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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㉙ アル北郷
「兄ちゃんがよかったら、俺のを舐めて欲しい。もちろん謝礼は出させてもらうから」
やっと成功したヒッチハイクでしたが、乗ってみたら桜金造似のドライバーはゲイであり、‘ご奉仕’を車内で迫られたわたくしは迷っていました。
「さて、どこまで許すかと……」と。
そんなわたくしを追い込むように、「手でもええよ」と、手コキ案を提示してくる金造。
口から手に変わったとはいえ、経験のない行為にかなり戸惑っていると、金造は「ささっと終わらせて、出発しようや」とせかしてくるではありませんか。
悩むわたくし。が、ふと思ったのです。
「そもそも、やる必要ねーだろ」と。
いくらラーメンをご馳走になったとはいえ、舐めたくもないちんぽを舐める理由などどこにもないし、普通に考えてもおかしいだろと。
危ない危ない。ついさっきまで、なんの疑問もなく舐めようとしていた自分が情けない。
5日も足止めされ気持ちが弱っていた事と感謝の気持ちが重なり、たいして疑うことなく、見ず知らずの男のちんぽを舐めようとしていたわたくし。
人間、心が弱ればつけこまれる典型的なパターンです。
宗教もこのパターンでやられていくのでしょう。
とにかく、‘やる必要なし!‘と決意が決まれば後は簡単、逃げるだけです。
で、逃げるなら油断させてから逃げないと。
「それじゃーズボンを脱いで下さい」
わたくしは観念した声で、そう金造に告げる。
「おう」金造は喜び勇んで、作業着タイプのズボンをおろしはじめる。
その瞬間、ドアをあけ、トラックを飛び出し、力いっぱい走って金造のトラックから離れた。
夜のただっ広い駐車場の中を息が切れるまで走り、立ち止まり、一台のトラックの影に隠れ、ぜいぜいと息をしながら、中腰で金造が追ってこないか様子を伺っていると、「兄ちゃん、何やってんだ?」と、ぱっと見かなり若い、20代前半くらいのちょっとしたイケメンが声をかけてきた。
早口で状況を説明すると、「なんだそいつ、どうしょうもねーな」と、こちらに同情的な感想を述べたイケメンは、さらっと、「とりあえずここから離れた方がいいだろ。おい、俺のトラック乗っちゃえ」そう言うと、かなり派手にデコレーションされたデコトラまで案内して、わたくしを乗せ、駐車場を後にしたのです。
走る道中、そのイケメンは、岡山で荷を下ろし、自宅のある山口へ帰る途中だったこと。そして、今日が1年目の結婚記念日で、帰ったらお祝いをする事など、明るく自己紹介をしてきたのです。
当然、山口県まで乗せてもらう事になり、安心しきっていると、「山口着いたら、無線で九州行きのトラックを探してやるから、安心して寝てろよ」と、願ったり叶ったりの展開となり、肉体的にも精神的にもすり減っていたわたくしは、遠慮なく、ぐっすりと助手席で眠りに落ちたのです。で、あのゲイの一件が厄払いになったのか、そこから先の旅は全てが順調でした。
乗せてもらったイケメンと意気投合し、自宅に泊めてもらい、わたくしも一緒に結婚記念日のお祝いに参加。
翌日、次のトラックを無線で探してもらい、宮崎行きのトラックに乗り、一気に駒を進め、原田ブーの実家に到着。
宮崎で一週間程ブーのお世話になったあと、なぜか鹿児島行きのトラックに乗り、鹿児島のはずれの港まで行き二日野宿。
「ここまで来たんだ、沖縄まで行くか」と、フェリーでの密航を企てるも、到底実現不可能な事に気づき断念。
「じゃーもう、東京帰るか」と、旅を切り上げ、なけなしの金を使い、鹿児島から長距離バスで広島まで戻る。
金が底をつき、そこからは再びヒッチハイク。
で、ラッキーなことに、広島の高速の入り口で捕まえたトラックが千葉の幕張行きだったため、休憩を二度挟み、一昼夜かけつっ走り、一気に東京まで。一台で東京まで行けたのは本当にラッキーでした。
帰り道、中央高速から見た、八王子あたりの街並みを見て「帰って来たな」としみじみと。
早朝、中央高速三鷹の高速バスのバス停で下ろしてもらい、徒歩で高速を降りて、ぎりぎりの金で、電車で新中野に到着。
当時居候させて頂いていた水道橋博士宅へ朝方無事帰還。
なんだかんだで約一か月のわたくしの犬岩石の旅は、これにてフィニッシュとなったのです。
博士邸に戻ると、わたくしが留守にしている間に入った新しい居候、芸人志望の「鈴木くん」が居た。
鈴木くんはこのあと芸人を諦め博士の秘書となり、20年以上博士に仕える事になるのです。
で、博士邸に戻ったその日の夜、江頭2:50さんが博士邸に来宅。江頭さんはわたくしを見るなり「北郷君、姿が見えなかったけど、どこか行ってたの?(旅立つ前、何度かお会いしていてすでに面識があったので)」と聞かれ、犬岩石の旅の概要を話すと、「最高だね。それ、絶対面白いから、ライブとかで喋った方がいいよ」と、大変素敵なアドバイスを頂いたのでした。
博士邸に戻ってからは3日程、なにもせずぼーっとしていた。
本来ならば、旅の発案者ダンカンさんにすぐに帰還の報告をするべきだったのですが、出来ればしたくなかった。
なぜ?
報告すればすぐに犬岩石の旅の報告会といった名の飲み会が開かれる。そこでわたくしの報告が気に入らなければ、「面白くないな。お前、もう一回行ってこいよ」となりかねない。あの人なら言いかねない。
が、いつまでも帰ってきた事を黙っているわけにもいかず、渋々、東京へ戻ってきた4日目の昼、報告を入れると、予想通りその日に夜に「犬岩石の旅、報告会」が新中野の居酒屋で、20時過ぎから開かれた。そして、わたくしの報告を一通り聞いたダンカンさんは、「なんだ、猿岩石の実家に寄ってないのか?お前、それはダメだな。もう一回行ってこいよ」と、予想はついていましたが、ワンモア犬岩石発言をあっさりと放り込んできたのです。
もちろん、「千葉に行って落花生でも買って来いぐらいに、あなたは簡単に言ってるけど、絶対嫌です。だいたいなんで、二度も行かなきゃいけねーんだ!」な心情のわたくし。とにかく、なんとしても、二度目の犬岩石の旅は阻止せねば・・・・・。
つづく。