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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㉑ アル北郷

1995・秋。憧れの‘‘殿‘‘のもとへ弟子入りを直訴したわたくしは、諸々あって、ダンカンさんの付き人をやる事に。が、修行という場の付き人稼業で、持って生まれたポンコツぶりを遺憾なく発揮し、遅刻をする。車をぶつける。ダンカンさんがテレビ出演の際、ピックアップした衣装が、奥様のスパッツだったりと、順調にミスを重ねた結果、謹慎処分に。が。謹慎期間中、居候させて頂いていた、水道橋博士と、夜な夜なセクシーパブ、レースクイーンパブ、はたまた自衛隊パブなどへ繰り出し、誰よりも楽しんでいた事実が発覚。
いよいよダンカンさんに、心の底から呆れられてしまい、ラストチャンスとして、当時一大ブームを巻き起こしていた、猿岩石のパロディとして、芸名を犬岩石と名乗り、ヒッチハイクにて、宮崎県まで行って帰って来る、罰的なミッションを課せられたのでした。

季節は11月。新中野から始まった、犬岩石ヒッチハイクの旅は、トラック運転手さんのご厚意で、なんとか乗り継ぎ、岐阜経由で名古屋へ到着。名古屋へついてすぐ、予め、水道橋博士から、連絡先を教えて頂いていた、名古屋在住のファッションヘルスの社長に電話を入れると、事態は急速に加速し、社長のヘルスで働くことに。
で、わたくしが仰せつかった仕事は、ヘルス内にあるバーでのバーテンダー。お客様が女の子を待つ間、待機するバーです。
制服を着て、胸に「たけし軍団・犬岩石」という、なかなか恥ずかしいタスキをかけ、接客業に勤しみ、馴れないシェイカーなんかを振ったりして、一週間程したある日、そのバーに、いきなりラッシャー板前さんが現れたのでした。

ラッシャーさんは、わたしの制服姿を見て吹き出しながら、「なにやってんだお前?」と、当然の疑問を。
かいつまんで事情をお話しすると、「ダンカンさんも滅茶苦茶だな~」と、この旅の発案者であるダンカンさんに対し嘆いたあと、「だけどお前も、よくヒッチハイクなんか出来たな。それはそれで凄いわ」と、とりあえず褒めてくれたのです。

で、わたくしの方も色々とラッシャーさんにお聞きすると、二年程前に初めてこちらのお店を知り、その女の子のレベルの高さにおののき、それ以来すっかりはまってしまい、名古屋で仕事があるときなどは、ほぼ必ず寄っていたらしいのです。
ちなみに、関東、関西問わず、全国から芸人さんが常に訪れる店でもあるとのこと。
まさに名店。

で、ラッシャーさんは「お前が居たから、なんか冷めたわ」といって、その日は女の子のサービスを受けることなく、東京へ帰っていきました。店のために働いているつもりが、お客を一人逃がす失態。
なんともちぐはぐな従業員です。
で、ラッシャーさんが帰った後も、わたくしはバーテンダーとして、労働に励み、名古屋の風俗誌の取材をうけながら、わりと満ち足りた日々を過ごしていたある日、従業員の方から「北郷さん、田中さんって方から、電話はいってますよ」と呼ばれるではありませんか。
田中?はて? 
わたくしがこの店で働いてるのを知る者はごくわずか、その中に田中なる人物は見当たらない。

ちなみに、4日程前、「今、名古屋にいます」 とダンカンさんには雑な連絡は入れていた。
なぜ、ダンカンさんにヘルスで働いている事を言わなかったと申しますと、言えば多分「店の子と入籍しろ」だの「お前がサービス嬢となって、接客しろ」だのと、ミッションが増えていくのが目に見えて明らかなため、教えませんでした。
とにかく、電話に出るべく事務所へ赴き、受話器を耳にあてると、「北郷。お前そこで働いてるらしいな?」と、どこかで聞き覚えのある声が。はて?とりあえずダンカンさんの声ではなく、ほっとしていると、電話の主は、「すっかりバーテンが、板についてるって噂だぞ」と続けたのです。

はて?どっかで聞いた声だな…。

恐る恐る「あのーどちらの田中様でしょうか?」と返すと、「バカ野郎!タカだよ。まだ分からねーのか」と笑いながら答えたのです。

はい。軍団の兄さん、ガタルカナル・タカさんが偽名を使って電話をしてきていたのです。
なんでも、ラッシャーさんからわたくしの噂を聞き、電話をしてきたとか。

ちなみにタカさんの事を、軍団の若手は「親方」と呼ぶ。
なのでここから先は親方で。
で、話はそれるが、2003年、北野映画11作目、「座頭市」撮影時。広島にて、ホテルに泊まりながら、ホテルから30分程行った時代劇専用のオープンスタジオで、北野武監督の付き人として、べったり監督に付いていた時のこと。ある日の撮影で、急遽降り出した雨のため、その日の撮影はそこで中止となり、北野武監督、役者として参加していた親方(タカさんね)の二人をライトバンに乗せ、ホテルへ帰ることになったのです。

で、この日は、雨が予想されていたため、殿のマネージャーは、いつ殿がホテルへ戻ってきてもいいように、ホテルで待機していました。そのマネージャーから「北郷。ホテルへ戻ってくるときは連絡をくれ」と言われていたので、わたくし、ホテルへ向かうライトバンの中から、マネージャーに電話を入れた。

「あ、北郷です。今、監督と親方を乗せて、現場出ました。はい、そうです。監督と親方です。え、雨で、はい、雨で中止です。そうですね、はい、それじゃー後ほど・・・」
と電話を切ると、

電話を聞いていた殿は、ニヤニヤしながらわたくしを見て、「お前、雨だ現場だ、親方だ監督だって、俺たちは土方か!」と、実に嬉しそうにつっこんだのです。
さらに殿は、「お前、この話よく出来てるから、いつでも喋れるように、ちゃんとメモって練習しとけな」と。
今思えば、後に、『たけし金言集』なる本を出版することになるわたくしが、最初にもらった殿からの金言が、こちらでした。

話を名古屋に戻す。

電話の親方は「今、名古屋で仕事中だから、夕方には終わるから、終わったら、お前の顔見にそっちに行くから、店の人に伝えておいてくれよ」
そう言うと、電話を切ったのです。

名古屋のヘルスで、ラッシャーさんに続いて、親方までも登場とは。
つくづく、たけし軍団とはスケベな団体である。

そんなこんなで、夕方、親方と店で合流。親方はざっと店を見学して、社長と軽く食事をしたあと、「うちの若いのがご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
そう社長に挨拶をして、サービスをうけることなく東京へ帰っていったのでした。
で、親方が帰って、まずわたくしが思ったのは、
「これは、まずい事になったな……」と。
なにがまずいのか?説明します。

この、『犬岩石・ヒッチハイクの旅』は、ダンカンさんが発案した、言わばダンカンさんプロデュースの企画です。
なのに、ダンカンさんにはヘルスで働いている事を告げず、ラッシャーさんや親方と名古屋で会っているわたくし。
その事実を知ったダンカンさんは、きっと、「俺は北郷がヘルスで働いてる事なんて聞いてないぞ。本来なら真っ先に俺に報告するのが筋だろ」と、ご立腹になるはず、うん。絶対にそうなる。

とにかく、名古屋に居ることを報告してから、4日程経っているので、そろそろダンカンさんに電話をしなければならない。気が重いな~。

夜、仕方なく電話を入れた。もちろんダンカンさんに。

するといきなり、「お前、ラッシャー君から聞いたよ。ヘルスで楽しんでるそうじゃないか?」ときた。
あちゃ~やっぱりだ。面白く思っていない。

さらに、「お前な、なんで旅に出されたか分かってんのか?楽しい旅じゃ意味ないだろ。苦労しななきゃ意味ないだろ」
はい。ごもっともな意見です。

そして、「いいか。すぐにそこを出ろ。楽する方へ行くな!」
そう告げると、電話をお切りになったのです。
こりゃ参った。
綺麗な女性に囲まれ、仕事は楽しく、みな親切。うーん、できればここを出たくない。さて、どうするか・・・。 

つづく。


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