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海上自衛隊潜水艦「八重潮(やえしお)」搭乗記
潜水艦に乗るなど私の人生でおそらくは空前絶後、だから、まだ記憶が新しい内に書いておきたい。
あらかじめ注意しておけば、潜水艦内部の写真撮影はもちろん厳禁、おまけに停泊地は横須賀米軍基地内部、従って外部の写真のみ。
この米軍基地内部に入場するときにも実は一悶着あって、これはこれで面白かったが一切省略する。
私は潜水艦というものに生まれて初めて乗った。
潜水艦の知識など皆無、せいぜい『沈黙の艦隊』を読んだくらいが関の山だ。
しかし、自分の目の前で初めてその威容を見た時、最初に思ったのは「これは人間の乗り物じゃない」という感慨だった。
黒く鈍い光を放つ流線型の鋼鉄の巨体。鉄の棺桶という言葉があるが、それ以上に鉄の墓標という不吉な印象を受けた。兵器というものが備える徹底的な合理性は、人間のやわな感傷など完璧に撥ねつける。
その黒い艦橋では、清潔な白い制服を身にまとったサブマリーナたちが敬礼して我々を迎えてくれた。晴天の下、黒い兵器と白い制服、そのコントラストに、私は一種の崇高さを感じたことを正直に告白しておきたい。
黒い艦橋には、ぼっかりとハッチが口を開けていた。
その狭い穴から潜水艦腹部への垂直下降は、晴天の自然世界から薄暗い鋼鉄の世界への通路だ。降り立ったら、そこはまるで映画の世界だった。
曲がりくねったパイプが幾重にも狭い通路を取り囲み、鈍く光る計器がそこら中に見える。これは映画ではない、紛れもなく本物の潜水艦内部なのだ。
案内してくれた士官は、とても気さくな人だった。
我々の、というよりも、私の無知全開で不躾な質問にも「それは答えられませんねえ」と明るく苦笑してくれた。
例えば、
「充電なしでバッテリーはどれくらい持つのですか?」
「まさか1000メートルは潜れないですよね?」
「何日くらい潜行するんですか?」
などなど、今思い返しても赤面するような愚問を私は連発した。
驚いたことは、幾つもあった。
士官室は狭かった。食堂も狭かった。しかし、それ以上に狭かったのは唯一の個室である艦長室だった。
映画などで見る潜水艦の艦長室は、なかなか立派なイメージがあったが、海上自衛隊のディーゼル潜水艦の艦長室は薄いカーテンで仕切られた畳一畳ほどの空間しかなかった。
居住性を重視した(むしろ重視せざるを得ない)戦略ミサイル原潜の艦長室とは訳が違うとはいえ、実に窮屈なその空間を覗き込みながら、私はある種の感慨を覚えざるを得なかった。
発令所には、もちろん潜望鏡がある。
これを覗きながらグルグル回して、その解像度に一人で喜んでいたら、背後で案内士官がソナーの説明をしていた。
私はすかさず「映画などではソナーの達人が活躍しますが、ここにもそんな人がいるんですか?」と聞いた。士官は私の背後を指さして言った、「そこにいますよ」。
いかにも一癖ありそうな男が発令所の計器画面を背にして椅子に座っていた。つい先程までは誰もいなかったので、私は少し驚いた。
彼に何を聞いたのか、私はよく覚えていない。
ただ、彼は「耳だけでなく目でも見る」と言った。おそらくソナーの音響情報から対象物体を視覚化して総合的に判断するということだったと思うが、それよりも印象深かったのは「要するに適性なんでしょうねえ」との言葉だった。
彼は、元々は航空自衛隊を目指していたが視力の問題で断念し、気がついたら「潜っていた」そうだ。しかも題名を失念してしまったが、最近の某小説に出てくるソナー技師は「自分のことだ」と教えてくれた。取材を受けたそうである。
とはいえ、この男から充分な情報を引き出すのは簡単ではなさそうに思えた。言葉を選びながら話す彼の口元には硬質な意志力がにじみ出ていた。さぞや小説家も大変だったろう。
適性という言葉は、別の搭乗員も口にした。
私は思わず尋ねた。「何日も潜水艦の中にいるのは神経が参りませんか?」。
頭では知っていた。しかし実際に潜水艦の内部に入って初めて実感できたのだが、内部は全て金属なのである。しかも狭い。どこで転んでも、どこに頭をぶつけても痛いのである。
この鋼鉄の檻に人間が何日も「住む」ということが、どういうことか、どういう精神状態になるのか、私には想像を絶した。
彼は「適性検査で振り分けられますから。潜水艦を志望しても適性がマッチしない人もいれば、その逆もあります」と答えながら「自分は、その逆の方でした」と笑った。
言うまでもないが、適性検査など、アテになりはしないだろう。結局は、結果から事後的に判断するしかないのである。しかし事実として「何日も潜れる」という結果に至るまでのプロセスは、訓練と忍耐以外の何ものでもないだろう。
適性検査の結果が何であれ、自分が、この黒い鋼鉄と折り合えるかどうか、その一点を適性という言葉で、しかも事後的に表現しているに過ぎないのではないか。
極めつけは、魚雷発射室にあった。
案内士官の魚雷を装填する説明を聞きながら、私は両脇に並んだ小さなベッドが気になって仕方がなかった。ベッドの脇に、ちょうど人間の身長くらいの長さで鈍く光る流線型の物体が無造作に横たわっていたからだ。
即ち、むき出しの魚雷である。
「ここで」と魚雷を指さしながら、たまりかねて私は聞いた、「人が寝るんですか?」。
士官は笑いながら答えた、「慣れると、ひんやりして気持ちがいいんですよ」。
慣れるのか?
むき出しの魚雷と並んで寝ることに、人間は慣れるのか?
その瞬間、私も一緒に思い切り笑い出していた。
魚雷を抱いて熟睡できてこそ一人前のサブマリーナなのだ。
それを「たくましい」と賛美すればよいのか、あるいは、したり顔で「非人間的」とでも沈鬱な表情をすればよいのか、どちらにせよ、そんな底の浅い民間人の感想など吹き飛ばしてしまうような現実が、そこにはあった。
私は冒頭で「これは人間の乗り物じゃない」と書いた。
しかし現実に、この黒い鋼鉄の腹部で70名余の人間が生きて暮らしているのである。
この現実を前にして、私には、これ以上語るべき言葉を見つけることができなかった。
振り返ると黒い艦橋の上で敬礼している士官たちが見えた。
私は、生まれて初めて見た黒い鋼鉄の兵器以上に、彼らの笑顔、苦笑、そして困惑した表情を忘れることはないと思う。
今日の横須賀は晴天でよかった、心からそう思った