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インストラクターやトレーナーであることが苦しくなる時

(全く見直しもせずアップしているので、もろもろご了承を!)

京都は雪、雪、凍った地面、、、に覆われております。

こんなこともあるんですねぇ、、、。

こんな感じの私ですが、一応会社を経営している端くれです。

そして、これまで多くのインストラクターやトレーナー達と出会ってきました。

「邦子さん、トレーナー辞めたいと思ったことないんですか?」
「この仕事、大変じゃないですか?」
「苦しいと思ったことないですか?」

そんなことやよくよく聞かれます。

そりゃ、この仕事30年近くやっていれば、上の答えは大なり小なりすべてYesがどこかのタイミングではありますけど、でも同時に「で?それが辞めるという決断になる?」って思うんですね。


ここ最近特に、心の底から「こんなに素晴らしい仕事はない!」って思っている自分がいます。


だってね、
自分では体験できない誰かの人生を垣間見ることができる。

誰かの困っていることに直接お手伝いをすることができる。

うまくいけば、その人が良くなっていく経過を一緒に経験できる。

そして一緒に喜び、一緒に悩み、一緒に悲しみ、そんな共感をしながら日々を過ごすことができる。

そしてそれでお金までいただける。

そして新しい課題や疑問が生まれて、また学ぶきっかけをいただける。


ダイレクトに自分がやっていることが誰かの価値になる。
そんな素晴らしいことはない。


で、ふと考えたんです。
なんで、ある人は苦しいって思ってその苦しさを抱えたまま活動しているのだろうか?

なんで、ある人はそれが大変って思って、大変だからやっぱり自分は続けられない、、、って思うんだろうか?


その一つの答えとして、自分の役割を「できるできない」「やれるやれない」という視座で考えてしまっているのではないかな、、、って。

目の前にあることだけをみると、どんな技術を持っていて、どんな事を教えることができて、、、みたいなところになると思うのです。


が、このお仕事はもっともっと抽象的な高い視座で考えることが大事なのではないかな、、、って。


浮かんだままに書くので、まとまっているか、理屈が通るかわかりませんが、


あなたがフライパンを企画して作る人だとします。
その時にあなたが考えなければいけないのは、そのフライパンでどんな調理をするのか、そのためにどんな大きさで、どんな素材で、どんなハンドルで、まー、おまけにどんな色がいいか、、、(人が目を引く色、他にはない色、、、とか)を考えると思うんですね。


この中に抽象度の高いものはあまりなくて、どれも具体的で、明確な姿や形をしている。この状況に抽象的な要素を加えるとしたら、そのフライパンで調理をした先に出てきた料理を食べている人がどんな気持ちになっているのか、調理をしている人がこのフライパンで調理するとどんな気持ちになっているのかを考えてみる、それが抽象的な部分かもしれない。

このフライパンで誰かが幸せになったらいいなぁ、、、って抽象的な考えを持っているとする。

人がこのフライパンを持っていると幸せに感じるために、手持ちの素材は柔らかいものにしよう、冷たさを感じないものにしよう、明るい色は人を和やかにするから、明るめの色にしよう、重さは心の重さにもつながるかもしれないから、ちょっと素材を軽くしてみよう、そうすると人が幸せを感じるフライパンになるかも、、、みたいな。ほんとかどうかは、色々と研究を探せばそのストーリーを作り出すことはできると思うけど、ほんとかどうかは重要ではなくて、大事なのは「私はそう思う」なのではないか、、、と。



インストラクターやトレーナーも同じで、どうしても「正解」「正しさ」(これもたいがい、誰かの正しさ、または自分の正しさのどちらかになるから、結局どうなん?ってやつですけど)というところで考えるか、また「できる」「できない」で考えがち。


活動を続けるうえで大事なのは、「自分がどう思い、どうしたいのか」を考えること。


トレーナーやインストラクターであれば、「私の活動は、誰にどんな価値として伝えたいのか?」

「私はこの活動からどんな価値を得ることができるのか?または得たいのか?」

そして「それを得た私はどんな気持ちになっているのだろうか?」


こういったことを丁寧に考えていく。

そのためにもちろん苦しいことだってある。
もちろん大変なこともある。

でもそれもすべて、私が届けたい価値を誰かと共有するためであり、それが共有出来た先には、私が得たものから感じた気持ちがある。


何が言いたいのかちょっとわからなくなってきたけど、私のお話は常に抽象度高いのですが、具体ばかりを勉強していると、周りは壁ばかりになる。


具体しかみないと、なんのためにそれが存在するのかがわからなくなる。


抽象と具体を行ったり来たりすることが、何よりも大切だと思っている。


ヨガジェネさんでやらしていただいている、「ヨガ動作学」(オンライン 次回は2月5日)という謎の講座も、感覚というとても抽象度の高いお話をしている。それを具体に落とし込むのは、それぞれの人がそれぞれの場所に合ったやり方が見えてくる。



2月末に女性トレーナーサークル(女性トレーナー交流会)でお話をさせていただくのも、きっとそういったマインドのところが多くなると思う。みんな「どうすればなれますか?」「どうすればできますか?」って質問をしたがるけど、その前に考えることがあるってそんなお話をしたい。


<以下は、主催者の一人、井上かな映さんの投稿>

申し込み開始から1週間ちょっと。

すでに46名の方の参加希望&おひねりいただいています♡

ありがとうございます!アーカイブ配信もありますので是非!

邦子さんからのメッセージを共有しますね!

是非、ご一読ください

◆ ◆ ◆

「私は何を大切に生きているのか?」

「私は何を大事に日々過ごしたいのか?」

すべての基本はここにあると思っています。

仕事も仕事以外の時間も、、、。

男女の差別なく、平等に就労できることを目的とした「雇用機会均等法」が制定されたのが1986年4月でした。40年弱経った現在も、就労環境に関しては様々な難しさを抱えている人が多い現実もあります。そこに高齢化社会による高齢親族の介護という社会も目前にある。

男性と女性の人間としての価値や存在は平等です。

ただその性質は異なるということをまず理解することからすべてがスタートするのではないかな、、、と20代の頃の私は思っていました。「なぜ男性と同じようにやろうとするのだろうか?」周りの頑張っている女性トレーナーたちを見てそんなことをいつも思っていました。

1990年代のスポーツ現場は、アメリカでもまだ男性偏重な世界でしたが、それでも性別で仕事の区別をされた記憶はあまりなく、私に女性であるから担える役割もある、性差による特異性を教えてくれましたし、それが他のトレーナーにはない私の強みだと思っていました。

短い時間ですが、雇われる側そして雇う側として様々な女性たち(もちろん男性たちも)を見てきた経験を、Women’s Trainer Circleのメンバーの皆さんと、未来に向けたお話ができることを楽しみにしています。ぜひ一緒に考え、様々な意見から皆さんなりの答えを見つけてみてください。

山本邦子

◆ ◆ ◆

お申し込みはこちら


そしてこれも超抽象度高い学びの一つ。(東京、主催者のみんなも含めてたっぷりと座談会の時間もあります!みんなの色々を一緒に考えたい!)


主催者の一人、川尻隆さんの投稿をコピペ!

人・ヒトについての古くも新しい視点を2023年一緒に学びませんか?

動作学のお話をここ数年様々な場所でさせていただくときに、東洋医学というのはもともとマクロな視点から人・ヒトを捉えているもので、動作学・神経学的に捉えることができたらとても面白いということをお伝えしているのですが、ついにそんなことを学べる機会を作ることができました!

鍼灸師であるKoji Nabeyamaさん、東洋医学を神経学の視点から読み解き、人・ヒトの基本を学べる東洋生理学全4話。

東洋医学を実践しておられる人はもちろん、その他の全ての人に携わるお仕事をされている方は必ず楽しんでいただける内容です!専門家から一般の方まで人・ヒトの新しい視点を手に入れて、この先の人生をちょっと面白くするキッカケを一緒に過ごしましょう。

動作学メンバーであるKuniko Yamamoto-MorimotoTaichi Oshita、そして私(Ryu Kawajiri)も全4話参加予定です!

多くの皆様と良い時間をご一緒できるのを楽しみにしております!

最近、色々なことが変化しすぎていて、色々なことが過渡期に来ていて、様々なことを考えている結果、こんなことが浮かんできたのでシェアしてみました。


誰かの何かになればうれしいです。




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