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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㊵ アル北郷

「お前ら、頑張って野宿せい!」

殿のそんな言葉で、あっさりと野宿が現実味を帯びてきたわたくし達4人。
そもそも、ホテルもとらずヴェネチアまで来たわたくし達がバカだったと言えばそれまでですが、殿からの「よく考えたら、お前も映画に出てるんだから、ヴェネチア来るか? 寝る場所ならよ、俺のホテルがどうせスイートで、ベッドルームが三つぐらいあるから、そこに泊まればいいだろ」
発言があっての今回の旅なわけです。ですから、「殿、そりゃないぜ。聞いてないよ~!」と、声に出して叫びたくもなります。
ってか、目の前のアドリア海に向け、実際叫びました。

とにかく、なんとかせねば・・・。
とは言っても、ホテルをとるにしても、映画祭期間中はお値段がバカ高いと聞く。それに、イタリア語はもちろん、誰一人英語すら喋れない4人が、今からホテルを探し、宿泊できるところまで辿り着けるとは到底思えず、やはり結論は、野宿あるのみ!な状況でした。
が、困った時は携帯のアドレス帳を見るのが癖のわたくしは、誰かいないか? いい知恵を貸してくれる方はいないものか?と、アドレス帳の名簿を吟味しては、良き知恵を授けてくれそうな人を探す。
と、「ニューヨークのNさん」といった名前が目に飛びこんできた。
説明します。このNさん。今回の旅からさかのぼる事2年程前、殿と完全なプライベ―トで、ニューヨークへ行った際、現地で色々とお世話をしてくれた方でして、仕事で世界を飛び回っている、年齢もわたくしと近い、大変馬が合った、ニューヨーク在住のナイスガイです。
そういえば、そのNさんにわたくし、ヴェネチアに旅立つ少し前、メールにて、「今度、7月の末くらいに、ヴェネチアへ行くんですよ。よかったらNさんも、ヴェネチアに来ませんか?」と、全く実現しないであろう、社交辞令的なニュアンスで、軽い気持ちで誘っていた。
そんなわたくしの誘いに、「いいですねヴェネチア!僕はその頃、スペインに居ますので、もし、顔を出せたら、ヴェネチアへ伺います」そんな返事が返ってきていたのです。

そうだ、ダメ元でNさんに連絡を取ってみよう。
そう思いたったわたくしは、すぐさまメールを送信。と、なんと早々に返事があり、しかもNさん、今、ばっちりスペインに居るとのこと。
わたくしはダメ元で、野宿に追い込まれている現状を伝えるメールをさらに追加で送信。と、「分かりました。とにかく今からヴェネチア向かいます。スペインからだと、飛行機で4時間くらいですから、なんだかんで、6時間後くらいにはそっちに着けるかもです」と、願ってもない理想的な返信が!奇跡が起きようとしていた。

結局、夕方4時過ぎNさんと連絡を取り、Nさんがヴェネチアに到着したのが深夜1時過ぎ。ホテルもNさんがスマートに探し、なんとベッドが二つのWの一部屋がとれ、わたくし達4人の貧乏旅団は、その部屋にお世話になることになったのです。人生、連絡してみるもんです!
Nさん、その節はありがとうございました。

と、ここまでがヴェネチアでの初日の出来事。
「もうこれ以上のアクシデントはないだろう」と、タカをくくっていたら、いやいや、ありました。ヴェネチア最大のアクシデントが・・・。

ヴェネチアについて三日目。いよいよ北野映画『アキレスと亀』が、コンペの場にて公式上映される日がやってきた。
夜の18時過ぎから、レッドカーペットを殿が歩き、海外のマスコミ向けにフォトセッションが行われ、その後、1000人程が入る劇場で、『アキレスと亀』が上映される。そんな流れとなっていました。

で、わたくし達は劇場での公式上映のチケットを入手し、上映を楽しみにしていたのですが、普通に見に行っても面白くないと思い、レッドカーペットを歩く殿を、ファンやマスコミに交じり、柵の向こうで‘‘出待ち‘‘して、殿を驚かせてから劇場に入ろうと決めたのです。

そうとなれば、まずは場所取りです。午前中にレッドカーペットの柵の前へ行き、なんとか最前列をゲット。一番いい場所は、すでに熱心なファンが押さえていた。
「よし!あとは夜の上映を待つのみ」
夜までの間、見事に晴れた島を観光して回ると、売店。レストラン。土産物屋など、どこへ行ってもヴェネチア映画祭のポスターが貼ってある。
さらに、何気なしに購入した地元の新聞を開くと、殿の写真がでかでかと掲載されているではありませんか! 
こんな状況です、自然と気分は高まっていく。

夕方。わたくし達4人はスーツに着替え、予め押さえておいた、レッドカーペットの柵の前へ。すでにかなりの人が集まっている。

午後6時過ぎ、遂に来た!殿、そして映画に出演されている樋口可南子さんを乗せた黒い高級セダンがレッドカーペット会場に入ってきた。
殿が後部座席から姿を現わすと、物凄いフラッシュがあがる。
その光の中、殿は左側からゆっくりとこちらに向かって、柵沿いに歩いてくる。

「タケシ・キタノ!」と方々から何度も外人さんの声があがる。
殿は柵ギリギリを歩き、ファンに手を振る。
そんな殿に、北野映画のパンフレットを差し出し、サインをねだる青い目のファン達。

殿は時間の許す限り、サインに応じる。
映画祭の係の方が、「そろそろ」といった感じで、殿にサインを中断させ、殿はゆっくりとレッドカーペットをまた歩く。
そして、いよいよ僕らの所に殿がやって来た!

殿はこちらに気づくと、笑いながら、「お前ら、そんな所で何やってんだよ!」と、まずはジャブ的なツッコミが入る。
「殿、本当に来ちゃいました!」と、わたくしが大声で叫ぶと、殿はまさかの「バカ野郎!お前らも映画に出てんだから、こっち来ちゃえ!」と指示を出したのです。マジか! 
その言葉にすぐさま反応したお宮の松が、元来の身体能力の高さを活かして、あっという間に柵を乗り越え、レッドーカーペットに着地。その瞬間、映画祭の係の人が3名飛んできて、お宮の体をがっちり捕獲。 
「やばい!」
まだ柵の外側に居たわたくしは、「これは大変な事になるぞ」と、ひたすらビビっていると、なんと、殿が傍にいた通訳を通して、お宮の体を捕獲している関係者に、「いいんだ。こいつはオレの映画に出ているアクターで、仲間だから、入れてやってくれ」と伝えたのです。この時、『蒲田行進曲』の「銀ちゃんかっこいい~」ではありませんが、「わ! たけちゃんかっこいい~」と痺れたのは言うまでもありません。
とにかく、そんな殿の言葉に、困った顔をしながらも、お宮の体をがっちり掴んでいた3人は、渋々といった感じでお宮の体を解放し、レッドカーペットへの侵入を許可したのです。そんな光景を目のあたりにしたわたくし達残り3人は、まるでメキシコからの不法移民が、命からがら、国境越えの柵を越え、アメリカに飛び入るように、次々と柵を越え、レッドカーペットに着地したのです。

その様子をマスコミやパパラッチが面白がり、パシャパシャとシャッターを切る。
その光景を見ていた殿は、自分が指示したこととはいえ、「お前らどうしてそうバカなんだ!」と、笑いながらツッコんでいた。

もちろん、後で事務所の偉い方に、こっぴどく叱られはした。

レッドカーペットにたどり着いたわたくし達は、その後、『アキレスと亀』の上映に参加し、上映後、7分間は続いたスタンディングオベーションを体験。ヴェネチアでの殿の人気の凄さを、まざまざと見せつけられたのです。
そして、上映後のパーティーにて、どさくさに紛れて、殿の席の隣に座るという夢のような一時も経験。色々ありましたが、結果、最高の旅となったのでした。

日本へ帰国して、「あれは楽しい旅だったな~。だけど、もう二度とヴェネチアへ行くことはないんだろうな~」と、一人勝手に余韻にひたったわたくしは、それから4年後、2012年、「アウトレイジ・ビヨンド」がヴェネチア映画祭での公式コンペに選ばれると、なぜか、「ビヨンド」に出演してもいないのに、気づけば、またしてもヴェネチア映画祭のレッドカーペットを、歩く事になるのです・・・。  

つづく。

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