
漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㊹ アル北郷
大変な事になった。主役の殿が来ないなんて・・・。
当日のフライト4時間程前、「俺は行かないから、お前らで楽しんで来い」そんな言葉を残し、あっさりとベガス行きをドタキャンされた殿。
半年前から準備をして、殿とのラスベガス旅行を誰よりも楽しみにしていた斎藤ママと、これから殿抜きでラスベガスへ行くという事実に、心底「本当に僕らですいません」な気持ちで一杯でした。
あと、今から斎藤ママに何て伝えればいいのか?気が重い。
そんなわたくしのユウウツな気持ちなどお構いなしに、新宿から乗車した成田エクスプレスは、ずんずんと成田空港へ駒を進め、適切な伝え方がみつからぬまま、成田空港に到着。
集合場所の貸し切りラウンジへ入ると、すでに浅草ロック座御一行様、そして斎藤ママはすでに到着されていた。
まずは空元気を出して、「おはようございます。よろしくお願いします」と、斎藤ママと皆様にご挨拶をしたあと、時間が経てば言い難くなると判断し、すぐさま殿が来れなくなった旨をそのままストレートにお伝えした。
当然ラウンジの空気は一瞬で、「嘘でしょ!」といった重たい空気が支配する。
この時の斎藤ママの顔が今でも忘れられない。
なんで来ないの?冗談でしょ?本当に言ってるの?
それらの感情が全てミックスされた、なんともいえない、かつて見たことのない険しい表情をされたのです。
が、ここからの斎藤ママが凄かった。
わたくしから最悪の報告をうけた斎藤ママは、椅子に座り、少しの間、なにやら思案するような顔で押し黙ると、おもむろに「よし!分かった!監督はもういい!こうなったらあんた達と旅を楽しむ」
と、ご自分に言い聞かせるように宣言されたのです。
ドタキャンした殿も凄いですが、瞬時に気持ちを切り替えた斎藤ママも凄い。
空港のラウンジで、わたくしは怪物二人に、色んな意味で度肝を抜かれました。
そんな、予期せぬトラブルでスタートしたラスベガス旅行は、予定通りまずはロスへ。
ロスからは、殿が言い出して実現した、貸し切りバスにて4時間程かけてベガスへ。途中、食事休憩で立ち寄った、日本で言うところの道の駅のようなところに小さなカジノがあり、運試しにわたくしが先陣切ってブラックジャックに挑むと、あっという間に6千円を溶かしてしまった。
「これは余程慎重に立ち回らないと、すぐに軍資金の15万なんて溶けてしまい、悲しい旅になるぞ」
ベガスへ入る前に、改めて気合を入れ直したのです。
再びバスに乗り一路ベガスへ。
窓から見える、どこまでも続く砂漠のような景色を見ながら、真心ブラザーズの「旅の夢」をヘッドフォンで聞き、「殿は今頃日本で何をしてるんだろう?殿もベガスへ行く予定だったから、正月休みで家にいるのは間違いないし・・・」
そんな事をぼーっと考えていた。
日が完全に暮れ。真っ暗な道をひた走るグレイハウンドの貸し切りバス。
本当はこのバスの中で、宴会をしながらベガスへ入る予定でした。
が、バスの中はとても静かで、旅の疲れが出たのか、皆静かに寝息をたてている。
なんとなく一人眠れず、道の駅で購入した「ジャックダニエル」の小瓶をぐいっとやり、「つらい旅だぜ」と、大してつらくもなかったのですが、呟いてみる。
しばらく窓の外のただ真っ暗な荒野を眺めていると、煌々と光るネオンの塊が、砂漠のオアシスのように浮き上がってくるのが見えた。
すると旅行会社のガイドの方が「そろそろラスベガスが見えてきます。ネオンが綺麗ですよ」とマイクでアナウンス。
皆目を覚まし、ベガスのネオンを目視すると、口々に感想を呟いていた。と、その時、日本にいる殿から、わたくしの携帯に見事なタイミングでショートメールが入る。
「どうだ。ベガスには着いたか?くれぐれも俺への土産を忘れるなよ」と。
出だしは色々ありましたが、やっぱりいつだって旅は面白い!
殿からの、なんとも力の抜けるショートメールを見て、ニヤニヤしたわたくしは、なんだかこの先ベガスで勝てそうな気がしたのです。
そして、そんな予感は的中するのです。
ホテル「ヴェネチアン」に泊まった10日間。毎日平均12時間程、主にブラックジャックをやり続けた結果、わたくし、一日たりとも負ける事なく勝ち続け、持っていた軍資金を7倍に増大させることに成功し、フィニッシュする事ができたのです。
ちなみに、わたくしの他9名は皆、全員見事に負けていた。
中には初日に全部溶かしてしまった不運な男もいた。
朝から夕方までひたすらブラックジャックを打ち、夜は「シルクドソレイユ」の『オー』とか『カー』を見て遅い夕飯を食べ、また夜中までブラックジャックを打つ。ほとんど観光もせず、ただ博打にあけくれ、疲れ果てて部屋へ戻る。が、部屋の下が博打場なため、ベッドに入ったところで、神経が高ぶり、気になって寝てなんていられず、また博打を打ちに下へ降りて行く。この繰り返しで、義務のようにブラックジャックに励みました。
そんな合間に「どうだ?博打は勝ってるか?俺の土産はどうなってる?」
そんなショートメールが殿から三度入る。
もちろん斎藤ママが殿へのお土産をがっつりと買いこんでいました。
とにかく、行ってみたらただただ楽しかった10日間の旅は幕を閉じ、懐を潤し日本へ無事帰国。
帰国後、二週間程経って、殿を交えて斎藤ママとのお食事会が開かれたのですが、そこで斎藤ママから、‘‘今年の暮れはラスベガスより近いマカオに皆でまた博打をやりに行こう‘‘ そんな提案が殿になされたのです。
もちろん、殿は断っていました。が、ラスベガスの時同様、早々にマカオ旅行は計画され、あれよあれよという間に、年の瀬から正月にかけて、マカオ6日間の旅が決定されたのです。
そして時は流れ、マカオへ旅立つ1日前。なんと殿はまた、ドタキャンをされたのでした・・・。
二年連続でドタキャンした殿。二年連続で旅を計画した斎藤ママ。
つくづくどちらも、凄い!