![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94959405/rectangle_large_type_2_50c30e6e8194f861c27dba5a1b105d07.jpeg?width=1200)
漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』⑲ アル北郷
前回までのあらすじ。
1995年、秋。“憧れの殿”に弟子入りを直訴したわたくしは、諸々あって、翌日より、同じ日に弟子入り志願にきていた全くの他人、小林と原田とダンカンさんの付き人をやることに。が、原田は早々に家庭の事情により離脱。残された小林と二人、交代でダンカンさんの付き人をやる日々がはじまったのですが、二人共見事なポンコツでミスを連発。
呆れたダンカンさんより、わたくしは犬岩石と芸名をつけられ、罰として、ヒッチハイクで宮崎県まで行って戻ってくるミッションを。
小林は、犯した交通違反の反則金をあえて払わず、交通刑務所に収監されるミッションをそれぞれ課せられたのです。
夜、新中野駅附近でダンカンさんが止めた、新潟行きのトラックに乗せられ、始まった「猿岩石」ならぬ「犬岩石」の旅でしたが、‘‘やっぱりやりたくない‘‘そんな、断固たる決意が勝り、川越の実家に逃げ込み、実家近くの公衆電話から、「今、名古屋につきました」「やっと大阪に着きました」だのと、旅など行かずに、三日に一度のペースでダンカンさんに虚偽の連絡を入れていた。
するとこのズルがわずか2週間でバレてしまい、新中野の居酒屋にて、ダンカンさんと浅草キッドのお二人が集まり、“嘘をついていた北郷をどうするか”といった緊急会議が開かれる事になったのです。
時刻は夜の7時過ぎ。
わたくし達しか客のいない居酒屋のテレビからは、髪を派手に染めた、若手のお笑い芸人が主役のバラエティー番組が流れている。
そんなテレビをちらっと見ながら、歳もそう変わらないのに、あっちはテレビで、メインでお笑い番組をやっている。それに比べてわたくしときたら、付き人でのミスから、旅に出され、さらにその旅を投げ出した結果、反省を強いられている。
“お笑いをやりたい”といった同じ目的で入った世界で、同世代でありながら、余りにも違う境遇に、今日までのわたくし自身のだらしなさとポンコツぶりに、ほとほと嫌気がさしていた。
正直、反省などしていませんでしたが、とにかく、わたくし自身に嫌気がさしていた。
で、“冬にヒッチハイクの旅を命じたダンカンさんもダンカンさんだけど、旅立ってすぐに実家に逃げ込み、ズルをした北郷も北郷で困ったもんだ”といった顔つきで、わたくしを見つめる浅草キッドのお二人。
普段は基本、明るい酒のダンカンさんも、この日ばかり口数が少なく、“北郷はつくづくダメだな”といった空気で黙っている。
しばらくそんな空気が続いたあと、おもむろにダンカンさんが口を開いた。
「なー北郷。一回根性すえてやってみろよ。ヒッチハイクから帰ってきたら、俺が『宝島』(雑誌です。当時ダンカンさんは宝島で連載を持っていた)に言って、大々的に特集を組んでやるから、
行くだけ行って来いよ」と、まるで諭すような口調で説得をうけた。
そんな提案に、曖昧な返事を返すわたくし。
「とにかくお前は今からやっぱりヒッチハイクで宮崎を目指せ。ただお前はどうせまたどこかでズルをするから、チェックポイントを設けよう。そうだな?猿岩石の旅が放送されている電波少年つながりで、松村(邦洋さんね)の実家に行け。次に有吉と森脇どっちかの実家だ。そして最後は松本明子の実家に行け。うん、そうしよう。この三か所には絶対に行く事。これだけ決めよう。その後に、宮崎を目指せ」と、またとんでもない事をダンカンさんは言い出したのです。
で、すぐさま調べてみたら、松村さんの実家は山口県。猿岩石のお二人は広島県。松本明子さんにいたっては香川県です。
“これじゃ最初の旅より条件が過酷じゃないか!”
そんなわたくしの心の声などお構いなしに、
「よし。じゃー出発前に宴会だ。北郷、食べたい物を頼め。酒もじゃんじゃん飲め。今日はお前が主役だからな」と、急に上機嫌になるダンカンさん。
なんとなく逃げられない状況に追い込まれ、仕方なくではありますが、“とりあえずやるだけはやってみるか”。そんな気分になったわたくしでしたが、そうは言っても、“チエックポイントの松村さんの実家の山口県と、猿岩石の実家のある広島には行くとして、香川の松本明子さんの実家には行かなくていいだろ。海を渡って四国なんて、さすがに無理だろ”と、手を抜くことも心の中でしっかりと考えていた。
やる気にはなっていたが、満場一致でやる気になったわけでもない。
そんな感じでした。
そんなこんなで、深夜0時近くまで飲み、居酒屋を出た。
すると目の前の道路脇に、エンジンのかかった、赤い山梨ナンバーのマツダ・RX8が停まっていた。
ダンカンさんはその車へつかつかと近づくと、なにやら運転手と談笑。で、こちらに戻って来るなり、
「北郷、良かったな。あの人が山梨まで乗せてくれるそうだ。よし、行ってこい!」
となり、そのままの着の身着のままの恰好で、財布と小銭をダンカンさんに預け、無一文で赤いマツダに乗り込み、わたくしの二回目の旅があっさりとスタートしたのです。
乗せて頂いた20代後半の男性は、なんでも中野のキャバクラで遊び、女の子とアフターで焼肉を食べ、わたくし達が飲んでいた居酒屋の前のマンションまで女の子を送り、一服して、さて山梨に帰ろうかといった時、ダンカンさんに声をかけられたと。
とにかく、まずは赤いマツダのスポーツカーで、山梨の石和温泉のショッピングモールの駐車場まで送ってもらいました。
そこで2時間程うだうだして、深夜、岐阜行きのトラックをヒッチハイクすることに成功。そのトラックで飛騨高山まで。
飛騨高山の公園で半日うだうだしたあと、今度は名古屋のはずれに行くトラックをヒッチハイク。場所は忘れてしまったのですが、そのトラックで、岐阜のどこかの高速のPAで下ろしてもらい、柵を超えて一般道に出る。そこから徒歩30分程かけて最寄のローカル線の駅まで出た。
が、電車がくるまで1時間程あったので、靴下に隠し持っていた、
5千札を引っ張り出し、駅前のがらがらのパチンコ屋で一か八かのパチンコ勝負を決行。これが見事フィーバーして、1000円が6000円に化けた。
すっかり気が大きくなったわたくしは、電車に乗り名古屋駅へ。
お昼過ぎのローカル線の車内は実にのどかで、「こんな旅も悪くないな~」と、車窓から流れる景色を見ながら、乗り鉄気分を存分に味わった。そして名古屋駅に到着。
とりあえず駅構内の立ち食い蕎麦屋できしめんを啜ったあと、旅に出る前、水道橋博士からこっそり教えてもらっていた名古屋在住のある人物に電話を入れた。
その人物とは、浅草キッドのお二人が名古屋で仕事があるときは必ず立ち寄る風俗、某ヘルスの社長で、博士曰く、「芸人が大好きな面白い社長だから、電話したらきっと面白がってくれるよ」と、ダンカンさんにばれないようこっそりと連絡先を教えてもらっていた人物。
なので早々に電話を入れると、社長は実に明るい声で、「分かりました。今からすぐ迎えに行きます」となり、駅前で待つこと20分。遠くの方から甲高いエンジン音を響かせた、真っ赤なフェラーリ・テスタロッサがぐんぐんとこちらに迫ってきて停車。すると、中から降りてきた40代ぐらいの紳士が、「どうも、お待たせしました。ヘルス〇〇のオーナー、△△です」と自己紹介され、そのままテスタロッサに乗り、栄地区にある、社長が営む某ヘルスへ。で、その日から、わたくしはそのヘルスにて、「たけし軍団・犬岩石」と書いたたすきをかけ、従業員として、2週間程働く事になるのです・・・・。
つづく。