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帽子

登場するもの: 私  彼

私 私は手品師だった。
日曜日になると公園へ行き、みんなの目の前で帽子を開けて鳩を出して見せた。
誰もが鳩を見て、大きな拍手をした。
私はにっこり笑ってお辞儀をした。
とても誇らしかった。
そして、なぜだかいつも、取り残されたように、無性に寂しかった。
  
彼はいつもいちばん前で、目をまるくしてそれを見ていた。
いつも。毎週。何回も。
何度おなじことが繰り返されても、
いつも心底不思議そうに、わくわくした目で見つめていた。
私にはそれがとても不思議だった。
だから、あの日の夕方。公園の近くの川原で彼にばったり出くわしたとき、
思いきって、私の方から話しかけてみたのだった・・・・。
           *************
 
私 ねえ。あなた、いつも公園に来てる?
彼 ・・うん。
私  彼はまるで帽子から出てくる鳩を見るように、驚いて私を見た。
 
私 知ってるわ。いつもいちばん前で見てるでしょ。
彼 ・・・・
私 手品が好きなの?
彼 ・・・うん。特に帽子から鳩を出すやつが。
私 そう・・・。
なんだかどきどきした。
 
私 ・・・あれはね、いちばん難しいの。
彼 ・・・そうだろうね。
私 ・・・・・ど、どうして?
彼 だって、仕掛けが全然わからないもの。
私 ・・・仕掛けなんかないわよ!仕掛けのない手品がいちばん難しいのよ。
彼 そんなのおかしいよ。
私 なにがおかしいの?
彼 仕掛けのない手品なんて・・・、
私 ずいぶん練習したの。それでもなかなかできなかったの。
  できるようになるまでに、ずいぶん時間がかかったの。
彼 ・・・・。
私 何度も何度も練習したのよ。それでもなかなかできるようにならなかったの。ねえ、それってどういうことだかわかる?
彼 ・・・・わからない。
私 帽子を開けるたびに、そこにいるはずの鳩がそこにいないっていうことなのよ。
彼  ・・・でも、僕は見たよ。君はいつも大きな白い鳩を帽子からさっと取りだして、人差し指の上に乗せて・・・。鳩は白い羽を広げて・・・・
私 できるようになったの!
彼 ・・・・
私 だからもう失敗したりしないの!
あなたがいつも公園で見ているように、いつでもちゃんと鳩を出すことができる。
彼  ・・・
私 できるようになったの。
私 帽子を開けるたびに、どきどきしながら目を開けることなんかないのよ。
彼 ・・・・・。
私 ちゃんと出てきた鳩を見てどきどきすることも。
 
彼は、とても困った顔をして、私の話を聞いていた。そして、言った。
彼 鳩は、どこにいっちゃったんだろうね。
私 ・・・・・・・・。
 
私 彼はとても困った顔をして、不思議そうに、私の顔を見ていた。
私は、それ以上もう何も言えなかった。 
 
私 突然、強い風が吹いてきた。
ぶかぶかの帽子はあっという間に吹き飛ばされて、川の面を滑っていった。
帽子が川下へ運ばれていくのを、私も彼も、黙って見ていた。
大きな夕日が川の面でゆらゆらと揺れていた。
そっちのほうはいつまでも流されることなく同じ場所にとどまっていた。
  
その日を最後に。私は公園で手品師をするのをやめた。
 
         ****************
 
私 にもかかわらず。
手品をしていた私と手品を見ていた彼にとって、
あの日はおしまいの日ではなく、長い時間の始まりの日になった。
 
私はもう二度と、公園で手品をしなかった。
代わりにもっと別の、いろんなことをやった。
できるようになるのに長い時間かかることもあったけれど、
それでもいつしかできるようになってしまった。
そして、そのたびにひとつずつ何かをなくした。
彼はいつも不思議そうにそれを眺めていた。
帽子から出てくる鳩を見ていたときとまるでおなじ目をして、
おなじように眺めていた。
私はそれを見ると、まず、いらいらして、そして羨ましいと思った。
それからとても安らかな、幸せな気持になった。
私がなくしてしまったものは、振り返るといつも、
彼の見ている世界のなかにぽつんと残されていた。
それを見失いさえしなければ大丈夫なのだった。
  
あのたくさんの鳩たちがどこへ行ってしまったのか・・・
もしかしたら彼は知ってるのかもしれない、と思うことがある。
 
あのとき私がなくしてしまったのは、消えてしまった方の鳩ではなくて、
帽子から出てくるようになった方の鳩だったのかもしれない。


この作品を音声ドラマで聞いていただけます(期限:6か月)
脚本・演出:久野那美
出演:大西智子 三田村啓示
音楽:山崎康弘(ゆっくりとじていく。)
録音・編集:合田加代(結音)
      

KIKIMIMIシアター第2話ー2『帽子』はこちらから
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