忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):③今、歴史を学ぶ意味
聞き手=Ćisato Nasu
写真=寺西孝友
責任編集=KUNILABO
今、歴史を学ぶ意味
どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるかだと思うんです(吉田)
――たとえば私の周りでは、記憶の伝承について問題意識を強く持っている人は残念ながら少ないように感じるのですが、普段、学生さんと接していて、何か感じられることはありますか。
吉田:どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるか、というところではっきりしないんだと思うんですよね。江戸時代も平安時代もアジア太平洋戦争の時代も、すべて一緒の感覚。自分の今立っている地平と地続きになっている、自分自身の問題でもあるんだという風に、なかなか考えられない。今回の著書(『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』)で意識したのは、身体性。体の問題というのは、自分に置き換えられるじゃないですか。一番分かりやすい例だと、負担量(ライフルや背嚢(のう)などを完全武装して、どれだけの量に耐えられるか)を体感する。戦争体験の継承に取り組んでいる市民団体の方から教えてもらったのですが、リュックサックの中に10キロの水と、30キロの水を入れて、それぞれ皆でかついで体感するというのをやってみたんですって。(実際に戦争で兵士が担いでいた重さを体感できる方法として、)なるほどと思いました。(今回の著書の中で)一番面白かったのは水虫と歯の話だと言われるんですよね。そういう意味で、身体性というのは一つ繋ぎどころにできるんじゃないかな。それから、中央大学の松野良一さんのゼミは、同大学の卒業生で戦争に行った人を探し出してきて、インタビューするということをしています(※1)。それはやはり学生にとって、同じ大学の卒業生という共通項を持つので、すごく熱心にいろんなことを調べ始めるんですよね。そういった繋ぎ目になるようなもの、いわば回路のようなものをどうやって見出すかということが重要だと思います。
中村:身体性との関連では、私の場合はメンタルの話が中心になるのですが、比較的学生さんはそういった問題に関心が高いなと感じることが多いですね。いじめやパワハラ、モラハラなどの問題が広く認識されるようになってきて、「あ、こういう話か」ということを直感で分かってくれるというか。そういった集団や対人関係における個人の人権の抑圧と、日本軍の私的制裁の話とを絡めながらしていくと、入口としては伝わりやすいのかなと思いますね。あとは、自分と結び付ける要素としては、どうしても「戦争体験者」というと彼らの中では「おじいちゃん」たちなのですが、まさに自分たちと同じくらいの年齢で戦場に行く人も多かったということを想起してもらうようにしています。
吉田:今の日本の組織は、軍隊の時代と全然変わってないじゃないかという受け止め方をしている人がかなり多いような気がするよね。今非正規(労働者)が4割くらいですよね。そういった人たちが、抱えている問題と重ねて(今回の著書を)読んでいるような気がします。そうでなければ、今までどおりの発行部数にとどまったと思う。いじめも関係しているかも知れないね、関心の中に。軍隊の私的制裁なんかは、典型的ないじめだから。
それと、研究者の方も少し変わらないとね。現状を嘆いているだけでは始まらないし。独特の文体、「~なのである」「すなわち~」「~に回収される」とか。「業界用語」が多すぎる。読者の方から、「回収」は「廃品回収」の時に使う言葉だ、というお手紙をいただいたことがあります。読み手、特に若者に届く言葉を磨かないといけない。今回の著書は、ベテランの有名な編集者から僕の文章にたくさん注文がつきました(笑)。でも、従いますということで、アドバイスをほとんどそのまま受け入れたんだけれども。
中村:それから学生さんは、「軍人」というと、ものすごくマッチョで強靭な人たちを想像しているので、餓死や病気で亡くなった兵士が多かったことや、知的障害者も結構徴兵されていたことを話すと、本当に驚きますよね。そういった、イメージと実態のギャップというのは、結構意識しています。
――私自身は過去の戦争と今の自分たちは関係していると思うけれども、周りの人は「ああ、昔の話だよね」という風にしかなっていないなという感覚がずっとあって。お話を聞いて、何だか希望をいただきました。
吉田:『ペリリュー 楽園のゲルニカ』という漫画も、おもしろい。主人公が3頭身みたいな兵隊で、全然リアリティがないんだけど、ペリリューの戦闘のことをよく調べてあって、すごく生々しいのね。それをソフトなタッチで表現できる力があって、結構読まれている。それから、『この世界の片隅に』なんかは、悲惨な現場そのものにはあまりフォーカスを当てないで、日常生活みたいなところから戦争を描いている。実際の問題として、憲法の改正とか、自衛隊が海外で展開するような時代に明らかに入りつつあるから、そのことに対する(世論の)関心はあるんじゃないのかな。漠然としてはいるけれども、何かきな臭い時代に入りつつあるんじゃないかっていう感じがあると思う。
事実や史料に基づくことの重要性が、改めて関心を集めていると思います(中村)
中村:90年代以降の歴史修正主義の台頭ということは以前から指摘されていましたが、最近出版された倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社、2018年)という著書では、何がそこで議論されたのかというよりは、むしろ、「どこで」「どういう風に」ということを中心に分析されています。歴史修正主義的な論者は、歴史の専門家ではないわけですよね。歴史学のルールに則っていない、根拠のない主張が、読者参加やディベートなどの形式と親和性を持ちながら「売れる」ということで市場原理化していく。倉橋さんは、「彼らは学者とは違うゲームをしているんだ」と書かれていますが、この表現が私はすごく腑に落ちて。いくら事実はこうなんだという説明をしても全然通じないという状況に対して、吉田先生はどう思われますか。
吉田:参加型っていうのはあるんじゃないかな。あれ、何て言うの、カスタマーズレビュー?今回初めて見たんだけど、自分の著書のものを(笑)。明らかに悪意をもって参加している人が若干いるんだよね。あの、「警告」っていうのは何?
――悪意があるコメントをレポートできるんじゃないですかね。
吉田:「警告」って書いてあるコメントを見ると、明らかに悪意を持って書いていて、全然事実と違うことが公然と書かれている。僕はそんなこと一度も書いていません、と言いたくなる。
――そういったコメントを書いている人って、いわゆるネトウヨなのかなと思っていて。その人たちとどう対話するというのか、どうしたらいいのかなというのが、ここ数年モヤモヤしていて。
中村:そういう投稿を繰り返す人たちはごく一部なんだという調査報告がありましたよね(※2)。
吉田:同じ人が繰り返し発信しているっていうね。
中村: 私はそこに労力を割くよりも、もっと幅広い層にどういう風に訴えかけていくかっていうことのほうが重要かなと感じますね。
――大人な考え方ですね。
吉田:書き方の工夫というのも、やはり必要だよね。僕の著書は、常に資料とデータを示しながら書くという書き方をしているので、反論しづらいと思う。でも何だか、研究者の中にもいるような気がするんだよね。妙に詳しいんだよね。慰安婦問題とか、軍隊のことについて。「何でこんな史料を知っているんだろう?」っていう気がする時がある。明らかに単なるオタクではない。研究者の中の「隠れ右翼」だと思う。
――でもそれは、ネトウヨとはまた違う、ちゃんと実証してくる人たちなんですよね。
吉田:そうそう、だから議論になるわけだよね。
中村:それはもう、歴史学のルールに則ってやればいいわけなので、それはそれでいいかと思います。公文書の改ざんの話や、事実や史料にきちんと基づいてということが、改めて関心を集めているのかなと思います。今日お話をしていて、そういったところが、吉田先生の著書が多くの方に読まれる要因の一つになっている感じがしました。
(続く: ④忘却に抗う)
(2018年9月、一橋大学にて)
(※1)松野良一『戦争の記憶をつなぐ―十三の物語』中央大学出版部、2016年。
(※2)「ネット上『嫌韓』『嫌中』はびこる ニュースのコメント数十万件分析 立教大教授ら」『朝日新聞』2017年4月28日付。
(戻る: ②「男らしさ」の息苦しさ/平成の終わり)
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吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授。専門は日本近現代軍事史・政治史。戦前・戦後の天皇制にも詳しい。主著に『兵士たちの戦後史』(岩波書店)、『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)、『日本軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)など。
中村 江里(なかむら・えり)
博士(社会学/一橋大学)。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て、
2018年4月より日本学術振興会特別研究員PD。専門は日本近現代史。都内の複数の大学で歴史学やジェンダー論の授業を担当。主な編著に『戦争とトラウマ―不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2018年)、『資料集成 精神障害兵士「病床日誌」』第3巻、新発田陸軍病院編(編集・解説、六花出版、2017年)など。