鳥の目 虫の目 魚の目
世の中は三連休。
天気もいいし、たくさんの人が外に出てきているのを感じます。
先週末の仙台は駅周りは閑散としていましたが、今週末はかなりの人出でした。
今回の新型コロナウイルスの出来事によって、普段見落としていた様々なことが見えてきた人も多いのかなぁと感じることが多い。
いつも見ていた場所に立っているんだけど、目の前の景色が大きく変わってしまった。それに戸惑う自分がいる。
でもなぜ、何に戸惑っているのかがわからない、、、
想定外の自分のコントロール外の事が起こった時、自分にとってマイナスと感じる事が起こった時、どの立ち位置でそれを見るかで物事の見え方や考え方、そのあとの行動選択が変わってくると思う。
今までいた場所で、以前とは異なる、自分にとっては悲しさや悔しさや不足感や不安感を象徵する状態が存在する。
「なぜこんなことになってしまったのか」
「私の何が良くないのだろうか、、、」
「このまま以前の状態に戻らなかったら、、、」
そう自問自答する人が想像数以上にいる事を最近感じる。
上の問いを自分の今までの立ち位置で答えるとすると、
「なぜこんなことになってしまったのか」
私にそれをもたらす原因があったのかもしれない。
「私の何が良くないのだろうか、、、」
私のこれまでに原因があるに違いない。
あの時のことかな、あの人への対応だったかな、、、私の知識のなさかな、、、
「このまま以前の状態に戻らなかったら、、、」
そんな苦しい状況、見たくない受け入れたくない、立ち直れないかもしれない、、、
過去の自分の立ち位置で考えるとこうなるかもしれない。
でも自分の立ち位置を変えてみるとどうだろう。
「なぜこんなことになってしまったのか」
答えは誰にもわからない。ただ自然の進化、地球の歴史を考えると、これまでも様々な下降曲線的出来事はあった。今自分はその歴史の一部、目撃者なのかもしれない。今それが現実なのだから。
「私の何が良くないのだろうか、、、」
ここで問われているのは、私の良し悪しではない。ただこの状況だからこそ私ができる自分が望む行動はなにかを考える事が大切。今こそ自分が今不安に思っている自分の不足と向き合える時間なのかもしれない。なぜ私は私に非があったと今感じているのだろうか。それを今だからこそ向き合えるのかもしれない。
「このまま以前の状態に戻らなかったら、、、」
以前のようになんて戻るわけがない。世界は大きな出来事を経験している。人々が自分の今を考える時間を強制的にとることになり、人々は大なり小なり考え方が変わっているはず。以前の状態を求める自分はそんな変化を経験した人にとって有益なのだろうか?そんな変化を共に体験した私だからこその新しい状態を作り出す為に何ができるかを考えることが大切なのでは、、、過去を見るのではなく、この先になにを見るのかを今から未来に目を向けるべきでは?
人は過去に囚われの身になりやすい。
うまくいっていたことであればあるほど、ようやく自分が望む道が見えてきた時であればあるほど、それがそのまま続く事を願う。
でも現実問題、何かがずっと同じ状態であることなどありえない。
前提はきっとそこにある。
変わってしまった自分がいるのに、状況を変えること、状況が変わる事には違和感がある、嫌だ、、、
その空間、環境を作るのは自分自身である。
どこから、どの位置から景色を眺めるのか。
鳥の目(広い視野/マクロの目)
虫の目(狭い視野/ミクロの目)
魚の目(潮の流れ、時代の流れを読む目)
常にその3つの目で物事を、自分自身を見ていく事で、今まで見えていなかったものが見えてくるはず。
絶好の大チャンス!
(と、言っても、私はほぼスケジュール変わらず生活)
いや、それでもちょっとだけ余裕がある今日この頃。
今だからこそこの時間を丁寧に生きよう!
#道は私の後にできる
#道は私が見た先にある
#鳥の目虫の目魚の目
#独り言