過去を語られなくてもいい。少しでも語り継がれる人になろう。
自分のことを語れない私
私は自分のことを、声に出して伝える事が苦手だ。いわゆる口下手。
司会者として仕事をしてはいるが、いざ自分のことを話すとなると本当に難しく感じ、キャラをつくって話す。
それは、家族に対しても同じである。
母は私の過去を知っているが、私の本質を知らない。
子ども達はきっと、「お母さんは病気を持ってる人」くらいにしか思っていないだろう。
親子げんかとわだかまり
昨日母に「だまって怒ってるみたいだけど、なぜ話してくれないの」と聞かれたので本心を話したら、聞いてくれるどころか自己弁解的逆ギレをされてしまった。
やっぱり私の本質を知ろうとしてくれないのだ…
今まで話さなかったのになぜ話してしまったのだろう…
そんな後悔をした。
子どもの頃からそういう母だったから話したくなかったのに、あまりに「話して」と言うから話したら、案の定の反応である。
挙げ句の果てには「感謝とかしてないわけ?」と、言われて心が折れた。
感謝していない訳はない!
病気で入退院を繰り返し、離婚を言い渡され、働けない状態でシングルマザーとなった私を迎え入れてくれ、生活サポートをしてもらい…感謝しかない。
ただ、過去に私の意見を「いいね」と言ってくれた記憶がないことから、ずーっと話すこと自体をためらっていた。
だが、「ありがとう」は口にしていたつもりだった。
が、それすら聞こえていなかったようである。
感謝の強要にも似た言葉に、悲しくなってしまう。
「やっぱり、私の本質は伝わらないのだ」
自分が悲しくなることを避けるのが、良いのかは分からないが、「話しても伝わらないから話さない」ことは母に伝わった気がする。
子ども達には私の過去について、聞かれたら話しても良いかなと思える年齢にはなった。
聞かれればなので、あえてこちらからは言わない。
他人から見た私と願望
家族にすら自分のことを話さないので、他人ともなれば「私」という人間は、よく分からない人なのだろう。
実際私の経験は「人の参考になるのでは」と思うほど色々あるが、
「それを人に伝えてどうなるのだろう」
としか思えない。
たまにヒューマンライブラリーで話をさせてもらう。ほんの少し自己解放し聞いてもらえる数少ない機会だ。
不器用な私であるが、今までの経験から、規模は小さくとも「語り継がれる何かを残したい」という願望はくすぶっている。
自分の想いと思い込み
ある日「自分の想いだけで進んできたのを見直してみようと思う」と、ある人に伝えたところ、
「思い込みが大きかったのもあるかもしれないね」
と返信が来た。
この時は「思い込み???」私のやっていたことって、思い込みなんだ…
と、落ち込んだ。
どんな意図でそう返信してきたのかを聞くつもりはないが、端から見てそう思えたのであれば、自分のやってきたことは人には伝わらないのかもしれない。
ただ、自分の想いがなかれば、前進もできないと思う。
そして、自分の想いを表現していかなければ、心が埋もれてしまう…そんな気がする。
前進しながら生きるための目標
目の前にあるものを精一杯務めた先に、ほんの少し「語り継がれる自分」として残るのかもしれない。