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嫁姑②



小学5年生の秋、父方の祖父母との同居が始まった。
長年勤めていた大学病院を定年退職する祖母からの提案で、祖母が退職金から頭金を出し、残りを両親がローンを組んで家を購入した。
それまで県営住宅に住んでいた私たち姉弟は、庭のある新築の一軒家に暮らせることを喜んだ。両親は共働きだったので、これからは家にいつも祖父母がいることが、私は単純に嬉しかった。
でもそんな楽しい気持ちは引っ越してから間もなく消えた。

祖母は別に私たちと暮らしたかったわけじゃない。同居を決めたのは仕事を辞めるにあたって、その後の生活のためだったんだなと後になって思い知らされた。
私は祖母に嫌われていた。
「これ方の子(この家の子)は隠気じゃぁ」
とよく言われた。姉や弟にむけて言っているのを見たことはないから、陰気なのは私のことなのだろう。祖母が手をあげることはなかったけど、投げつけてくる言葉は私の心を裂いた。
姉も弟も見ないフリをした。母は弱くて何も言えなかった。父はフリどころか気づいてすらいなかった。
祖父は…祖父も可哀想な人だった。

祖父の父は一代で財を成した、当時は辺りでその名を知らない人はいないくらい有名な人だったらしい。そしてその財産を一人息子に託すため、親族との縁をきったそうだ。そして祖父は自分の父が一代で成した財を、一代で潰したのだった。

全ては祖父と祖母の結婚前のことだ。でも自分の娘たち(父の妹二人)から、そのことをなじられバカにされていた。大人しい人で、娘にボロクソに言われても黙っていた。
祖母がいない時、私が一人で自分の部屋にいると、祖父は突然部屋のドアを開けて喚いた。
「今、ワシの悪口言うたじゃろう!」

こんなことが何回かあった。一度だけその場に弟がいたことがあり、凄くビックリしていた。
大人しい祖父だってプライドくらいはあっただろう。甘やかされて育った人なら尚更、今の肩身の狭い状況は耐え難いものだったのかもしれない。だからそのウサを私ではらしていたんだと思う。
家庭環境のせいで、グレる同級生がいたけど、そんな暇なかった。
いつも思ってた。
大人になって早く家をでたい。
(社会的にも)自分で自分の責任をとることのできる大人に早くなりたかった。

中学3年の時、母が家出した。私も連れて行って欲しかった。母がいなくなったら更に風当りが強くなるのは簡単に想像できた。
祖母は私に
「お前も出て行け!」
と言ったが、私には行くあてがなかった。だから生活力のある大人になって、早くここを出て行こう。出ていったら二度とここには戻らない。
そう決心していた。

その後、2年くらいで父に説得された母は家に戻ってきた。その時も祖母は荒れ、うけとめるのは私だった。

高校を卒業して一年後、私が家を出て行く時すでに祖母はこの世になく、母は体調をくずしていた。それでも私は家をでた。それがよかったのか悪かったのか、いまでもわからない。でも、家を出て一年経たないうちに苦しみの果てに亡くなった母を、私は見捨てたんだという罪悪感を胸に抱いて生きている。


※これは2019年8月にブログにあげたものを再編集しています。

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