所感諸々。1
人間(動物も含め)は、生まれてから死ぬまで、学習をし続けているものだと思う。
ここで言う学習は、学校の勉強・勉学を指すのではなく、料理や掃除などはライフハック、人付き合いや仕事は自己啓発だったり占いだったり、芸術方面であれば美術館や博物館に足を運んだり。
何かを知りたい、智恵を付けたいと行動することが、考える葦と言う由縁かもしれない。
ただ残念なことに、考えすぎて立ち止まり過ぎてしまって行動が伴わず、実際に動き出した時に方向が大きく誤ってしまうこともあるように思う。
世の中の当たり前を、それが当たり前になる前のことを思い返してみたり、なぜ当たり前になったのかを考えてみると、ここに至るまでのいろんなものの相関関係や時代背景が、絶妙に関わっているのだなと思う。
便利なものほど、当たり前になってしまうと手放したり、疑ったりすることがなくなる。
昔は良かったね、とかの感傷的な意見ではなくて、ここに来るまでの過程を『進化』の過程と考えたなら、どこに向かって行くのかを予測することは、自分を含めたいろいろな世界をより良くするために、必要な事柄だ。
先の事は誰も予見は出来ないし、毎日の生活が同じ様な日々と思ってしまうと怠惰になったり、寂しく感じたりもするけれど、1秒1秒の自分の動きをコマ切れに観察すると、決して同じことはしていないし、進みは遅くとも『進化』の過程を歩んでいることを感じられるのではないかなぁと思っている。
悲しい事件が起こって、事件を起こした張本人の生活環境や人となりを語られて、ただのクズじゃないかよと思ってしまうのは簡単だし、事件・事故に巻き込まれないよう自衛を強くすることも大切だけど、何が起きてここに至るのかを、冷静にまず見つめないといけない。
国の首長が、支離滅裂な言い訳しかしてないことも、冷静に見なきゃいけない。でも、今回のお花見の話は、パリピの夫婦が調子乗っちゃった、にしか思えなくて草。