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兎の休日(3人 15分)

作:久野那美
※「短編集1 兎の日」より

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作:久野那美  

登場するもの: 兎(♂)
        兎(♀)
        誰か
           
誰か  むかしむかしあるところに。大きな兎がおりました。
    白くて、ものすごく大きくて、丸いしっぽがついていて、
    赤くて丸い目をしていました。
    兎は生きるのが好きでした。
    いつも食べていないと死んでしまうので。どんどんどんどん食べました。
    まず、野菜を食べました。
    野菜がなくなると木や草を食べました。
    昆虫を食べました。
    小動物を食べました。
    次には大きな動物も食べてみました。
    どんなものでも、食べることができました。
    食べるとちょっとだけおなががいっぱいになりました。
    身体もぽかぽかとあたたかくなりました。
    それはとても幸せなことでした。
    だけどすぐにまたお腹が空くのでした。
    食べるととても幸せな気持ちになりました。
    食べ終わったあとだけがとても幸せな時間でした。
    だからいつもひとりでした。
    誰かと一緒にいるときは、誰かを食べるときでした。
    他の動物も食べてみました。
    人間も食べてみました。
    友達の兎も食べました。
    友達でない兎も食べました。
    面識のなかった兎も食べました。
    椅子やテーブルも食べてみました。
    山や建物を食べました。
    町をまるごと食べました。
        
    兎にはともだちがいませんでした。
    なんでも食べる兎との付き合い方を、誰も知らなかったから。
    法律も文学も、哲学も科学も、そんなことは教えてくれませんでした。
    文学や、哲学や、科学が教えてくれるのは、人間と世の中のことでした。
    正しいことや間違ったことについてでした。
    なんでも食べる兎のことではありませんでした。
    法律は、なんでもたべる兎のことを裁いたりはしませんでしたが、
    なんでも食べる兎の権利についても説明してはくれませんでした。
    兎は法律を食べ、文学を食べ、哲学を食べ、科学を食べました。
    町という町を食べ尽くし陸という陸を、海という海を食べ尽くしました。
    音も、光も、風も…、みんなたべてしまいました。
    やがて世界は空っぽになりました。
    静かな真っ暗な闇の中で。兎は完全にひとりっきりになりました。
    いえ…なったはずでした。
    真っ暗で何もない世界の中に。ひとりで取り残されているはずでした。
    けれども…。
    真っ暗な、何もない世界の中にいたのは1匹ではなく2匹の兎でした。
    空っぽの世界を挟んで。同じような2匹の兎が向かい合っていたのです。


 
兎(♂) どうして会わなかっんだろう。今まで。一度も。
兎(♀)どうしてだろう。…通りすがりに何度も会ってたのかもしれないよ。
兎(♂) 僕と同じような兎がどこかにいるかもしれないなんて考えたことなかった。
兎(♀) 私も。考えたことなかった。だから・・・会えなかったのかもしれない。
兎(♂) 世界中になんにもなくなって。真っ暗になって。他のものは何も見えなくなったのに。
兎(♀) 今だって、見えないじゃない。
兎(♂) 見えないよ。君はほんとにそこにいるの?
兎(♀)あなたは?ほんとにそこにいるの?
兎(♀)ねえ。
兎(♂)?
兎(♀)耳に触ってもいい?
兎(♂)え?
兎(♀)だって、こんなに真っ暗じゃ、貴方の形がわからない。
兎(♂)ああ・・
兎(♀)ほんとにそこにいるのかどうかもわからない。
兎(♂)…
兎(♀)だって、こんなに何にもないんだから…。
兎(♂)しょうがないよ。
兎(♀)うん。しょうがない。
兎(♂)寒い?
兎(♀)寒くない。
兎(♂)あったかいね。
兎(♀)うん。あったかい。
兎(♂)あれだけ食べたんだから。
兎(♀)食べたものの分だけ、体温があがるのよ。
兎(♂)・・・
兎(♀)生き物だからね。
兎(♂)うん。
兎(♀)ねえ。
兎(♂)え?
兎(♀)おなか空いてる?
兎(♂)いや。君は?
兎(♀)私も。
兎(♂)…痛い。
兎(♀)ごめん。
兎(♂)痛いよ。そんなにひっぱったら…
兎(♀)ごめん。
兎(♂)しかもねじるなよ。
兎(♀)ごめん。
兎(♂)…兎の耳は敏感なんだから。
兎(♀)知ってる…
兎(♂)…
兎(♀)だけど何かに触ってないと、自分がどこにいるのかわからなくなる。
兎(♂)…食べてる時はそうじゃなかった。
兎(♀)うん。
兎(♂)食べたものがすとんすとんと身体の中に落ちていった。そして体温が上がっていった…。だけど暖まれば暖まるほど。世界はどんどん遠ざかっていった。
兎(♀)今は?
兎(♂)…。
 
            間
兎(♀)ねえ。…おなか空いてる?
兎(♂)・・・いや。今は何も食べたくない。
兎(♀) 私も。
兎(♀)どうしようか。
兎(♂)え?
兎(♀)こんな何にもない真っ暗な世界の中で。
兎(♂)…
兎(♀)僕たちが食べてしまった、空っぽの世界の中で。
 
            間
 
兎(♀)ねえ、
兎(♂)うん?
兎(♀)寒かったねえ。
兎(♂)…うん。
兎(♀)食べても、すぐ、寒かったねえ。
兎(♂)うん…。
兎(♀)ずっと、寒かった。でも…。
兎(♂)…
兎(♀)…痛い。ひっぱらないでよ…・。
兎(♂)…ごめん…。
 
 
誰か   兎が時間も食べてしまったので。
    それから一体どれくらい経ったのか、誰にも分かりません。
    ある日。雌の兎は大きな大きな丸い卵を産みました。
    それは固い殻に包まれて、白く鈍く光っていました。
    真っ暗な闇の中に、白い光が生まれました。

    遠くから眺めれば。
    卵の殻には2匹の兎の影がうっすらと映っているのが見えました。
    闇の中。卵は2匹の兎の間で、いつまでも白く光っていました。
 
    固い殻の中には、世界がひとつ入っていました。
    そこには兎がかつて食べてしまったものがみんなひととおりそろっていました。
     2匹の兎だけが…その中には居ませんでした。
                             終
 

               

この作品を音声ドラマで聞いていただけます(期限:6か月)
脚本・演出:久野那美
出演:葛西健一 七井悠(劇団飛び道具) 新免わこ
音楽:酒井康志(Foumalhaut)
録音・編集:合田加代(結音)
      

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