忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
「男らしさ」の息苦しさ
「『男らしさ』の息苦しさ」を、男性も感じているんじゃないの(吉田)
――中村先生の著書(『戦争とトラウマ: 不可視化された日本兵の戦争神経症』)の中で触れられていた、男らしさを是とする軍隊と女の病としてのヒステリーについてのお話が、面白いなと思いました。男らしさを是とするという価値観は、今も脈々と受け継がれていると思っていて。そういう目で世の中をみたときに、違和感を感じることがたくさんあるんですけれども。
中村:この部分は関心を持ってくださる方が多くて、私も結構、戦略的に男性史を研究しているところがあります。もともとジェンダーには関心があったのですが、ジェンダーというと、女性のことばかりという先入観がある方が多くて。せっかく軍事史をやっているし軍隊と「男らしさ」の歴史をやってみようかなということは、大学院に入ったときから考えていました。
吉田:「『男らしさ』の息苦しさ」みたいなものを、男性の側も感じているんじゃないの。
中村:それを言うのがなかなか難しいんだな、というのは感じますね。学生に聞いても、そういったことを自分の経験として語ることが難しいみたいで。でも「ああ、すごく分かります」というような共感はしてくれます。なので、もう一歩踏み込んで、自分の問題に引き付けて考えてもらえるように、私もアプローチを変えた方がいいのかも知れないんですけど。
日本史でジェンダーに関心が高まったのは、「慰安婦」問題が大きかったと思うけれど、それを支える日常的な構造にも目を向けないといけない(中村)
――「『男らしさ』の息苦しさ」という言葉が、すごくぐっときました。
吉田:僕らの世代は、露骨な形で出てきていたから。父親は、「女の腐ったような奴だ」「男は人前で歯を出して笑うもんではない」とか、よく言っていました。今はさすがに言わないよね。
――いや、近い言葉は……。
中村:ありますね。反戦運動をしている人でも平気でそういった言葉を使うことに私は違和感があり、ジェンダーを意識するきっかけにもなりました。
――本当に。そういう分野に近い方でも、ふとした瞬間に「あれ?」と感じるときがあります。世の中全体に根付いているものだなと思ったりするんですけれども。
中村:日本史でジェンダーに関心が高まったのは、恐らく日本軍「慰安婦」問題が大きかったと思うのですが、それを支えていた日常的な構造にも目を向けないといけないんじゃないかなということは考えています。
平成の終わり
平成って、像を結ばない。昭和についてはいろんなことを思い出すんだけど、平成はのっぺりしている感じ(吉田)
――今年(2018年)、天皇の生前退位のニュースがありましたね。今の世の中の流れに対する天皇からの強いメッセージのように感じました。私自身は、物心ついた頃からずっと時代は平成だったので、平成が終わるとなったときに、実感がわかなくて。先生方は、「平成の終わり」をどのように考えられているでしょうか。
吉田:平成になって初めて「象徴天皇制」が確立しました。その前の昭和天皇は、戦前からの意識を引きずっていたし、戦争責任という問題も結局引きずったまま終わっちゃったので。そういう意味では、今の天皇は、本人の意思で、「開かれた皇室」という方向に舵をきって、それが非常に上手くいって、とりあえず安定した皇室ができ上がったわけですよね。ただ逆に、多くの国民の支持を受けているので、天皇や皇后の批判ができなくなっちゃった。昭和から平成への改元のときには、それこそ右翼の暴力みたいなものはまだ日常的にあった時代ですけれど、緊迫した状況の中でも、手厳しい天皇批判があった。新天皇の記者会見で「昭和天皇の戦争責任についてどう考えるか」とか、かなり突っ込んだ議論がなされていたんですよ。それが今は、いわばソフトなタブーが形成されている雰囲気があると思います。「(天皇は)良い人ね」みたいな。たしかに良い人だとは思うんだけれども(笑)。僕は、退位のメッセージは、憲法に違反する可能性が非常に高いと思います。摂政は置かないということを事実上言っており、それは「皇室典範を改正しろ」ということに等しい。明らかに政治的な発言なんですが、圧倒的に支持されちゃっているから。これで2019年の代替わりの時期になって、本当に自由な議論の場が確保されているのかなというのは、ちょっと感じますね。
それと、今年(2018年)の8月15日の報道をみていると、明仁天皇がいかに平和に心を砕いてきたか、その思いを私たちも継承しましょう、という感じの取り上げ方が目立ったと思うんですけれど、そういう取り上げ方はもうこれでおしまいだからね。戦争体験のない新天皇にはそういう思いは希薄だし、国民の心に響くメッセージにはならないと思う。国民の側も戦争体験を持たない人が9割を超えているから。2019年の8月15日がどういう過去に対する向き合い方の日になるのかなというのが、ちょっと気になりますね。旧天皇と新天皇が同時に存在しているわけだから、これで少なくとも一世一元の制(天皇一代につき一つの元号を用いること)はかなり揺らぐ。一人の天皇の名前と一つの時代を重ね合わせて、その時代のイメージを作っていくというようなことはしづらくなる。
――時代のイメージですか、なるほど。
吉田:たしかに、平成ってなんか、像を結ばないね。昭和って、何だかいろんなことを思い出すんだけど。平成って、のっぺりしている感じで。
中村:私自身もほぼ平成育ちなので対象化するのはまだ難しいですが、元号が変わることが時代の区切りであるかのような雰囲気には違和感があります。日本の戦後補償や植民地支配に関わる問題は、昭和から平成へと持ち越され、未だ解決してません。それと、私の著書では直接的に取り上げていませんが、他国の軍隊との比較ということでいうと、天皇制は特徴としてあると思います。「自分たちの国は強いんだ」ということを強調するときにも「皇軍」(天皇の軍隊)という言葉が出てきますし、私的制裁(初年兵が古参兵から受ける非常に過酷なリンチ。兵士がつくられていくプロセスで重要な「洗礼」とされていた)も「上官の命令は天皇の命令である」という非常に強い指揮系統があるからこそ、成り立っていたわけです。トラウマとの関連でいうと、恐怖ということももちろんあるのですが、特に軍隊の場合は、「裏切られ感」も重要な問題です。一つには、自分が今まで信じていた道徳的な価値観が裏切られるということで、今まで普通に暮らしていた市民が、戦場に行って人を殺さなければならず、道徳的な価値観を変えなければいけないということですよね。もう一つは、特に戦後になって出てくる問題だと思いますが、国家(天皇)から裏切られたということ。軍隊の中で非常にひどい扱いを受けることが、特に日本兵の場合はあったと思うんですけれど。この戦後の「裏切られ感」と個々の元兵士の天皇観については、もう少し掘り下げて考えてみたいなと思っています。
(続く: ③今、歴史を学ぶ意味)
(2018年9月、一橋大学にて)
(戻る: ①戦争の記憶)
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吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授。専門は日本近現代軍事史・政治史。戦前・戦後の天皇制にも詳しい。主著に『兵士たちの戦後史』(岩波書店)、『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)、『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)など。
中村 江里(なかむら・えり)
博士(社会学/一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、
2018年4月より日本学術振興会特別研究員PD。専門は日本近現代史。都内の複数の大学で歴史学やジェンダー論の授業を担当。主な編著に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2018年)、『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、2017年)など。