かりんのかんづめ ~祖母が作ったカボチャご飯とどくだみ茶~
私が小学校に入ると、両親と弟の四人暮らしから祖父母と暮らすようになり、六人家族になった。
我が家は、基本的にお昼と夜ごはんは母親が担当。朝ごはんのみ、祖母の担当。
祖母は昔ながらの色んなものを用意してくれました。夏には、小さな裏庭で育てた新鮮なトマトやキュウリをもぎ取り、洗ってカット。大皿に載せ、横にマヨネーズを添えて出してくれます。
これが、また、美味しい!
形はいびつなのに、無農薬で育った野菜の美味しさ。
実家は北海道日本海沿いの「ど」田舎で、お魚がたくさん釣れました。北海道は、やっぱり鮭。
「大きなメスの鮭をもらったんだよ。お腹に子っこがいるからね」と祖母は言いながら、成人女性の片腕くらいある魚をすぐに捌いていました。
鮭の子ども、という事は・・・!
そう、自家製のイクラ漬けを作ってくれるのです。
本来、我が家のような家で簡単には買う事のない高級食材。それが、祖母の手にかかると、もらい物のお魚から、一級品を作り出してしまう。
完成したイクラで、イクラ丼を作ると。新鮮な色をしたプリプリのイクラを好きなだけ、入れ放題。
口に頬張ると、美味しいのなんのって。
食べても食べても。
「お婆ちゃん、イクラご飯食べたいな」と何度も祖母に懇願する私。
お婆ちゃん専用の冷蔵庫からタッパーに入れたイクラ漬けを取り出してくれる。
家族の中で一番食べていたかもしれない(笑)
他にも、戦中や戦後にお米がなくて食べたと言っていた“かぼちゃご飯”も、私たちの舌に合わせて砂糖を多めに作ってくれていた。
かぼちゃの甘さと柔らかさも相まって絶妙な美味しさが口に広がり、大好きだった。
他にもお鍋で作った“茶わん蒸し”に“卵入り油揚げ”、“お手製の黒豆”に“どくだみ茶”と思い出すときりがない。
そんな料理好きの祖母が、唯一嫌いな食べ物が『カレーライス』。
カレーが大好きな私は、不思議で仕方がなく。こんなに美味しいのにどうして?と祖母に連呼していました。
「そうか、かりんちゃんは好きなんだね」
「うん、大好き。信じられないよ」
お婆ちゃんは思い出すかのように話してくれました。
「お婆ちゃんね、戦中や戦後に農家に働きに行ったんだ。そこでね、毎日、カレーが出るのさ。・・・毎日、毎日。食べる物がないし農家にあるものでだから。だけどね、毎日食べてたら、嫌いになっちゃった」
私は、祖母が子どもの頃から苦手な食べ物なのだとばかり思っていたので、びっくりしました。
もしかしたら、当時の辛さを思い出す味、でもあったのかも知れません。
その後、私は家を出て大学生となり。社会人生活にもこなれて、いっぱしに大人として社会で悩む日々を送るようになった。
長期休暇に実家へ帰ると、祖母は90歳を過ぎて、大きく見えた体も小さくなっていました。
実家のダイニングテーブルでは、バースデイ席がお婆ちゃんの特等席。その横が私でした。
いつもの席でお茶を飲んでいたお婆ちゃんは「かりんちゃん、久しぶりだね。帰って来たのかい。いつまでいるの?仕事はどうだい?」と聞いてくれました。
祖母はすぐに2階の自分の部屋へ行ったので、私はそのままテレビを見ていました。30分ほどして、また降りて来たお婆ちゃんは言いました。
「かりんちゃん、久しぶりだね。帰って来たのかい。いつまでいるの?仕事はどうだい?」
・・・え?
両親から認知症である事を聞き、病院にも通っており、家だけでは大変な事から、デイサービスなどを利用している状態でした。
長年、料理好きの祖母がお鍋の火をつけた事を忘れて、真っ黒に焦がしてしまい。同じ事が二回起きたので、徐々に症状は明るみになったそうです。
料理は危険な行為になってしまい。出来なくなりました。
私の細胞は、祖母の朝食で目を覚まし、母の昼食と夕食で成長させてもらいました。
そうそう、お婆ちゃん。
高校生になって、朝の支度に時間がかかる私が、「今日は朝ごはん食べないで行くよ」と言うと、よく言ってたね。
「お味噌汁だけでも飲みなさい。ネギは頭が良くなるんだよ」って。
お婆ちゃん、孫の人生で立証されました。
ネギに、そのような効果はありませんでした!!
お馬鹿なままです。
でも、ここまで大きな病気もせず、健康な体に育ちました。美味しいごはん、一生忘れません。