?
窓女 !?(突然振られてびっくりする)
紙袋 小説
窓女 小説なんですか?
紙袋 (うん)
窓女 …面白いですか?
黒靴 おもしろいです
紙袋 おもしろくないです。
窓女 面白・・・くないですか?
紙袋 おもしろくない。
窓女 そんなに?
黒靴 そんなこと(ないです)
紙袋 そんなに。
窓女 ・・・・
紙袋 僕の書く小説は、読者に全然受けない。
窓女 小説を書いてるんですか?
紙袋 うん。これ(椅子の上に並べて見せる)
窓女 あなたが書いたんですか?
紙袋 うん。
窓女 全部?
紙袋 うん。貸してなかった本が17年ぶりに返ってきたんですよ。
黒靴 ・・・・
窓女 すごい・・・・
紙袋 すごくない。これも受けなかった。こっちも受けなかった。こっちのも、こっちのも・・
窓女 どうして受けないんですか?
紙袋 読んでも心に響かない「から」
窓女 なぜ
紙袋 知らないよ。
窓女 読んでも心に響かない本を読んだらどうなるんですか?
紙袋 読んでも心に響かない本を読んだら眠くなる。どうしても眠くなる。最後まで読もうと思っても眠くなる。
窓女 つまり「難解」なんですか?
紙袋 難解じゃなさ過ぎるんだよ。薄っぺらいんだよ。嘘っぽいんだよ。書いてあることしかわからないないから、奥行と深みがなさすぎてたいくつなんだってさ。
窓女 書いてあることだけがわかって何が問題なんですか?
紙袋 違うんだよ。小説っていうのは。本当は、書いてあることの裏に、作者の思想や思い、人生や社会に対するスタンス、・・・いろんなものが隠されているはずなんだ。
窓女 へえ。
紙袋 (ため息。黒靴から返却された本をぱらぱらめくる)
窓女 その本には、裏にどんなことが隠されてるんですか?
黒靴 (何か言いかける・・・が)
紙袋 (ふたりとも無視して)ある日、一隻の宇宙船が、とある任務を負って故郷の星を旅立った。
窓女、ハッとして、紙袋に詰め寄る。
窓女 とある任務ってなんですか?
紙袋 (聞いてない。自分の世界)長い旅の末に、たどりついた星でクルーのひとりが死んでしまう。
紙袋 残りのメンバーは、仲間が再生するのを待った。
窓女 …(うなづいている)
紙袋 彼らの星には「とりかえしのつかないおしまい」というものが存在しないんだ。終わっても、しばらく待てばまたもとの状態に戻る。なんでもそうだと思っていた。
窓女 …(うなづいている)
紙袋 だけど、ここではそうじゃなかった。待っても仲間は再生しなかった。
窓女 !
紙袋 残された者たちは困った。いつまで待っても再生しない仲間を前にしてると、とりかえしのつかない嫌な気持ちがこみ上げてきた。すごく困った。そんな状況を想像したこともないから、何が起こってるのか、どうすればいいのか、なにもわからない。
窓女 (さらに食いつく)わからない!
黒靴 わからない…
紙袋 そのままいつまでも何も解決しなかった。でも、そのとりかえしのつかない気持ちをなんとかするためには何かしないといけない、ということだけはわかった。だから彼らはその星の習慣に従がうことにした。意味も理由もわからないまま、教わったとおり、ひとつひとつ具体的に真似をした。ただ真似をした。目の前にいるひとの真似をした。
窓女 !
紙袋 それは、「弔う」という手続きだった。
「弔う」というのは難しい手続きじゃなかった。びっくりするほど簡単だった。意味も理由もわからなくても、そのとおり真似ればちゃんとできた。、意味も理由もわからないまま、みんながやるままに「弔っ」た。
窓女・黒靴 弔った…
紙袋 そして、死んでしまった方の一人は、仲間か
ら弔われた。
窓女はものすごく真剣に紙ぶくろの男の話を聞いている。
窓女 仲間から弔われたら、その後はどうなるんですか?
黒靴 それまでと違う毎日が、それまでと同じようにやってくるんです。
窓女 どっちに?
黒靴 どっちにも。
窓女 弔ったら、なにが解決するんですか?
黒靴 なにも解決しません。解決しないまま、そのまま、なじんでいくのを待つんです。
窓女 何が何に(なじんでいくのですか?)
紙袋 その様子を詳細に描いた前衛的なエスエフ小説。
窓女 (なぜかムキになる)小説のことはよくわからないですけど、その主人公と同じような立場のひとがその小説を読んだら、きっととっても役に立つと思いますよ?
紙袋 そんなひとがたまたまこの小説を読んだりはしない。そんなピンポイントな読者に向けて小説は書けないよ。 小説は、そういうものじゃないからね。
黒靴 役に立ちましたよ。意味も理由もわかってると思ってたんですけど。
紙袋 (ちょっといらっとしている)小説は、役に立てるために読むんじゃない。
窓女 小説は、なんのために読むんですか?
黒靴の女は、手に持った本を窓女に渡す。
窓女、黒靴の女に何か言おうとする
部屋の扉が開き、手に何も持たない男が入ってくる
何も男 ああ。ここでしたか。
紙袋 あ。(何故か嫌な顔をする)……あっちの部屋、人が、多くて
何も男 人多かったですね。(ずんずん近づいてくる)
紙袋 人多いところ苦手なんだよ。
何も男 ここ穴場ですね。こっちは、たばこ…
紙袋 こっちも禁煙だって。
何も男 喫煙室じゃないんですね。
紙袋 うん。
何も男 なんの部屋ですか?
紙袋 さあ。
何も男 入っても大丈夫ですか?
紙袋 入ってるけど大丈夫みたい。
黒靴・白靴下・窓女 …
窓女は、紙袋と何も男の会話を気にしつつも、紙袋の男から渡された本を読み始める。
白靴下と黒靴も、二人の男の話が気になっている。
何も男 さっきはどうも・・・
紙袋 いやいやいやこちらこそ。
何も男 お会いできて光栄です。
紙袋 とんでもない。
何も男 先生の噂は、以前から…。
紙袋 どんな噂…
何も男 えっとですね・・・
紙袋 あ。話さなくていい…。
何も男 (別の話題を…そうだ!)ここ、全宗教対応可能らしいですよ。
紙袋 あのひとは宗教が嫌いだった。どんな宗教も嫌いだった。
何も男 そういえば焼香しなかったですね。宗教なくても葬式ってできるんですね。キリスト教じゃなくても百合の花を使うんですね。
紙袋 べつに百合じゃなくてもいいんじゃないかな。
何も男 そうなんですか。
紙袋 知らないけど。
紙袋 ひとはどれくらいで燃え尽きるんだろう。
何も男 あと1時間くらいだそうです。
紙袋 何十年もかけて熟成して、1時間で焼却。切ないね。
何も男 僕はそれくらいがいいです。あんまりじっくり焼かれたくない。
紙袋 そう?
何も男 あんまり長時間拘束して、「まだ焼けないのかよ?」ってイライラされるのは嫌です。
紙袋 そう?
何も男 すいませんこんな紙袋しかなくて。
紙袋 いやいや。
何も男 あれ?でも僕がお渡ししたのはひとつだけですよね?どうしてそんなにたくさん持っておられるんです?
紙袋 ひとつだけお渡ししたひとがこれだけの数いたんです。
何も男 なるほど。でもよかったです。ちゃんと返せて。
紙袋 ちゃんと返すも何も、僕が貸したわけじゃないし。
何も男 師匠は気にしてました。いつか先生に返さないとって。
紙袋 よく今まで持ってたな。
何も男 当然でしょう。
紙袋 偉くなったんだ。協会長だって?
何も男 協会長は三年前から。
紙袋 そうなんだ。
何も男 その前は協会がなかったんで。
紙袋 ・・・・・
何も男 (ひそひそ)揉めたんですよ。だいぶ。
紙袋 んん?
何も男 協会を作るにあたっては。
紙袋 ?
何も男 点転は、1対1の競技です。
紙袋 (何の話をしているんだ?)
何も男 でも、人が増えたら、1対1の話では解決しないことが増えてくるんですよ・・・。
紙袋 あのひと…。スポーツなんかやる柄じゃなかったのに。
何も男 点転はスポーツじゃないです!
紙袋 !
窓女 !
黒靴 !
何も男 …よね? そしてゲームでもない。(行きがかり上黒靴に語る)点転は、ひとつの盤の上にふたりが点を打ち込み合う、歴史ある競技です。合気道や囲碁や占星術のもとになったといわれていますが、点転そのものはゲームでも占いでもスポーツでも武道でもない。そういった区別がない場所にあることが重要なんです。
そうですよね?(紙袋に)
紙袋 え?
何も男 (不思議な構えをする)誰のものでもない場所に点を打ち、その点をよりどころにしてお互いがお互いの領域を作っていく。どちらの場所であってもよかった場所を、どちらかの場所にしていくことで、存在の確かさを競う。
紙袋 …
窓女 …
黒靴 …
紙袋はなにか考え込んでいる。白靴下は話に興味をひかれている…
何も男 点を巧みに扱って、「ほかならぬその場所」を選んで打ち込むには高い集中力と観察力と判断力そして諦念が必要です。
相手の呼吸を読み、機を逃さずに滑り込むリズム感と瞬発力も必要です。(抜群のタイミングで本を黒靴に渡す。黒靴は行きがかり上、本を開いて読み始める)だから、師匠は・・・・
紙袋 師匠ねえ…。君の師匠だったんだね。あの人。
何も男 (ちょっとむっとする)お世話になりました。僕はずっと師匠の下で点転を学んできましたから。・先生はずいぶん昔からのお知りあいなんですよね?
紙袋 ずいぶん昔のね
何も男 あの、先生と僕の師匠は、
紙袋 あの人のことはね、聞かれても何も答えられないんだよ。
何も男 えっと…
紙袋 最後に会ったのは17年前だし。協会長とか師匠とかいわれても意味が分からないし。
何も男 17年?!一度も会ってないんですか?
紙袋 うん。結局ね。
何も男 何があったんですか・・・・ってすみません。立ち入ったことを…。
紙袋 聞くのはかまわない。答えたくないことは答えないから。
何も男 ・・・・答えたくないですか?
紙袋 そうだね。
何も男 すいません。
紙袋 いいよ。答えたくないかどうかは聞いてみないとわからないことだから。。
紙袋 どうするの?この先。
何も男 プロになりたいと思っています。
紙袋 へえ。
何も男 世界に通用する棋士になりたいです。
紙袋 なれそう?
何も男 勉強します。
紙袋 ふうん。勉強すれば強くなるものなの?
何も男 …才能があれば。
紙袋 才能が、あるんだ。
何も男 …いやあ。どうなんでしょう。いつも謙虚でありたいと思って生きています。
紙袋 謙虚ってのは偉い人が自分より偉くない人に対して自分の実力を控えめに表現する態度だよ。君は偉いんだね。
何も男 いや…そんな…
紙袋 ごめん。ごめん嫌みとかじゃなくて、
何も男 はい。
紙袋 ちょっと不愉快だったんで。
何も男 ??
紙袋 で強いの?
何も男 アマチュアの中では、まあ。・
紙袋 ふうん。でプロになるんだ。
何も男 ・・・・っと・・・。まずは来年の大会で優勝して。それからです。
紙袋 おお。
何も男 と思ってたんですけど・・・
紙袋 ?
何も男 思ってたんですけど…
紙袋 ?
何も男 ・・・・・・
紙袋 まあ。考えるよね。
何も男 …はい。正直、悩んでいます。
紙袋 ほお
何も男 師匠はいったい、何を考えていたんでしょう?
紙袋 知らない。
何も男 知ってることを教えてください。
紙袋 君の知りたいことはたぶん何も知らないよ
何も男 17年も会ってなくて、先生はなぜ今日はここへ来られたんですか?
紙袋 葬式だから。
何も男 …僕は、先生の本を読んで、いつか直接お話してみたいと思っていました。
紙袋 ・・・・へえ。
何も男 僕らにとって、先生は伝説の存在ですから。こんな形で適ってしまって・・・・いえでもこんな時にお会いできてよかったです。…いい本ですね。
紙袋 それはどうもありがとう。
何も男 扉のうらに書いてある文章が、僕はとても好きです。
紙袋 ?
何も男 「その物語には役がふたつある。だから登場人物はふたりいる。ふたりは自分がどちらの役なのかわからないまま物語に登場する。彼らがこれから経験することを誰も知らない。分かってるのはふたりの利害が絶対に一致しない事。終わった瞬間に物語の内容と結末が決まる。配役はその時初めて明らかになる」
本を読んでいたはずの黒靴の女はぐっすり眠っている。
白靴下の男はそっと黒靴に近づく。
黒靴は目を覚ます気配がない。
白靴下の男は、黒靴の女に上着を掛けてやる。
そして黒靴の手から本を取り上げ、読み始める。
白靴下と窓女が熱心に読書をしている。
黒靴は眠っている。
紙袋 そんなこと書いてたっけ。
何も男 これ、ポエムみたいに見えますけど、点転を知ってる人間にはすぐに、そのまま点転の説明なんだってわかります。
紙袋 そう?
何も男 短かい期間にひとりでこの国の点転をここまでにした師匠はすごいと思いますけど、でも、師匠がずっと経典みたいに頼りにしていたのは、先生のこの本ですよ。
紙袋 ・・・・そう?(腑に落ちない)
紙袋 へえ。あのひといつからそんな・・・
何も男 17年前です。
紙袋 ・・・・・
窓の外から機械音がする。
紙袋 ・・・ちょっと待って。君が今やってるのはなんていう競技?
何も男 点転ですよ。
紙袋 点転・・・あの、点々の点に転がるって書く?
何も男 はい。子供のころに出会って、十年。僕はいつも点転を通して世界を見てきたんだと思います。
紙袋 点転を通して世界をみたら何が見える?
何も男 なんの試験ですか?
紙袋 (じっと観ている)
何も男 点転は盤上競技ですけど、盤の大きさに規定が…ないじゃないですか。
紙袋 盤の大きさに規定がない!
何も男 確かに僕たちはこれくらいの大きさの盤を使いますけれども、それは、ルールというよりは僕たちレベルの棋士が参加する国内大会の運営上の事情です。それは、この国の点転のレベルがまだその程度だからで、外国ではもっと大きなというか広い盤を使って対局をすると聞きます。
紙袋 …
何も男 野球場、ゴルフ場、飛行場、いえ、モンゴルの草原のような広大なスペースを使って点を打ち込み合う・・・伝説の名人クラスでは海を越え、国境をまたいで闘うとか。
紙袋 …、
何も男 果ての見えない世界で、頼れるのは自分と相手と点だけ。
点にはあらかじめ名前をつけることができません。まだどこにも打たれていない点はただの点です。自分も、相手も同じです。何が起こるのか、始まる前は誰も何も知らない。
点を打ち込む。打ち込まれる。
ただの点だった点がひとつひとつ、何かの点になっていく。
終わってみれば、そこで起きたことは、結末から遡ってすべて説明できる。最初から全部決まっていたかのように説明できる。
何も男は室内、窓や扉の外へと縦横無尽に点を打ち込んで見せる。
慎重に距離を測り、狙いを定めて何発も、何発も、点を打ち込む…
何も男 僕は点転を始めて、待つことを覚えました。今何が起こっているのかわからないときは、次に何かが起こるのを待つようになりました。
肝心なことはいちばん最後にやってくる。
それを決して見逃さないように待とうと考えるようになりました。
紙袋 ……なかなか難しいことを言うね。
何も男 難しいことはなにもないです。
点転をやってると、自分が見つけたことを言葉にして誰かに伝えたくなるんですよ。どうしてでしょうね。言葉のない世界だからですかね。扱うのが点、だからですかね。
紙袋 扱うのが、点・・・ちょっと話を整理するけど。君は点転の棋士なの?
何も男 アマチュアですが。
紙袋 そして、プロになろうとしている?
何も男 できれば。いえ、でも・・・
紙袋 (お前のことは今問題ではない)ということは、プロというものが存在する?
何も男 もちろん。
紙袋 ということは、点転?の棋士はほかにもいる。
何も男 もちろん。
紙袋 プロの棋士もいる?
何も男 5年前にプロができました。
紙袋 新しい競技なの?
何も男 (なぜそんなことを聞かれてるのかわからないまま答える)古くからさかんな国もあるみたいですけど、国内ではまだまだ。3年前に協会が、2年前に公式大会ができました。
紙袋 君はいつ始めたって?
何も男 10年前です。
紙袋 どういうきっかけで?
何も男 最初は・ふつうに子供向けの教室で
紙袋 つまり、子供向けの教室がある?
何も男 大人向けのもあります。
紙袋 点転だよね。
何も男 点転です。
何も男 あの・・・何か?
紙袋 あの本。読んだんだよね。
何も男 読みました。
紙袋 どう思った?
何も男 感動しました。
紙袋 それはどうもありがとう。
紙袋 どこに感動したの?
何も男 先生の書かれたこの本は。一般的な指南書とはだいぶ違います。
紙袋 指南書・・・・
何も男 こういう指南書って、多かれ少なかれ、書き手のエゴがみえてしまうものだと思うんです。競技について語っているつもりでも、ついつい、おのれの人生哲学について語ろうとしてしまう。
紙袋 ・・・・
何も男 でもあの本には点転を始めるために必要なことだけが書かれている。点転という競技のルールと、点転の勝負に勝つことと負けることについてだけ書かれている。意味も理由もわからなくても、書いてある通りに、ひとつひとつ具体的に手続きをふんでいけば点転を始めることができる。
紙袋 ・・・そう
何も男 それがどれほどすごいことなのか、今はわかります。
紙袋 ・・・・・
何も男 これは、点転という競技のあり方そのものなんです。
紙袋 ・・・・この本には、そんなに・・・・・哲学や人生が見えないかな?
何も男 それはもう。清々しいほどに。
紙袋 それは、読み方の問題じゃないのかな?一見具体的なことばの裏には、それを支える大きな世界観や思想が隠されているのかもしれない。
何も男 いいえ。もし、そうだったら、僕たちはこんなにも点転に惹かれなかった。
紙袋 でもね。文学の世界には「暗喩」っていう表現の形式があるんだよ。
何も男 今僕は文学の話をしてるんじゃないです。点転の話をしているんです。
紙袋 だけど・・点転が何の暗喩で、作者はその暗喩によって、何を表現しようとしているのか。そこに込められた社会への憤りや、人間存在への疑問、限りある人生への諦念・・・
何も男 ああ。もう。そういうことをいろいろ書くひとはいますけどそういうことは、実際の競技の中で、それぞれが勝手にしっくりくる言葉を見つけていけばいいんです。
紙袋は激しく動揺している。
何も男 この本の重箱のすみをつつくような細かい記述… どうされました?
紙袋 でも、でも君・・さっき点転について、熱く語ってたよね。
何も男 ですから、点転をやってると語りたくなるんですって。でも、みんな言うことが違います。それは「点転とはこうである」という確固たる思想が「ない」からです。
紙袋 ・・・・
何も男 この本は、まさに点転の本質を体現していると思います。
紙袋 そんなはずはない。
何も男 え?
紙袋 そんなはずはないんだよ・・・・
何も男 あの・・先生、顔色が・・・・
紙袋 君は点転を愛している。
何も男 はい。
紙袋 点転に人生を賭けている。
何も男 はい。
紙袋 そればかりか、点転に悩み、傷つき、才能を問われ、ひいては自分の存在価値を問いただされている。
何も男 まあ。ちょっとかっこよく言うと、そんな感じですね。
紙袋 でも、その点転とはなんだ。
何も男 なぜ急に存在から問うんです。哲学ですか?
紙袋 文学だ。
何も男 は?
紙袋 いや、文学の敗北だ。
何も男 あの・・・
紙袋 落ち着いて聞いてくれ。
何も男 はい。
紙袋 そして、できれば僕のことも落ち着かせてほしい。
何も男 だいじょうぶですか?
紙袋 あんまり、大丈夫じゃない。
何も男 どうしましょう。
紙袋 とりあえず、話を聞いて。
何も男 はい。
紙袋 何から話していいのか分からないんだけど。
何も男 なんでも話してください。
紙袋 内容じゃなくて、順番の問題なの。
何も男 …なにからでも話してください。
紙袋 ありえないんだよ。いや、でもありえてしまってるわけだから、もうどうしたらいいのかわからないんだよ。
何も男 何がですか?
紙袋 僕は17年前にこの本を書いた。
何も男 はい。
紙袋 なんのために書いたかわかる?
何も男 点々を広めるためでしょう?強かったんですよね。先生ほどの棋士は今後50年は現れないって…。
紙袋 誰にきいた?
何も男 師匠に。
紙袋 ああ・・・
何も男 はい。
紙袋 もしかしたらこれは・・・復讐なのか?
何も男 は?
紙袋 いやでもここまで手の込んだしかも大胆なことをする理由がわからない。いやがらせのスケールを超えている・・・・
何も男 何を言っておられるんです?
紙袋 僕は点転の棋士だったことはない。一度もない。
何も男 えええええええええ?
紙袋 点転なんて競技は見たことも聞いたこともない。
何も男 どうしたんです?わけがわかりません。
紙袋 どうだ。僕はさっきからそういう気分なんだ。
何も男 見たことも聞いたこともないならどうしてこの本があるんです。
紙袋 見たことも聞いたこともなくても書いたことはあるからだ。
何も男 ???
紙袋 それは僕が小説家だからだ。
何も男 ・・・・・・
紙袋 小説家にとっては、見たことと聞いたことと書いたことは別々に存在するんだ。
何も男 ・・・・・
紙袋 これは、点転という架空の競技の世界を通じて人間の心の裏と表を前衛的手法で描いた小説。フィクションなんだよ。点転というのは、この小説の中に出てくる架空の競技なんだよ。実在しない幻の競技なんだよ。
何も男 …――――――@@@@;wkdpr8えr30
……………………………
紙袋 どうした?
何も男 意味がわかりません。いえ、むしろ、分かってしまったらそのあと僕はいったいどうすればいいのかわかりません。
紙袋 どうすればいいと思う?
何も男 それ僕に聞きますか?
紙袋 できることならあのひとに聞きたい。
何も男 師匠ですね。
紙袋 そうだ。
何も男 無理ですよ。
二人、窓を見る。
紙袋 逃げきられた。
何も男 何から逃げたんです?
紙袋 …
何も男 つまり・・・先生は点転の先生ではなくて小説家の先生ってことですか?
紙袋 知らないよ。君が勝手にそう呼んだんだよ。
何も男 いやいやいや…この本は・・・・誰がどう見てもどう読んでも・・・・小説とは思えません。
紙袋 なぜ?
何も男 それは・・・
紙袋 代わりに言ってやろうか?
何も男 ああ・・・
紙袋 普通、小説には描かれているエピソードの裏に、作家の思いが隠れている。それは、社会に対する批評であったり、人間の存在というものに対するやるせない思いであったり、限られた1度きりの人生に対する諦念や希望であったり。でも、この小説にはそれが見えない。厚みも深みもまるでない。 清々しいほどに見えない。ただ、点転のことだけが哀しいほど詳細に描かれている。これを読んで分るのは点転のことだけだ。つまり、小説として読む価値が全くない小説なんだよ。
紙袋 そういうことだろ。
何も男 、別にそういうことを言いたいわけではありません。確かに、結果的にはそういうことになるのかもしれませんけど…でもほんとうなんですか?
紙袋 嘘だったら、いいなあ。
何も男 すいません。でも・・・でも・・・
紙袋 ?
何も男 いやいやいやでもやっぱりおかしいでしょう。 じゃあ、どうして、その架空のエピソードの中の競技が、この国で発展して、協会ができて、公式大会ができて、プロにもアマにも棋士がいて、僕はこの競技に出会ってしまったんですか?僕には何の才能があって、何の才能がないんですか。やっぱり、そんなのおかしいですよ。
紙袋 おかしい。僕もおかしいと思う。むしろ僕にいちばんおかしいと思う権利がある。
何も男 先生も困るでしょうけど、僕も困ります。17年ですよ。今更そんなこと言われて、今更どうすればいいんですか?
紙袋 知らない。小説っていうのは、小説を読んだ読者が物語の裏にあれやこれやを読み取って自分の人生や世界について考えを深めることを目的に書かれるんだよ。小説を小説として楽しまずに勝手に実用化する読者のために書かれるんじゃない。いや、そんな読者は読者でさえない。
何も男 でも、物語の裏に人間や世界についてのあれやこれやをこれを読み取って自分の人生や世界について考えを深めることができない小説だからこういうことになってしまってるわけではないですか。
紙袋 僕に責任があると。責任をとれと?
何も男 そんなこと言ってません。
紙袋 そんなこと言われた方がましだよ。僕は小説家だよ。小説家が小説を書いたんだよ。それを、嫌みでも批判でもなく、「小説だとは気づきませんでした」?その証拠に、余計なことの書かれていない素晴らしい指南書だと思ってこの本で学んでしまいました?人気が出て協会までつくってしまいました?今ではたくさんの棋士やファンがこの競技を楽しんでいます?人生を賭して、迷い悩んでいる者もいます?って????
何も男 落ち着いてください。
紙袋 落ち着かせてくれ。
何も男 大きく息を吸ってみましょうか。はあ~っ
紙袋 そういう場当たり的な解決を求めてるんじゃない。
何も男 すいません。
紙袋 なんで、今頃、なんで、これは罰なのか?
何も男 なんの罰なんです?
紙袋 ありえないほど才能がないのに誰の心にも響かない小説を書き続けてきた罪に対する罰。
何も男 そんな罪はありません。
紙袋 あるいは・・・
何も男 あるいは?
紙袋 いや…
何も男 すみません…うわ…いや、でも、あなたに謝ると、今度は僕が切なくなります。どうしたらいいでしょう?
紙袋 何もしないでほしい。そして、できることなら全部なかったことにしてほしい。
何も男 それは僕一人の力では無理です。
紙袋 じゃあ黙ってて。事態はここで話しあってどうこうなる範囲をとっくに超えてるんだよ。
何も男 はい・・・
紙袋 (ため息をついている)
何も男、何もしないで黙っている。つもりではいるけれどけっこう、何かしてしまう
しばらく。
何も男 ・・・・・・・・・・つらいですか?
紙袋 (キっとにらみつける)
何も男 どんなふうにつらいですか?
紙袋 説明させたいの?なんのために?
何も男 ・・・・いえ・・・・何か、解決の糸口を・・・
紙袋 ふん・・・どんなふうにつらいか?自分の、なけなしの最後のプライドが粉々に吹き飛ばされたようにつらいよ。
何も男 なるほど
紙袋 わかるなよ。わからないだろ。わからなくていいよ。こんな時でさえ、こん陳腐な表現しかできないんだよ。
何も男 いいえ。……わからないことはないです。
紙袋 (中途半端な同情に殺意)
何も男 あ、違います。
紙袋 書き続けてきた。
紙袋 売れないのはいい。奥行と深みがない。いや、それもいい。誰からも求められない。そう、求められないんだよ。
何も男 そんな・・
紙袋 (お前が言うな。)
何も男 すいません。
紙袋 才能とは自分を信じ続ける力のことなんだよ。
俺は信じてるよ。つまり才能だよ。才能あるから続けられるんだよ。だからやめない。やめていく奴を横目で見てた。やめていく奴をちょっと斜め上から横目で見てた。信じているから絶対にあせったりしなかった。頑張りすぎないように気を付けた。がんばりすぎるとがんばらないと手に入らないものを無理矢理追いかけてるような気がしてくるから。余裕がなくなると追い詰められるから、追い詰めないように余裕をもって人生に向き合ってた。キャパも小さいのに余裕なんか持つからいろんなチャンスを逃した。何を逃しても笑顔で見送った。どんな笑顔をどれくらいどこにむけて作ったか、ぜんぶ覚えてるよ。だって俺は笑ってたんだから。
何も男 ・・・・・
紙袋 自分を信じて続けていると、そういうことがどんどんうまくなるんだよ。
何も男 ・・・・・
紙袋 あの人のことはずっと大嫌いだった。
何も男 え?
紙袋 彼女……君の師匠だったんだ…。
何も男 ……えっと…?あの…あなたは…え?なぜ?どういうことですか?
何も男は猛烈に混乱している。
背後から突然、思いがけない声がする。
白靴下 あの!
紙袋・何も男・窓女 !?
白靴下 口を出していいものかわからなくてずっと黙ってたんですけど・・・
紙袋・何も男 ええええ?
紙袋 こんなに長い間黙ってたんだから、もうちょっと黙っててくれます?
白靴下 ・・・・でも。
紙袋 それにあなたこの件に関係ないでしょう。何も知らないひとに口を出されたくない。当事者にしかわからないナイーブな問題なんです。
白靴下 でも私は全く関係ないわけではないですし、なにも知らないわけでもないです。
何も男・紙袋・窓女 ええっ?
何も男 …関係者だったんですか?点転の・・・・?
白靴下 関係者じゃないです。でも この本をここまで読んで、ここまで話を聞いてしまったからにはさすがに何も知らないというわけにはいかなくなりました。無関係でもいられなくなりました。私にも言いたいことがあります。
何も男・紙袋 言いたいこと?!
白靴下 私たちたちは5年前に借りた本を今日やっと返したんです。
紙袋 ですから僕は貸してないです
白靴下 (無視) 待っていればなじんでいきます。なじんでいきました。でも、前と違うものに前と同じようになじんでいる自分は何かのつじつまがあってない気がしたんです。
白靴下 …
何も男 なんの話ですか?
白靴下 だってまだここにいるような気がしてしまう。そんなはずはないのにそんな気がしてしまう。
紙袋 えっと・・・
白靴下 つじつまを合わせたかったんです。
何も男 だから口を出すんですか?
白靴下 だから本を返しにきたんです。きっと。
紙袋 あなたも?!
白靴下 私じゃないです。
紙袋 ?
白靴下 私はこの本を5年前に読みました。
紙袋 へえ。
白靴下 そしてさっきもう一度読みました。
紙袋 ?
白靴下 あんなことが書いてあったんですね。5年前は違った。でも本はたぶん変わっていない。
だからきっと、もう読まない。
何も男 何を言ってるんです?
白靴下 辻褄が合わないのは別々に考えるからです。
見送った人と見送られた人は、その時からお互いがお互いの意味と理由なんです。
一方がもう一方に関係なく終わらせたり始めたりすることはできないんです。
僕らにとってはそういう5年間だったんです。
紙袋 ・・えっと
白靴下 妻はこの本をきっともう読まない。だから僕も。僕らにとって、今日という日はそういう日なんです。
紙袋 (何か言いかける)
白靴下 なのにですよ!なのに今僕は別の本を読んでるんです。
紙袋 なのに?
白靴下 読みたくて読んでるわけじゃないのに成り行きで読んでしまったんです。もうこんなに。もう少しで読み終わります。
紙袋 …
白靴下 あ。読みたくて読んだわけではないというのはそういう意味ではなくて・・・・
紙袋 …
白靴下 なのに……!とても…いい本です…
紙袋 …
白靴下 私は、点転に出会うために今日ここにいたわけではないんです。今日ここにいるのには自分のための理由があるはずなんです。
紙袋 ????
白靴下 なのに何故かこんなことになっているんです!
何も男 気にすることないですよ。点転との出会いはひとの数だけあるんですから。
白靴下 (何も男をきっと睨む。) そんな私の立場から言わせてもらうと。
紙袋 …あなたの立場??
白靴下 いったい何が問題になってるのか、さっぱりわからないです。
何も男・紙袋・窓女 ?
白靴下 点転が小説の外に実在したらなにがだめなんですか?
何も男 いや、ことはすでにそういう問題じゃなくなってるんです。
白靴下 いいえ。そういう問題です。先生は小説家ですよね。小説家は小説を書いてるんですよね。世界を作って、どこにもなかったものを、まるで最初からあったかのように読者に信じさせるために、工夫をこらすんですよね?
紙袋 小説だからね。
白靴下 小説ってそういうものですよね
紙袋 小説はね。
白靴下 嘘だと思ってほしくて嘘っぽく書くわけじゃないですよね?
紙袋 何が言いたいんです?
白靴下 まるであるかのように信じさせるためにまるであるかのように書いたものがまるでを超えてほんとうにあるかのように思われるばかりかほんとうにあるところまで行きついたら、これは小説の完全勝利じゃないんですか。読者がその小説を読んで自分の人生に具体的に役にたてて、何がいけないんです?どうして、先生はまるで敗北したかのような言い方をするんです?
紙袋 ・・・・
白靴下 実は現実化したら困ることを、まるで現実であるかのように書いてたんですか?
紙袋 ・・それは詭弁だ。争点はそこじゃない。
白靴下 誰が誰と争ってるんです?
紙袋 ・・・・
黒靴・白靴下 先生の小説が書かれなければ生まれなかった世界が確かにあって、そこで生きているひとたちが確かにいるんです。その場所が小説の中でないことがそんなに問題ですか?
小説の外にあって、その中に間接的に小説の読者が存在するのではだめなんですか?
何も男はうなづいている
白靴下 それに(何も男のほうに向きなおり)あなたにとってはさらにたいした問題ではないと思います。
何も男 ええ!?
白靴下 まあそういうこともあるかもしれない、と
思って黙ってればいいことじゃないですか?
何も男 ??(黒靴・白靴下を見る) 隠ぺい工作するってことですか?
白靴下 何もしないってことですよ。
何も男 ・・・・
白靴下 そもそも、それが小説じゃなかったら何が違ってたんですか?小説発祥の競技だったら誰が困るんです?
何も男 困るでしょう。僕は・・・僕は点転の世界の中で自分の能力と存在価値を問われてるんです。
白靴下 誰に問われてるんです?
何も男 誰って・・ひとつの道を究めるってそういうことじゃないですか。
白靴下 極めたいんですか・
何も男 悩んでるんです!
紙袋 プロになるんじゃないの?
何も男 あなたに言われると余計混乱します!
昔はそんなこと考えずにただ、シンプルに点転を信じてました。今より強くなれないことだけが不安だった。何も考えずに練習しました。だからきっと強くなった。
でも、もし点転をやっていなかったら、って考えるんです。僕が点転をやっている間に僕以外のひとの手の中にあったものは、ほんとうは僕が手にするはずだったものなんじゃないか。師匠はいいですよ。点転を広めて、頂点を極めてそのまま終わりまで突っ走れた…
紙袋 その言い方は…・
何も男 すいません。混乱してるんです。自分に同じことができるとは思えないんです。
僕がこれまで信じてたもののどこまでが点転でどこまでが師匠なのか。
点転は盤の大きさに規定がないです。
自分にちょうどいい盤を使っていくら強くなっても頂点までの道のりに見当がつかない。そもそも頂点があるのかどうかもわからない。自分がいったいどれくらい強いのか判断する基準がない。
強いといわれてそうなのかと思って、もっと強くなりたいと思ってがんばって、でも、そのことがこの先どんな風に展開していくのかさっぱり見当がつかないんです。
(紙袋に)先生に会えばわかるかなと思ったんです。
紙袋 ええええ?何が?
なにも男 点転を選んでこれまでやってきたことは正しかったって。そしてこれからも続けていく理由が。
紙袋 だから点転なんて競技は存在しないんだってば。
何も男 なのにそんな答が返ってくるなんて、いくらなんでもひどくないですか?
紙袋 そんなことを言われても…。
何も男 それではなんの参考にも理由にもならないじゃないですか。
白靴下 でも、競技の起源なんて、いろいろあるじゃないですか。中国とかエジプトとか。
何も男 ・・・?
白靴下 中国だったらよくて小説だったらだめな理由は何なんですか?いいじゃないですか。中国みたいなものだと思っていれば。
何も男・紙袋 中国は小説じゃないっ!!
白靴下 だから、例えばですよ。
何も男 たとえば中国みたいなものだと思ったらどうなるんですか?
白靴下 囲碁とか麻雀とかと同じ種類のものになるんです。
何も男 いやそれはちゃんと存在してるし、ちゃんと歴史があるじゃないですか。
白靴下 中国と小説をそんなにはっきり区別できるほど、あなた中国の何を知ってるんです?
何も男 そんな屁理屈を。中国のことはみんな知ってるじゃないですか。このひとの小説のことは誰も知らないじゃないですか。どこが同じなんです?
白靴下 だからそれは、中国のことはみんな知ってるような気がしてるだけですよ。
何も男 !!?
白靴下 中国と小説をこっそり入れ替えたって誰も
気づかないですよ。きっと。
何も男 そんなわけがないでしょう!まるめこもうとしていますね
白靴下 あなたをまるめこんで私になんの得があるんですか。あなたのために言ってるのに。
何も男 あなたのためにって根拠もなく言う人の言葉は簡単に信用したくないです。
白靴下 根拠を、示せばいいんですか?
何も男 え(たじろく)
紙袋 そうか。
何も男・白靴下 ?
紙袋 そうか。勝ったんだ。俺。
何も男 え?
紙袋 うん。確かに、俺の小説が書かれなければ生まれなかった世界が確実にある。そのことについてもっとポジティブに考えないと。
何も男 ・・・・僕はまだ納得がいきません
紙袋 まあ。時間がかかるよ。こういうことは。
何も男 時間の問題でしょうか。
紙袋 君にとってはね。
何も男 ・・・・・
紙袋 ただ、こっちはそうもいってられない。
何も男 ??
紙袋 負けたと思って油断してたら何もかも持って行かれる。
白靴下 どうしたんですか?
紙袋 つまりあのさ。この場合・・・著作権とか・・・ってどうなるのかな。
白靴下・何も男 え?
紙袋 いや、つまりこれは僕の小説の「二次利用」って話だよね。
何も男 二次利用ってなんですか?
紙袋 負けたんじゃない。勝ったんだよ。こういう勝ち方をしたんだよ。それをちゃんと意識しないと、守られるべき権利を守れない。
白靴下 こういうの二次利用っていうんですか?映画とかドラマとか漫画とかにすることでしょ?「現実化」するのにも著作権が関係あるんですか?
何も男 聞いたことないですよね。
白靴下 だって。それだったら、ウルトラマンごっこも NG ってことになりませんか?
紙袋 それは個人で楽しむ範囲でしょう。テレビの録画とかと同じで。
白靴下 じゃあ、ドラマの先生とか救命医にあこがれて、同じような人生を歩んで中学生を更生させたり、人の命を救ったりしたら著作権侵害なんですか?
紙袋 そういう極端な話をしてるんじゃなくてね。
何も男 ・・・・・・・・・点転が競技として発展していくことには反対ですか?
紙袋 いや。全然。むしろありがたいと思ってる。僕の作品が小説を超えて発展していくことはすばらしいことだと思う。
何も男 ・・・・・
紙袋 だけど、いやだからこそ、オリジナリティに対するリスペクトの気持ちというか、権利の保障っていうか・・・・。そういうことをないがしろにされたくないわけよ。
伝説っていったよね。いってみれば俺神だよね。神に対するそれなりの接し方ってあると思うんだ。
何も男 ・・・・それは・・
白靴下 それって、点転の教室とか大会にはいつも先生の名前を原作者としてクレジットしないといけないってことですか?
何も男 クレジットって何ですか?
白靴下 「この競技は〇〇原作のフィクションです。実在の競技のルールや歴史とは一切関係ありません。」って提示するんですよ。
何も男 そんなの困ります。
紙袋 だってそのとおりじゃないか。
何も男 そうですけど・・・でもそれじゃ・・僕らはいったい何をやってるんだ?ってことになりませんか?
紙袋 それは君たちが考えることで、原作者の俺が考えることじゃない。
何も男 今後、大会が企画されたり昇段試験が実施されたりルールの改定が行われたりする度に、先生の許可を得ないといけないということでしょうか?
紙袋 それはまあ、原作者だからね。
何も男 それは困ります。・なんとかなりませんか?
紙袋 別の名前の別のルールの別の競技をやればいいんじゃないかな。
何も男 どうしてそんな意地悪を言うんですか?
紙袋 意地悪?
何も男 ひどいです。
紙袋 あのさ、わかってる?君たちの正義は、僕の成果と忍耐の上に成り立ってるんだけど、そのことについてはどう考えてるの?
ふたり ・・・・
紙袋 俺は負けたんじゃない。勝ったんだよ?これは当然の正当な権利なんだよ?ちゃんと、言うべきことは言わせてもらう。
何も男・白靴下 ・・・・・・
紙袋 現実を見て、納得してもらわないと困るんだよ。
何も男 あの…
紙袋 なに?
何も男 それは・・・・あまりに哀しくないですか。
紙袋 なにが?
何も男 わかりません。でもすごく哀しいです。
紙袋 そんな言葉にはひっかからない。
何も男 ??
紙袋 要らないときは無視して、いるときは利用する。そういう考えには絶対に屈しない。
も男 そんなことは言ってません。
紙袋 なんだよ。どっちなんだよ。俺の作品が必要なんだろ?君らの人生なんだろ?君たちにとってそんなに大切なものを俺は提供してるんだ。俺と俺の作品が必要なら、きちんと誠意を示してほしい。俺に払う当然の敬意は高すぎるか?
何も男 ・・・・・・
機械音が聞こえる。
何も男 わかりました。協会に伝えます。話し合いの場を持ちましょう。
紙袋 よろしく
何も男 ただ・・・・。ここまで発展してしまった点転を、「実は・・・」といい感じに訂正することは難しいと思います。
原作者の存在を常に上に掲げて競技の世界が順調に運営していけるとも思えません。だから、きっと時間はかかると思いますけど、協会の結論はおそらく競技自体の廃止なんじゃないかと。先生に対する補償の話もそこでできると思います。
紙袋 え?なにそれ。それでいいの?
何も男 仕方ないでしょう。あなたが創った世界なんですから。原作者の気持ちを尊重したいです。
僕は僕で、そういうことなら踏ん切りもつきます。
紙袋 ええええ?何?プロになるんじゃないの?
何も男 なれたらいいですけど、なれなかったらどうしたらいいんです?この機会は僕にとっても大事な機会です。これを機に一生点転を続けていくか、これを機に点転をきっぱり終えるか。
紙袋 え・・
何も男 続けていくなら自分に対して、終えるなら世間に対して言い分ができます。
皆 ・・・・
何も男 これが誰かの夢なら、ためらうことなくさめることができる。
白靴下・・・
何も男 やめるときって、悩まずに辞めるものなんですね。続けていくかどうか悩むっていうのは続けていくためのオプションなんですね。
紙袋 え??いや、ちょっとまって。そんな早急に結論を出すのはどうだろうか。
何も男 結論って、出るときは一瞬なんですよ。僕も今知りました。
紙袋 どういうこと?点転はこの先消滅するっていうこと?
何も男 たぶん、そうなるでしょう。
紙袋 そんな勝手なことが許されるのか?
何も男 10年前に点転を始めて、だんだん勝てるようになって。天才少年とか言われて。点転だけを夢中になってやり続けて。
でも師匠が亡くなって、この本を託されて、この先自分はどうなるんだろうと考えて。先のことを考えたらこれまでのことも初めて考えるようになって。先生に会いに行こうと思って、今日ここでお話して・・・
今それを振り返ってみれば、まるですべてが最初からこの結論に向かって並べられていたようにしか思えないですけど、僕はつい今しがたまで、全く別の未来を考えていました。だけど、矛盾するようですけど。そんな自分は最初から最後までどこにもいなかったようにも感じます。
やっぱり、すべてはこういうふうに終わるために始まって、こういうふうに終わるために進んでいたんだと思います。
紙袋 ええ?えええ?ええええええ?
白靴下 終わらせるんですか?
何も男 終わるんですよ。
白靴下 勝手に終わったりはしませんよ。(紙袋に) あの本、続きがありますよね。第2章が。
何も男 あの本てなんですか?
紙袋 …(無視)
白靴下 第1章は、残された仲間がとりかえしのつかない気持ちをなんとかするために何かする話。第二章は、死んでしまった方のひとりが、とりかえしのつかない気持ちをなんとかするために、何かする話。
紙袋 …
白靴下 第1章の評判はとても悪かったけど、第2章の評判はもっと悪かった。
紙袋 …
白靴下 人生について描くことをはなから放棄しているからです。
何も男 (話についていけてない)
窓女 (気になって本を読み返している)
白靴下 誰かを見送り、弔うことについて書かれた第1章は、誰かの死について、つまり自分の生についての物語です。でも、自分が見送られ、弔われることについて書かれた第2章は何についての物語なのか。それは誰がなんのために読むものなのか。
何も男 なんの話です?誰に聞いたんです?
白靴下 本の話です。あなたの師匠に聞きました。
白靴下 でも、この小説は役に立つ。第2章の主人公と同じ立場にいるひとがこの小説を読んだら、きっとすごく役に立つと思います。(窓女のほうを見る)
紙袋 そんなひとがたまたまこの小説を読んだりはしない。
白靴下 かもしれません。でもそのひとには、きっと他のどんな小説も役に立たない。いえ小説だけじゃない。誰の経験も誰の知識も役に立たない。
白靴下 点転は、自分で制御できない要素が多い。だから、常にたくさんの可能性を見ている者に有利に展開していきます。そのためには常に、最も今後の可能性を狭めないところに可能性を狭めないように点を打ち込むことが必要になります。意味に沿って打つのではなく打ち込んだ場所に意味が生じるように展開させる。
白靴下の男は鮮やかな手つきで点を打ちながら語る。
皆、なぜそんなことを知っているんだという顔で白靴下を見る。
白靴下 …て、この本に書いてありました。
何も男 …(なるほど。ちょっとほっとする)
白靴下 盤の大きさに規定がないってことは…
これまで誰も見たことがないような大きな盤だってあるってことですよね。誰もがここがいちばん端だと思ってたところの外側ももっと大きな盤の内側だってことですよね。そこにもまた点を打ちこむことができるってことですよね?
点転は、実在しない架空の競技だってあなたは言ってましたけど(紙袋に)
そう言ってるのって実はあなただけじゃないですか。
現にこの国で発展して、協会ができて、公式大会ができて、プロにもアマにも棋士がいて、たくさんの人がこの競技に出会ってしまっているんです。
何も男 師匠がそうしたんです。
紙袋 あの人はなにをしたんだ?
何も男 点転じゃないですか?
紙袋 彼女も点転の棋士だったんだよね
何も男 あらゆる方向に可能性を広げて、どんな場合も必ず次の手を出してくる棋士でした
紙袋 そう…。
何も男 最後の最後までって言いますけど、師匠の場合は、誰もが最後だと思ってからまだ先があった。
ふたり、 窓の向こうを見ている。
紙袋 そういうひとだった。
何も男 師匠は、・・ぜんぶ知ってたんですよね
紙袋 ・・・・何がしたかったんだ
白靴下 あなたに本を返したかったんですよ。今日、ここで、ぜんぶ。
紙袋 こんなに?
何も男 こんなにあるなんて僕は知りませんでした。
白靴下 たぶん誰も。
何も男 なんのために…
紙袋 いろいろありすぎて、あのひとのことまで考えてる余裕がないよ。
何も男 僕だってそうですけど・・・・でも、今日師匠の葬式ですよ。
紙袋 ・・・
チャイムが鳴る
アナウンス 「ご案内申し上げます。あと5分ほどで火葬が終了いたします。ご一同様、 拾骨室にお集まりください。」
何も男 終わったと思っても案外まだ転がるものなのかもしません。
白靴下 じゃ、どこで終わるんです?
何も男 点転のルールでは、自分で終わりを決めることができるのは、負ける側です。
白靴下 なんで勝った方に権利がないんですか?
何も男 そういう決まりなんです。「負けました」って宣言することはできますけど、「勝ちました」って宣言はできないんです。負けなかったほうが勝者なんです。この物語はここで終えたい、この先はない、と思ったとき、負ける方が終わりを宣言します。
紙袋・白靴下 ・・・
何も男 それはきっと、勝負が終わった瞬間に、勝者と敗者の見ている世界はひとつになっているからだと思います。
紙袋 ・・・・・
何も男 だから、どちらが宣言してもおなじなんです。
紙袋 じゃあどうして負ける方が?
何も男 (呆)あなたがそう書いたんですよ。
紙袋 ・・・・・・
何も持たない男、無言で部屋を出ていく。
窓女、白靴下、紙袋を見る
紙袋を持つ男、しばらくして部屋を出ていく
窓女、本を閉じて立ち上がる。
ぼんやりと、紙袋の山を見る。
白靴下 それぜんぶちがう本なんですかね。
窓女、床に散らばる本を片付けつつ、紙袋の中身をさりげなく確認する
窓女 つまり、みんなに違う本を貸してたってことですか。
白靴下 ですね。
窓女 なんのために?
白靴下 ピンポイントな読者に読んでほしかったんじゃないでしょうか。
窓女 でも、でも、小説はそういうものじゃないって。
白靴下 小説はそういうものじゃないですね。
窓女 えじゃあこれは?
白靴下 何が書いてあったんですか?
窓女 …………ある日、一隻の宇宙船が、とある任務を負って故郷の星を旅立ったんです。
長い旅の末に、たどりついた星で、クルーの一人が死んでしまった。残された人たちは、もとに戻るのを待ちました。
でも、いくら待っても、もとの状態には戻らなかった。死んでしまったひとりも。残されたひとたちも。その星には、取り返しのつかないおしまいというものがあって、終わってしまったものはもとに戻らないんです。故郷の星では誰もそんな経験をしたことがなかったので、みんな戸惑いました。待っていても何も解決しなかった。
だからその星の習慣に従がうことにしたんです。
教わったとおり、ひとつひとつ具体的に真似をしました。それは、「弔う」という手続きでした。
意味も理由もわからないまま、みんながやるままに「弔っ」た。
そして、死んでしまったほうの一人は、仲間たちから弔われた。
白靴下 …
窓女 それから。仲間を弔った宇宙船は、もう何も待ちません。元に戻るのを待つのではなく、来た時とは違う状況で、違うメンバーでふるさとの星に帰っていきます。
……それを今度は、弔われた方の仲間が見送るんです。
白靴下 最後まで読んだんですね。
窓女 だって私はこの本のいちばんピンポイントな読者なんです。主人公と【同じ】立場にいたんです。
白靴下 最後まで読んだ人はみんなそう思うらしいですよ。
窓女 いいえ。私は、誰よりも主人公と同じ立場にいたんです。
白靴下 …最後まで読んだんですね、
窓女 ……あなたも。
白靴下 やっと読み終わりました。だからもう読まないです。
窓女 本を紙袋にしまう
黒靴の女は目を覚まし、夢うつつの状態でふたりのやりとりを聞いている
白靴下 辻褄が合わないのは別々に考えるからです。
見送った人と見送られた人は、その時からお互いがお互いの意味と理由なんです。
一方がもう一方に関係なく終わらせたり始めたりすることはできないんです。
機械音がする
白靴下 どちらかが終わったと思ったら終わるんです。(黒靴を見ている)
白靴下 ねえ。
窓女 …?
白靴下 とある任務って、何だったんでしょう?
窓女 そ…
かつん、扉になにかがあたる音。
黒靴の女はドアを開ける。
開けたドア窓の隙間から、空を切って何かが飛び込んでくる。
さっき何も男が窓の向こうへ打ち込んだ点の返りだ。
続けて窓の隙間からも、いくつも飛び込んでくる…
打ち込まれる、点、点、点……。
白靴下の男、窓女、黒靴の女は点を目で追う。
やがて静かになる。
黒靴の女は立ち上がり、あたりを見渡す。
白靴下の男の姿は黒靴の女にはもう見えない。
黒靴の女は荷物を持って、部屋の電気を消して、部屋から出ていく。
白靴下の男は、黒靴の女を見送り、そのあと「ここから」出ていく。
部屋の明かりが落ちると、窓の外から光が差し込んでいるのがわかる。ふと。窓の外が光る。
窓の外で音が鳴る。窓女は窓の外を見る。
窓の外で、何かがチカチカ光っている。
窓女は何か?をする。
機械音が流れる。
窓の外が光る。
窓の向こうで何かが発進した気配がする。器械音が大きくなり、
窓女はそれを見ている。
上空へ。やがてそれは見えなくなる。
窓女は、見えなくなるまで見送り、その後「ここから」出ていく。。
そして…
部屋の中には誰もいない。
最初から誰もいなかったかのように、部屋の中には誰もいない。たぶん。
終わり