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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』⑰ アル北郷

前回までのあらすじ。

1995年、秋。憧れの‘‘殿‘‘の元へ弟子入りを直訴したわたくし北郷淳は、偶然同じ日に弟子入り志願に来ていた、原田、小林と、‘‘お試し期間‘‘といった感じで、3人でダンカンさんの付き人をやることになったのです。
が、原田が家庭の事情により、田舎に帰りそのまま戻らず、小林と二人、交代でダンカンさんの付き人を務める日々が始まったのですが、わたくしも小林も、見事なポンコツで、日々ミスを量産。怒られ、叱られ、呆れられ、二人はどんどんダンカンさんに追い込まれて行ったのでした。

本当によく叱られていました。

わたくしがダンカンさんの付き人時代にやらかしたミスを、思いつくまままに記してみます。

・遅刻(寝坊)
・車をぶつける(2回程)
・衣装を間違え、ダンカンさんの奥様のスパッツを持ってきてしまい、それをダンカンさんに履かせる。
・海外へ行っていたダンカンさんを成田空港へ迎えに行き、東京へ戻るため、空港を出ようとしたが、出口を何度も間違え、空港の敷地内を4周する。
・仕事で試合のラジオを聴けない、虎キチのダンカンさんから、阪神の試合のスコアブック付けを頼まれた際、ラジオの音声が聴き取りにくく、ヤマカンで、「矢野、ツーベース」とか適当に付けていた事が発覚。
・フジテレビに行かなければいけないのに、テレビ朝日に送り届ける。
等々。それはそれはひどいもんでした。

一方、小林も遅刻などしっかりと繰りかえしていたのですが、一番笑ったミスは、定期健診のため、車でダンカンさんを病院へ送ったはいいが、帰りはなぜか、ダンカンさんを乗せずに、小林だけ帰ってきてしまった。

そんなポンコツ二人と、日々接していたわけですから、ダンカンさんもさぞ大変だったのだろうなと、今はよく分かります。

で、あまりにポンコツ過ぎたわたくしは、罰として、当時、月一で開催されていた「オフィス北野ライブ」への出場を禁止とされたのです。
芸人に憧れ、芸人になりたくて弟子入りを志願したのに、舞台に立てず、ネタをやる場を奪われたわけです。

身から出た錆びとはいえ、これには納得がいかず、方々で文句を言っていると、それがダンカンさんの耳に入り、さらに重い処分の謹慎となり、付き人すらやらせてもらえない状況に追い込まれていったのです。

一方小林は、自身が運転するバイクでの違反点数が溜り免停となり、ダンカンさんの運転手ができなくなるといった事態に。しかし、つくづく使えない二人です。

で、水道橋博士邸に居候をしていたわたくしは、謹慎となったのをいい事に、当時博士がはまっていたキャバクラ遊びのお供で、夜な夜な歓楽街へと繰り出す楽しい時間を過ごしていました。

と、やはりその情報がダンカンさんの耳に入り、
「お前、何考えてんだ?謹慎の意味わかってんのか?」と、しっかりと詰められ、どんどん事態は悪化し追い込まれる始末。
そんなある夜、ダンカンさんの号令で、浅草キッドのお二人、小林、そしてわたくしが新中野の居酒屋「しらさか」へ召集され、『今後、北郷をどうするか』といった会議が、急遽開かれたのです。

ダンカンさん的には、ほとほとわたくしに愛想が尽きていたので、もうこのまま辞めて欲しいといった所が、たぶん本心ではなかったかと思うのですが、人情家のダンカンさんは、ラストチャンスといった感じで、ある案を出してきたのです。
その案とは? 当時、TV番組「電波少年」の中で放送され、大ブームを巻き起こしていた、「猿岩石」の旅(ユーラシア大陸をヒッチハイクで進む旅)のパロディとして、芸名を「犬岩石」と名のり、東京から宮崎までヒッチハイクで旅をしてくる。といった物でした。
なぜに宮崎? 同期で辞めた原田の実家が宮崎だったので、とりあえずは宮崎まで行ってこいとなったのです。

季節は11月。もちろん、わたくしは「はい。行きます」とは返事をせず、軽くごねたのですが、博士からの「何年後かに、猿岩石のパロディの犬岩石ってのがいて、勝手に旅をしてたってのは面白いから、やるだけやってみろよ」
と説得され、その夜、10時過ぎに居酒屋「しらさか」を出ると、持っていた財布をとりあげられ、ダンカンさんが青梅街道へ出てトラックを止め、運転手に事情を話し、「北郷、よかったな。このトラックは新潟に行くそうだ。乗せてくれるっていってるから、行ってこい!」と、急き立てられ、訳がわからないままトラックに乗せられ、一切所持金を持たない状態で、手を振るダンカンさんと浅草キッドを後に、わたくしの行き当たりばったりの犬岩石の旅が始まったのです。
で、わたくしが乗せて頂いたトラックは、すぐさま練馬から関越自動車道へ入り、一路新潟へ向かったのですが、この時はたと気づいたのです。

「あれ?宮崎県を目指すなら、東名高速か中央高速で、まずは大阪方面へ向かうのが普通だよな。なのに関越で新潟って!全然方向違うじゃねーかダンカン!」

そんなわたくしの心の叫びなど後の祭りで、トラックは順調に高速をひた走り、最初の出口、所沢インターを通り過ぎ、新潟へとずんずんと進んでいく。

一体、この先どうなるんだろう?

そんな不安だらけの旅にわたくしが出されてから一週間程した頃、ダンカンさんの付き人をしていた小林に受難が降りかかる。
説明します。

交通違反の反則金7万円を早急に納めなければ、交通刑務所に強制的に入れられてしまう事態に陥った小林。
が、当然そんな大金など持ち合わせていない。
当時、僕らは給料0。ダンカンさんの付き人をやった日は、千円頂けるシステムで、人生で間違いなく一番の極貧時代です。

悩んだ小林はダンカンさんに相談。
その時のやりとりを、小林から後日聞いた証言をもとに記します。

ダンカン「罰金払わなかったら、どうなるんだよ?」
小林「交通刑務所に入れられて、一日五千円の労働をさせられるそうです」
ダンカン「そうなんだ。分かった、お前に七万貸すよ」
小林「ありがとうございます!」
ダンカン「お前、その七万どうすんだ?」
小林「え! いやあの、ですから、すぐに警察に行って払ってきます」
ダンカン「お前、それは違うだろ」
小林「は?」
ダンカン「お前はこの後、その7万円を持って、友達とか呼んで、焼肉食べて酒飲んで、金が余ったらキャバクラでも行って、みんなに奢って使いきるんだよ」
小林「・・・」
ダンカン「それで無一文になって、交通刑務所に入って来い。中で労働してこい、それで出てきたら、凱旋ライブをやるんだよ」
小林「・・・」
ダンカン「ただ入ってもつまらないから、お尻の穴にポケットカメラを仕込んで入って来い」
小林「・・・」

ダンカンさん、狂ってます。

そんなやりとりのあと、小林もわたくし同様、逃げる事もせず、ダンカンさんの言いつけ通り、友達に焼肉屋やキャバクラで大盤振る舞いをした翌日、本当に交通刑務所へと収監されてたのでした。

つづく。

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