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行動が正しくたって、理解しないと意味はない。

各種セミナーがオンラインで容易になり、自由度が高くなりました!
一番無駄だと思われている移動はなくなったし、ギリギリ音声だけの参加もいいよ!ってところはそれでも参加できちゃうのですごく便利だなーと思っています。

ただ、自由度が高くなったらなった分、本当に自由になってしまう人がいますよね。
その辺って、子どもの頃からの教育かな?育ちかな?とか思っちゃったりするけど、社会に出たらなんとなーく分かるもんなんじゃないかなということがありました。
だって、「それ!オフラインだったら絶対しないでしょ!」と。

私は今日、すごーくすごーく迷って、めっちゃ正論を手に持っていましたが、本人の耳に届くように文章を書いては消し、書いては消しの繰り返しで、結局何も言わずに今の時間になります。

はい、ここからが本題です。

この内容がどうとかじゃなくて、昔の自分と今の自分を比べました。
昔の自分だったら絶対に「それ、おかしくないですか?」とすぐに言って、しかも嫌われたって平気精神が働き、公開処刑にまでなり、その人を攻撃します。

論破する人って嫌われるんですよね。
でも正しいことを言っているのですぐに正します。
きっとこんな感じです。

「それはおかしくないですか?」と問う。

言われた人は行動を正す。

でもその人は行動を正しただけで、心は変わっていない。

むしろ心は言った私を非難する心でしかない。

イコール解っていない。

だから今回は踏みとどまりました。
まだまだ信頼の距離感もない仲ですから、これは信頼を築いてからにしようと思ったのです。

この一連の心の動きはこうです。

正しいか誤りかと言ったら、私が正しい。

正しいを解ってくれるのは信頼できる人。

距離が遠い人には響かない。

だから先に信頼を作る。

前提には、「それを言わなかったことで命の危険はない」というところ。当たり前ですが…。

私は言われたら結構素直に「はい」と素直になれる方です。
しかし、それは感情的に言っていたのか否かは判断します。
感情的になって言う言葉のほとんどは自分の好き嫌いだけの問題なので、そこは「はい」とは言わず、「なぜそう思われたのですか?」とおそらく聞くと思います。

だからこの一件も、今自分は感情的になっていたのかも考えてみました。
(ちなみに自分の中では感情的にはなっていなかったが答えです。)


色々と自分の心を分析してみて解ったのは
問題はそこではない!ということ。
目的は何か。今回だったら、その人の行動を正すのが目的ではなく、その人に理解してほしいというところなわけです。
だから指摘して、行動を正したからって、その人は理解していません。
信頼が先でしたね。

自分で言っちゃうけど少しは成長したかな。


治療費にあてさせていただきます。大事に使わせていただきます! そして皆様の健康に役立つ情報をお届けできるようにこれからも学び、発信し続けますので温かい目で見守ってほしいです\(^o^)/