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漫文駅伝特別編『矢文帖』第3回「ビートきよしディナーショーと、リングはぼくの戦場だ(講談社)」如吹 矢ー

時にステージは戦場である。
この時期になるとかつて自分が討ち死にした戦場を思い出す。

あれはちょうど6年前。
私は雨の横浜・中華街にいた。

その日は当時組んでいたコンビで営業の仕事だった。中華街のとある中華料理店で開催されたビートきよしディナーショー。我々はそこでネタをやる機会を頂いた。

会場を目指しスマホの地図アプリを見ながら中華街を歩いた。たくさん店がある中、この店が現場だったら嫌だな〜という雰囲気の店にピンが刺さっていた。

恐る恐る店に入り、会場の様子を確かめた。
カタギではない誰かが使いそうな大きな宴会場だった。客席にはたくさんの回転テーブルが設置されていた。

控室で待機。慣れない環境で居心地が悪く、部屋にあった中華風の装飾が施されたインテリアを、埃が溜まりやすそうだなと思いながら見つめていた。

しばらくすると、ビートきよしさんが会場に入られた。ご挨拶をした。

「おう。よろしく。客席に飛び込んでいく勢いで客の心を掴んでいけよ。」

「女にモテないやつに人気なんて出ないぞ。」

数々のお言葉に我々はぎこちない笑顔でうなずき、メモった。

開場してお客さんが入ってきたので会場の雰囲気を見に行くことにした。

宴会場はカタギではなさそうな誰かさん方で満席。MANZAIブームならぬHANZAIブーム真っ只中の人もいるのではないかと失礼な推測が湧いて出た。

浅黒い肌に真っ白な歯。室内なのに色の付いたメガネ。雨に打たれた後のようなテカテカの髪。口にビニールを被せたんじゃないかってくらいビリビリの大きな笑い声。食器のカチャカチャという音が指揮者不在の無秩序なシンフォニーを奏でていた。

我々はこの戦場に出ていって果たして無事に還ってこられるのだろうか。実家の母親の顔が目に浮かんだ。

控室に戻ると、司会の女性アナウンサーの方とゲストで来られていた、ものまね界の大御所ノブ&フッキーのフッキーさんがいらっしゃった。

ご挨拶するとお二人とも素敵な笑顔で応えてくださった。

会場の殺伐とした雰囲気と、それに似つかわしくない素敵な笑顔の掛け合わせは複雑な数式を経て恐怖心を倍増させた。

いよいよ出番。

我々は最高の笑顔と大声でステージへと出ていった。

「どうもー!よろしくお願いします!」

客席の皆さんはこちらには目もくれず回転テーブルを回すのに夢中だった。
それぞれ思い思いの方向にぐるぐるぐるぐる。

「この辺りでちょっとネタをやらせてもらってもいいでしょうか!?」

ぐるぐるぐるぐる。

「最近めっきり寒くなりましたけども。」

ぐるぐるぐるぐる。

「おい!それじゃあパッキャオじゃねえか!」

ぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。

回転テーブルの発祥は日本らしい。

1932年に東京・目黒にある目黒雅叙園の創業者、細川力蔵によって開発された。

当時の高級料亭は独特の敷居の高さがあり、料理の価格も不明瞭である上に給仕に心づけを手渡すのが当たり前だったという。

こうなると食事に行った際に全部でいくら料金がかかるか分からず、庶民は気軽に食べに行けない。

給仕を減らせば価格も下げられて心づけの負担もなくなる、だが、大皿料理で皿を移動しにくい中華料理を給仕抜きで取り分けるには、お客さんにその都度立ち上がってもらわなければならない。

どうすれば席を離れずに、お客さん自身で取り分けてもらえるか考えに考えた細川氏が編み出したのが、回転テーブルだったという。

そんな細川氏の優しさと気遣いから生まれた回転テーブルで、85年後の若手芸人が危機に陥るとは誰が想像しただろう。

細川力蔵を殴りたかった。

まあ、そりゃあ回転テーブル回すのは楽しい。人は子供の頃から何かを回すことに憧れを持つものだ。
それはコマだったり、ハンドルだったり、それぞれあっただろう。
目の前に回すものがあればそりゃ回しちゃいますよ。
それに回転テーブルは上に料理が乗っているから回す時に一定の集中力が必要だしね。
そんな大事な時に知らない若手芸人が出てきても忙しくて見てらんないよ。

我々は戦場で討ち死にした。

回転テーブルの前にうまく呂律も回らなかった。雨の権之助坂を下るように気分が落ち込んだ。

我々と入れ替わりでフッキーさんがステージへと出ていった。

曲に合わせてものまねメドレーを披露。会場は爆笑に次ぐ爆笑。
さっきはあんなに回転テーブルに夢中だった人々が手を叩いて笑っている。

ステージから降りて客席の間を練り歩きながら、接近戦に持ち込むフッキーさん。お客さんはキラキラの笑顔。懐に投げ込まれるおひねり。

これがきよしさんが言ってたやつか。コピれ!

実力差をまざまざと見せつけられた。回転テーブルのせいなんかではなく完全に我々の実力不足だった。

楽屋に戻るとフッキーさんが懐のおひねりから我々にお小遣いをくださった。
自分たちの不甲斐なさと、フッキーさんの貫禄、優しさの合わせ技で感情がよくわからなかった。

あの戦場には、いまだに我々の死体が転がっている。


「リングはぼくの戦場だ」(講談社)
具志堅用高

近年はバラエティ番組などで天然なキャラクターが定着している著者が、日本記録を持つボクシングの名チャンピオンだったということをご存知の方は一体どれくらいいるだろうか。

世界タイトルの連続防衛記録13回は40年以上経った現在でも破られていない大記録だ。

本書は著者が現役のボクサーだった時代に書かれたもので、現在のイメージとかけ離れた生々しくヒリヒリするような現役生活が綴られている。

現役時代の著者の試合映像を見ると、相手がダウンして倒れた状態でもまだ殴り続けている。今のイメージとかけ離れた気性の荒い姿には怖さすら感じる。

まさに戦場。徹底的にやらないと、こちらがやられるという緊張感がそのような行動をとらせているように見える。

そんな極限状態で戦っていた著者の現役時代に迫る一冊。どうぞご覧あれ。

リングはぼくの戦場だ(講談社)
具志堅用高

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