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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』⑱ アル北郷

前回までのあらすじ。
1995年、秋。憧れの“殿”の元へ弟子入りを直訴したわたくしは、諸々ありまして、同じ日に弟子入り志願にきていた、全くの他人、小林と、ダンカンさんの付き人を交代でやるようになったのです。
が、二人共見事なポンコツで、日々ミスを量産し、ダンカンさんに迷惑をかけまくる日常が続いた結果、わたくしは、当時一大ブームを巻き起こしていた「猿岩石・ヒッチハイクの旅」のパロディーとして、芸名を「犬岩石」と命名され、11月の寒空の下、ヒッチハイクで東京から宮崎まで行ってくるよう、指令が発動されたのでした。

夜の10時過ぎ、青梅街道、新中野駅付近で、自らトラックを止めたダンカンさんが運転手に事情を話し、わたくしはそのトラックに乗り、訳がわからないまま、ヒッチハイクの旅がスタート。
もちろん、財布も小銭も一切のお金はダンカンさんに預けての、無一文状態での旅の始まり。
乗車したトラックはすぐさま練馬料金所から関越自動車道に入り、一路新潟へ向け高速をひた走る。

トラックならではの、高い位置の助手席に座るわたくしは、車窓から流れる夜の景色を眺めながら
“一体、この先どうなるんだろう・・・”
と、完全に弱りきった心で途方に暮れていた。そして、はたと気づいたのです。

「あれ?宮崎県を目指すなら、東名高速か中央高速で、まずは大阪方面へ向かうのが普通だよな。なのに関越で新潟って!全然方向違うじゃねーか!」

そんな疑問などおかまいなしに、トラックは関越道、一番最初の降り口、所沢インターを通り過ぎ爆走中。

乗せて頂いた運転手さんは、40代ぐらいの寡黙な方で、「兄ちゃんも大変だね~」と言ったきり、言葉を発せず、黙々とハンドルを握っている。

この時、わたくしが心の中でまず思いついたのは、“次の降り口。川越インターで降りて、実家に帰ってしまおう”でした。

当時、母が一年程前に川越にマンションを購入したため、わたくしの実家はラッキーな事に、川越インター出口から徒歩20分の所にあったのです。

とにかく、こんな行き当たりばったりの無茶な旅は一旦休止して、実家に帰り、ゆっくり静養して今後の作戦を練ろうと考えたのです。
が、高速道路です。おいそれと降りる事は出来ない。

それでもとにかく運転手さんにお願いしなければ、新潟まで連れていかれてしまう。

北郷「あの、乗せてもらったのにすいません。次の川越インターの近くで、降ろしてもらっていいですか?」
運転手「え!降りるって、どうやって降りるの?」
北郷「歩いて料金所まで行って、事情を話して出してもらいます」
運転手「そんな事言ったって、料金所まで歩くなんて危ないだろ?」
北郷「はい。でも、とにかく降ります」
運転手「川越になんか用事でもあるの?」
北郷「いえ。実家がありまして、一度帰って、もう一度よく考えます」

こんなやりとりの後、
結局運転手さんの好意で、運転手さん的には何の用もない川越インターでわざわざ降りてもらい、さらに実家まで送って頂き、無事実家にたどり着いたのです。
無一文のわたくしには、感謝の言葉を述べるしかなく、ただただ、頭を何度も下げ、運転手さんと別れました。

さて、実家でのわたくしの隠密生活のはじまりです。

旅に出る時、ダンカンさんより「三日に一度ぐらいでいいから、連絡しろ」と言われていたので、その通りに、三日に一度のペースで連絡を入れました。

しかしダンカンさんも、無一文のわたくしに対し、三日に一度電話しろとは、今思えばなかなかハードルの高い要求です。公衆電話代の小銭を、どうやってわたくしが工面すると思っていたのでしょうか?

それはさておき、ダンカンさんに実家に居るのがバレないよう、家の外へ出て、近所の公衆電話から電話をした。
直接の会話を避け、留守電になるよう、ダンカンさんが確実に寝ている朝方の時間帯を狙い、電話をした。そして、
「今、名古屋につきました」
「やっと大阪に着きました」
「明日は姫路に入ります」

そんなメッセージを留守電に入れた。

三日に一度、朝に電話をする以外何もやることのないわたくしは、テレビ東京でやっている、見たこともない役者が、頭が三つあるサメに追いかけられる映画を見たり。
改めて漫画「ドカベン」全巻読み返したり。
母の本棚にあった、以前読んだことのある松本清張作品を、またかたっぱしから読み返したりして過ごしていた。

そんな生活の中で、常に頭の隅にあったのは、
“さて、この旅、どう結末をつけるか”といった思いでした。

ダンカンさんはわたくしが順調にヒッチハイクで宮崎へ向かっていると思いこんでいる。

いつかは宮崎に到着し、東京へ戻ったあかつきには、待ち構えているダンカンさんに、抱腹絶倒の土産話をたっぷりと披露しなければいけない日が来る。
当然ですが、旅などしていないのですから、土産話など1ミリだってありはしない。考えれば考える程、
“もー、どうとでもなれ!”と開き直るしかない。

とにかく、先のことは考えず、日々現実逃避でテレビや漫画や小説に逃げ込む毎日。

そんな実家での隠密生活を続けて2週間程経った頃、
お昼の1時過ぎ、テレビ東京でやっていた、ウェズリー・スナイプスが潜入捜査官を演じる見事なB級映画、「ドロップ・ゾーン」を見ていた時、実家の電話が鳴った。

母が留守だったため、わたくしが電話に出た。
すると、聞き慣れたあのダンカンさんの声が受話器から聞こえてきたのです。

北郷「はい、もしもし」
ダンカン「北郷だな?やっぱりか。なんでそこに居るんだよ?」
北郷「え!いやあの、さっき戻ってきまして・・・」
ダンカン「嘘つけ。お前、旅やってないだろ?」
北郷「いや、あの・・・」
ダンカン「もういいよ。電話じゃらちがあかないから、とりあえずこっちに戻ってこい。19時ぐらいに俺の仕事が終わるから、新中野の「しらさか(よく行っていた居酒屋)」の前で待ってろよ。じゃーな」
いつのまにか全部がバレていた。なぜ?説明します。

これは後日、ダンカンさんのマネージャーから聞いた話です。
朝、大体決まった時間に入る、わたくしからの報告の電話に、
ある時ダンカンさんはマネージャーにこう呟いたそうです。

「おかしいな。北郷のやつ、旅が順調過ぎるな」
と。するどい!
それに、毎回留守電で直接の会話を避けているのも怪しいと。

で、わたくしがダンカンさんの付き人をやる際、事務所に提出した履歴書を取り寄せ確認すると、実家が埼玉の川越となっている。
それを見たダンカンさんは、
「あいつ、実家に居るんじゃねーか?」と勘ぐり、早々に履歴書に記された実家の番号に電話をしたところ、見事にビンゴでわたくしが出たという訳です。
ダンカンさんの方が、一枚上手でした。

その日の夜、川越から新中野へ向かう電車に揺られていたわたくしは、きっと、この世の終わりのような顔をしていた事でしょう。

ダンカンさんに会うと思うと気が重く、本当にもう、どこかへ逃げてしまいたかった。この時ばかりはさすがに、
‘‘もう辞めちまうか”と、全てを諦めかけました。

そんな絶望的な状況で、わたくしが思い詰めていた時、一方、交通刑務所に入る事になった小林は、ダンカンさんの発案により、ケツの穴にポケットカメラを入れて刑務所へ。

で、収監前に全裸になり、口の中からケツの穴まで、くまなくチェックされるボディチエック(通称かんかん踊り)を強いられた際、肛門に隠していたカメラが露呈。カメラを見た刑務官が、
「なんだこれは?貴様、どこの団体だ!!」
と、どなり声で小林に詰め寄る。すると小林は、
「俺はたけし軍団だ!!」と叫んだのでした・・・・。

つづく。

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