大半は、うまくいかない
成功したケースを、ことさらにアピールすることは、しばしば問題の大局を誤らせる。
それを「感動ポルノ」と呼ぶかどうかは別にして、貧困や障害の問題は、この種の誤謬に満ちている。
大半は、うまくいかないのだ。
だが、私などに言われるまでもなく、ほとんどの人は、この真実を、いわば直感的に感じ取っている。
だからこそ、人は、稀にしか見られないからこそ、この種の成功ケースに感動するのだ。
先日、八王子市の部長級と課長級との三人で話をした。
最近は「誰一人とりこぼさない社会」という標語が流通し始めているが、実際は、ボロボロと、とりこぼし続けている。
だが、これは、必ずしも行政が無能だからではない。
問題が、あまりにも困難だからだ。
感動的な(あるいは超人的な)成功ケースは、一般の人たちに対して、むしろ、この困難さを隠蔽してしまう効果を生み出す。
だが、だからといって、数限りない失敗ケースを公にすることなど、できるわけがない。
ここには根本的なジレンマがある。
とはいえ、別な角度から、問題を捉える可能性もある。
それは、いわば「構造的な視点」である。
対人的な場面での福祉政策とは、例えば、先の方で分岐してゆく巨大なエスカレーターを想像してもらうと、わかりやすいかもしれない。
当事者を目の前にして、インテーク(初期面接)して、アセスメント(状況の客観的評価)を行い、その上で、適切なオプション(制度的支援策)に繋いでゆく。
まずはエスカレーターに乗ってもらって、その先でいくつかのオプションに分岐してゆく、そしてめでたく「課題解決」に至る、といったイメージである。
この最終地点にまで至った人が成功ケースであり、その苦闘のプロセスは、一種の感動ストーリーでもある。
だが、ここで、ほとんどの人が想像できないだろうと思うのは、次のような現実である。
たとえ、どれほど立派なエスカレーターであったとしても、このエスカレーターに乗ってもらえない、かろうじて乗ってもらえたとしても、すぐに降りてしまう、あるいは、そこから落っこちてしまう人が大量に存在するのだ。
しかし、注意してほしい。
そもそも、エスカレーターがある限り、たとえ、それをどのように改善したとしても、それに乗らない人、降りてしまう人、落っこちてしまう人は、必ず存在するのだ。
つまり、構造的な視点からいえば、エスカレーターを前提する限り、必ず「こぼれ落ちる人」は存在する。
では、いっそのこと、エスカレーターを、なくしてしまえばよいのか?
それは、あり得ない。
このエスカレーターのおかげで、たとえ幾多の問題が残っているにせよ、徐々に改善されてきたエスカレーターのおかげで、無事に「課題解決」に至った、たくさんの人たちも存在するのだ。
これが示しているのは、行政の強力なパワーであり、同時に「構造的な限界」でもある。
ここで再び注意してほしい。
このエスカレーターに乗る母集団は、その全体が、そもそも困難な状況にある人たちなのだ。
一般の人であれば「エスカレーターに乗るのが当然」と思うに違いないとしても、しばしば、それが困難な人たちなのだ。
この現実は、たとえようもなく、重い。
つまり、私たち(それは誰のことか?)が考えなければならないことは、エスカレーターが、その改善も含めて必要であると同時に、そこから必然的に生み出されてゆく「こぼれ落ちる人々」を受け止めるための「受け皿」を、どのように構想し、社会的に実装してゆくか、この点にある。
私は、冒頭で「大半は、うまくいかない」と書いた。
しかし、なぜ、うまくいかなければならないのだろうか?
うまくいかないままで、そのままで、生きていくことはできないのだろうか?
私には、この種の根本的な疑念があり、うまくいかない人たちも(本人は苦しいのだが)、それでも、そのままで生きていって何が悪いか、との、居直りにも近い強烈な思いがある。
そのための、私たちの社会の基礎にあるべき「受け皿」なのである。
そして、この「受け皿」として、私がうわごとのように言い続けているのが、前面に位置する子ども食堂と、それを背後で支えるフードバンクの地域的な二層構造である。
その両者のネットワーク構築と相互連携である。
ここで強調すべきは、この「受け皿」には基本的な条件があるという点だ。
それは、上記のエスカレーターから「こぼれ落ちた人々」の「受け皿」であるがゆえに、この「受け皿」自体が、行政やその外部機関の介入・指導によって、見るも無惨にエスカレーター化してはならない、という点である。
これまでもがエスカレーター化したら、元も子もないこと、誰もが理解できるはずだ。
だが、現実は、しばしば、そうではない。
ヘタに行政が関わることによって、せっかくの民間活動が行政の下請け化して「劣化した行政窓口」になってしまう。
私が「アタマの悪い市役所職員もどきを、これ以上、作るな」と言ったら、二人の八王子市職員は、苦笑していた。
彼らにも、この状況はわかっているのだ。
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