戦時下に生きる - 市川房枝と吉田満
戦後、公職追放となった市川房枝に次のような発言がある。
ある程度戦争に協力したことは事実ですからね。その責任は感じています。しかしそれを不名誉だとは思いません。例えば私の友だちなんかでも戦争になったら、山に入っちゃって、山でヤミのごちそうを食べていた人がいるんですよ。戦争が終わったら帰ってきて、私は戦争に協力しなかったっていう人がいるけど、私はあの時代のああいう状況の下において国民の一人である以上、当然とはいわないまでも恥とは思わないんですが、間違っているでしょうかね。
(*)小熊英二『<民主>と<愛国>』新曜社 p.102。この市川の発言、孫引きで申し訳ない。
市川房江は呟く。「間違っているんでしょうかね」。
これを間違いだと言う人は、隠れて山でヤミのごちそうを食べるかどうかは別にしても、どこか何かがおかしくはないか?
このような人が、たとえ終戦後に「反戦のヒーロー(ヒロイン)」として賞賛を浴びるとしても、それは、どこか何かが、おかしくはないか?
むしろ「戦犯」として指弾され公職追放された市川の方に、それが正しいとまでは言わないにしても、共感を感じてしまうのは、おかしいのだろうか?
戦時下であれば、戦争協力するのが当然であると言いたいわけではない。
戦争協力という錦の御旗の下に「非国民」を追い詰めた「過剰な愛国者」たちの底知れぬ醜怪さと倒錯した欲望(ルサンチマン)は、「非国民」と名指された人々にとって、それこそ骨髄に徹したはずだ。
しかし、他方で、同胞たちが戦時下の窮境に苦しんでいるとき、それを横目で見ながら「反戦という大義」にかこつけて山に隠れるといった「正しい行動」には、どこか違和感が残らないだろうか?
断っておくが、私は「右翼」ではなく、市川に至っては、周知の如く、戦前・戦後を通じた代表的な婦人運動家である。
市川のように、戦中の泥沼から逃げず、そこに踏み止まった生き方に何か確かなものを感じ、山へ逃げ込んだ反戦運動家の「正義」に違和感を感じてしまう私の直感には、どこかおかしいものがあるのだろうか?
この市川房枝の発言を思い出したのは 、つい最近、吉田満『戦艦大和ノ最後』を読んだからだ。その後書で、吉田は次のように書いた
前に発表された際、これは戦争肯定の文学であり、軍国精神鼓舞の小説であるとの批判が、かなり強く行われた。
(*)吉田満『戦艦大和ノ最後』講談社文芸文庫 p.167。
いかにもありそうな紋切り型の批判であるが、これに対して吉田は、苛立ちを隠そうともしない。
戦没学生の手記などを読むと、はげしい戦争憎悪が専ら取り上げられているが、このような編集方針は、一つの先入主にとらわれていると思う。戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反発しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか。(いうまでもなく、戦争の上にあぐらをかき、これに利己的に妥協し、便乗していた者は論外である)
ようやくサンフランシスコ講和条約が発効し、占領軍の検閲もなくなった昭和27年の時点でこのように書いた吉田にとって、例えば岩波の『きけ わだつみのこえ』改竄事件などは言語道断、とうてい許しがたいものであったろうが、ここから更に「当事者の一人」として振り絞るような声を挙げる。
このような昂ぶりをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか。或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲すべきであったのか。戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。
この吉田の声に反問することができる人が、一体、どこにいようか?
戦時下であろうがなかろうが、生きることは難しい。
私は、これまで、人が戦時下の異常さを殊更に言挙げするのを聞く度に、そこはかとない違和感を感じ続けてきた。
確かに戦時下という時空間は人々に異常な日常を強いるものであろう。しかし、それでもなお、このように感じる私の感覚の根本にあるのは、一人の人間が自分の生を営むという点では、戦時下の日常も平和時の日常も、どちらにも本質的な相違はないと感じてきたからである。
異常な生活もそれが日常となれば異常でなくなる、それも確かであろうが、それだけを言いたいわけではない。
どのような生活状態であれ、そこで生きるしかないと思いを定めたとき、人は、その生活のあり方を好もうが好むまいが、正しかろうが間違っていようが、ただ懸命に生きるしかない。これは、どの時代、どの社会でも不変の真理である。
同時に、どのような生活状態であれ、人は正しいこともするし間違ったこともする。かけがえもないほどの崇高な行為もあるし、唾棄すべき卑劣な行為もある。これもまた不変の真理であろう。
我々の「現在の生」が、まさに、これ以外の何ものでもなかろう。
「反戦」でも、何でもよい 。
どんな思想や価値観でも、かまわない。何か一つの「それ」によって一律に人を、あるいは時代を断罪することには、平板で悪しき意味での政治的な効果しかない。
人間の生を一律に裁断してしまう、この鈍感さには、何か耐えがたいものがないだろうか。
吉田満は、戦艦大和の特攻攻撃という激烈な戦闘下、天の配剤か、文字通り九死に一生を得た。
他方、市川房枝は、銃後で、婦人参政権活動のため戦時下の政治状況と妥協し、戦後、戦犯として公職追放された。
しかし、両者は共に、ソクラテスが自分を断罪するアテナイ法廷で語ったように「自分の場所」から逃げなかった。
彼らには確信があったわけではない。確信があって逃げなかったわけではない。確信など、あるわけがなかろう。その現場で、その真っ最中に、彼らは一体どれだけ自分に問うたことだろう。
「これでいいのか?」。
彼らは、自分に向けて、振り絞るようにして問いつつ、しかし、そこから逃げなかった。
これは、まさに我々の「現在の生」ではないか。