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漫文駅伝特別編 『アル北郷人生挽歌~続きを待てずに』㉕ アル北郷

前回までのあらすじ。
95年秋。憧れの“殿”の元へ弟子入りを直訴したわたくしは、翌日からダンカンさんの付き人を務める事に。
が、修行の場の付き人稼業で、持って生まれたポンコツぶりを遺憾なく発揮しミスを連発。
その結果、罰ゲーム的な意味合いで、当時一大ブームを巻き起こしていた、「猿岩石・ユーラシア大陸ヒッチハイク旅」のパロディとして、芸名を犬岩石と命名され、テレビカメラも何もないところで、11月の寒空の下、無一文で宮崎県まで行って帰ってくるヒッチハイクの旅に出されたのです。
東京の新中野から始まったヒッチハイクの旅は、諸々ありまして、山梨の石和温泉。岐阜の飛騨高山。名古屋。大阪。そして京都と。
乗せてもらった乗用車や、トラックの向かう方へと、ただただ流されるがままの、行き当たりばったり旅でした。

で、京都の地では、なぜかストリップ小屋「DX東寺」に潜り込むと、昼はストリップショーの合間に漫談を披露。夜は木屋町あたりで、「東寺」のスタッフさんらと、夜な夜な飲み歩く実に楽しい日々が始まったのです。
そんな、“裸と酒に囲まれたバラ色の日々”を満喫していたわたくしに、「DX東寺」を仕切っていた、太平サブロー師匠に良く似たお顔の、専務・島田さんから、「次はどうするんや?こっちはずっと居てもらっても全然かまへんけど、ダンカンさんが許さへんやろ?旅を続けないと、お前、怒られるんとちゃう?」と、ずばり気になっていた指摘をうけ、さらに、「ちょっと考えたんやけど、ただヒッチハイクするのもツマらんやろ?デカいダンボールに入って、空気穴開けて、宅急便で次の地へ行くってのはどや?ダンカンさんも喜ぶんちゃう?」と、明らかに悪乗りな移動手段を提示されたのです。

そして翌日、本当にどこからかでかいダンボ―ルを手に入れてきた島田さんは、誇らしげにダンボールに空気穴を開けると、「とりあえずどんな感じか、一回入ってみ?」と、わたくしに促してきたのです。

まるで手品師に指名されたお客が、仕掛けのある箱に入れられ、外から剣で刺されるような気分でダンボールに入り、フタをされて分かった事は、空気穴があるとはいえ、その空間は恐ろしく息苦しく、閉所恐怖症でもないわたくしでも、「長時間ここに入っていたら、発狂するかもしれないな」といったものでした。島田さんが意気揚々と提案した、安部公房もびっくりな、リアル箱男の
アイデアは、わたくしに言わせれば、到底実現不可能な机上の空論です。
が、ダンボールから、曇った表情で出て来たわたくしに島田さんは「どや?いけるか?トイレはオムツをすればええやろ?」と、いたって、“ノリノリ”なのです。
なんとなく“ノリノリ”な人を否定するのも悪いと思ったわたくしは、「そうですね・・・」と、曖昧な返事を返す。
すると、「よし。じゃー今度はオムツをつけて入ってみるか?」と島田さん。

「え?・・・」と、曖昧だが、明らかにやる気のない顔で返事を返すわたくし。

そんなわたくしに、さすがにノリノリだった島田さんも、「あれ?こいつ乗り気じゃないな?」と気づいたようで、「ま、とりあえず、これはこれで、また考えるか?」と、ダンボール会議を終わらせたのです。
この時、大変生意気ですが、「この人は(島田さんね)、ちゃんと空気を察して、物事を俯瞰で見れる人なんだな。ただのノリノリオヤジじゃないんだな」と、なんだか嬉しくなったのをよく覚えています。

結局、その後、ダンボール移動の話は全く出ることがなく、何もなかったように日常が過ぎていったのです。
ちなみに、この6年後、東京で島田さんと再会した時、「あの時、俺、お前にダンボールで移動するよう言うたやろ? あれ、やらんでよかったわ。下手したら、窒息かなんかで、お前死んでたで」と、笑いながら語っていました。
ちなみのちなみに、わたくしが何度もこすっては、至るところで話している、『2002年・スピークイージー(わたしが組んでいたコンビ)単独ライブ・伝説のツービート前説事件!』 で、会場として使用した、客席50席程の、東新宿にあった小さな劇場「ザ・ホール」は、のちに島田さんが拠点を東京へ移した時に経営していた劇場であり、そんな劇場を経営してる事など知らなかったわたくしが、犬岩石以来、東京で久しぶりに島田さんと再会し、雑談の中で、「初めての単独ライブで、使う劇場を探している」と話をしたところ、「お前の初めての単独やから、ご祝儀で、只でええから、うちの劇場使ってええで」と、願ったり叶ったりの提案をうけ、使用させて頂いたのでした。
さらに余談ですが、ツービートの前説を、偶然客席で見ていたのが、ユンボ安藤。しゃばぞう。U字工事。だーりんず・松本りんす。横須賀歌麻呂など。
で、当然島田さんもツービートが舞台に出てくるとは思っておらず、「びっくりしたで!一番後ろで見てたら、いきなり生のたけしさんが出てきよったから。しかもがっちり漫才しはったやろ? あれはほんまにびっくりしたわ」と、嬉しそうに語っていました。
さらに「あれ見て、お前、ほんまにたけしさんの弟子やったんやな?」とも。

話を京都のストリップ小屋に戻す。
ダンボール移動の話が立ち消えになってから、三日程したころ、ダンカンさんに近況連絡をいれると、(一応一週間程前、只今京都のストリップ小屋にて、住み込みで働いていますと報告は入れていた)
「おまえ、ところでいつまで京都に居るんだよ?どうせまた楽しんでんだろ?とにかく早く出ろ。次は猿岩石のどっちかの実家に行け!」と、不機嫌な感じで電話をお切りになったのです。

猿岩石のお二人の実家は広島県。
うーん・・・京都からだとまだ大分距離があるな・・・・。
一気に不安な気持ちと、焦りに支配されたわたくしを、島田さんは見逃さず「なんや?ダンカンさんに叱られたんか?よっしゃ、お前の次の旅の方法を考えるか」と宣言し、京都に来てから三度はお邪魔している、島田さん行きつけの小料理屋で、作戦会議が開かれたのです・・・・・・。

つづく

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