【平成といえば、3回死にかけたな私…あ、4回かも】 ~平成初期・学生編~
2019年5月1日、元号が「令和」となった
平成の終わり頃から、自分にとって「平成」とはどんな時代だったろう?と、問いかける事が多かった。
学生として、のほほんと生きてきた「昭和」と比べ、大人になってから過ごした「平成」は、今思うと私にとって激動だったと言っても過言ではない(と思う)。
そんな私の「平成」を、振り返ってみたい。
「死にかけた~」とタイトルに付けたが、先ずは平成最初、学生時代の自分について語ろうと思う。
ラジオパーソナリティに憧れて、なぜかレコーディングエンジニアを専攻する
昭和の終わり頃、J-WAVEが開局して試験放送から聴いていた。
音楽を重視した番組構成がとても心地よく、ナビゲーターの落ち着いた語りが、私の心に癒やしを与えてくれる時間だった。
「いつか、ラジオパーソナリティになる!」
と、想いはするものの、自分に自信がない私は「局のスタッフならば、行けるのではないか?」と、全くもっての勘違いをしたまま、レコーディングエンジニアを育てる専門学校に入学した。
文系畑の私は、スイッチャーがどうの、電圧がどうのに必死に食らいつく日々。
その専門学校在学中のアルバイトとして勤務していた、CDショップで「昭和」の終わりと「平成」を迎えた。
平成元年はそのCDショップで、美空ひばりさんの曲を沢山聴いた。
お腹を壊しながら飲む牛乳の味と、学生生活の終わり
レコーディングエンジニアといえば、女性は増えてはいたものの、まだまだ男性社会。
体力も必要である。
体力には、それなりに自信があったのだが、気がかりな事がひとつあった。
それは、お腹を壊しやすいこと。
小学校の給食で出される、サラッとした牛乳が大好きで、ゴクゴク飲んで午後憂鬱になっていた。
そのうちトイレに駆け込む事が増えたが、
「お腹を壊してもいいから飲みたい!」
と思うほど牛乳が大好き、いつでもトイレに駆け込む事のできる家での、帰宅後の一杯が定番であった。
あまりに、腹痛や下痢がひどいので、これは医者に診てもらおうと、何度か病院を受診した…
しかし、どの病院に行っても、原因が分からず効果の無い整腸剤を処方されて「様子見」とされることが繰り返された。
さすがに、高校生になって牛乳を飲むのは控えるようになったが、それでも頻繁に腹痛に悩まされる。
それでも、学校に通い続けた。
専門学校では、成績が良いという訳ではないが、頑張って単位を取り、先生の紹介で小さなマスタリング会社に、学年最初の就職内定者となった。
ラジオ局への就職は叶わなかったが、元々自分に自信が無い人間だったから、学年1番に就職内定したことで満足し、学生生活が終わったのであった。
<続く>