ジンジャーハイボールと彼 第六話
とうとうこの日がやってきた。天気は味方をしてくれ、晴れ渡る晴天が広がっている。
興奮を隠しきれなかった、新しいロングフレアスカートも今日のために購入したものだ。
大好きな韓国ドラマの中で主人公の女性と恋に落ちる上司がペアで着ているパーカーをしっかり着こんできた。公式ページからでなければ購入が出来ない貴重なものだ。
今日は、なんとこのドラマの出演者の公開トークとサイン会が開催される。わざわざ韓国まで行かなくても、こんなはるか北海道まで来てくれるなんて。
昨日は興奮でほぼ寝られなかったけど、肌の調子はすこぶる良い。
場所は、バスセンター前駅を降りてすぐのfactoryという商業施設。ステラプレイスほど若者が大半をしめる、という場所ではなくベビーカーでも移動しやすい広さのある建物なのでファミリー層にも人気があった。
はやる気持ちを抑えきれず、早めに来てしまった。私の目当ては、主人公のヒロインであるハン・ヘギョに会うこと。
あの白い肌、美しさと可愛さを兼ね備えた顔立ちと透明感。ドラマのキャラクターも聡明でそれでいてキュートだった。
ああ、憧れの人に会うことが出来る!
興奮が過ぎるので、落ち着くためにも少し洋服を見ていくことにした。
「すいません、今日、韓国ドラマの主演の方が来るイベントがあると思うんですが。場所はどこでしょうか」
factory内にあるラコステの店舗でワンピースを見ていると、同じイベントに行くかと思われる男性客が店員にそう聞いている声が聞こえた。
確かに面白いドラマなので、男性ファンもいるに違いない。ファンと出会うなんてこと、今まで一切なかった、同世代の同志に出会えたことに感動を覚えた。
そうか、同志にも会えるのか、最高だ!!
開催エリアは、factoryの一階にあるイベントフロアだった。フロア自体は小さく、地元のアイドルなどが踊るイベントが多かったが、時に有名アーティストが新曲の宣伝を兼ねて来ることもあった。
その横には、大手クレープ屋やケンタッキー、海外のグミやキャンディーを計り売りしている店などが並んでいる。
factoryの象徴とも言えるこのフロアは、天井が高く広く突き抜け、街の中心地にも関わらず北海道ならではの広さと奥行のあるところが特徴だった。フロアの南北にはほかにも飲食店が並び、東と西には天井も壁もガラス張りで明るさと広さを感じさせた。
冬になると、大規模なクリスマスツリーが飾られイルミネーションがみられるため、カップル・ファミリーと定番のスポットになっている。
それよりも、今日は一つ恐れていることがあった。
今回のイベントが目的でここにいるということを誰にも知られたくなかった。
韓国ドラマをお勧めはしていたけれど、まさかイベントに参加するほどとは友人たちも思っていないはず。
万が一のため、気づかれないよう眼鏡をかけ、いつもはしないゆるめのポニーテールにしてきた。バレた場合の言い訳もしっかり考えておいた。
もう完璧、あとは時を待つのみ。
はじめは出演者の公開トーク、その後にサイン会となっている。
人はまだそこまで集まっていないが、コアなファンがすでにぽつぽつ見えはじめた。簡単に用意されたステージ前の椅子に座ることにした。
本当は最前列に座りたい。だが正直、興奮が尋常ではないことは自分でよくわかっている。緊張で倒れてしまい、サイン会に参加出来なくなっては来た意味がなくなってしまう。ここは無難に3列目にしよう。
サイン会のとき、お腹が鳴らないよう買っておいたクレープを頬張って待つことにした。
徐々に席が埋まってきていた。
「あのう、そのパーカー」
「え」隣に座っていた男性がいきなり声をかけてきた。
さっき、ラコステの店舗にいた男性だった。キャップをかぶり、眼鏡にマスクをしているため顔立ちはよくわからないが、かなり低い声だ。
「間違えていたらすいません。もしかして、“ギャグハウス”の中で主人公が着ている部屋着と同じでは」
まさにそう、ドラマ“ギャグハウス”で主人公が着ていて、可愛いと韓国でもアジア各地でも人気となり。そのパーカー姿でSNSに載せる人が急増したもの。
真ん中に星マークとバナナが描かれている。ドラマを見ていなければ、決して買っていないはず。
「はい、その通りです。お恥ずかしいです。普段は家でしか着ないんですが。今日は思い切って着てきました」
彼は、驚きを隠せないという様子で手と顔をあたふたさせていた。
「すごい欲しかったんです。どうやって買ったんですか」
「あ、公式ウェブページで期間限定で買えましたよ。でも、もう期間が過ぎたので、今は確か・・・楽天にあった気が」
その方法があったのか、という顔で私の顔に向かって大きく頷いてきた。
「そうなんですね。Amazonになかったので、どこで探してもないだろうと諦めてました。ありがとうございます」
そう答えると、すぐにスマホを取り出して、検索している様子だった。
「え、そのスマホケース、“確かな野望”で主人公が使ってたのと同じ?!」
「え?はい、そうです。もしかしてあのドラマも見てましたか」
「めっちゃ好きです!主人公が、その前に出演してた“危ない兄弟”のときから可愛くて大好きで」
彼は驚いた表情をして「あ、自分も見ました。あぶブラは、ラストで本当の兄弟じゃないのに命をかけて弟を救おうとしているお兄さんの姿が本当に感動的で」
私はつい、空中を叩くように手を振り「そうそう、そうなんです。最初は冷たい態度だったのに、身近なところで弟を助けるために敵に知られないよう装っていただけで。最後は泣けてしょうがなかったです」
初めてだ、大好きな韓国ドラマの話を外でこんなに興奮して話すのは。飲みに行った女友達に話すことはあっても、そこまで食いついてくれないし、相手は見てないので感動を分かち合うことも出来ない。
「あ、すいません。なんか、嬉しくて」
「いえ、俺もです。これから、トークやサイン会があると思うとさらに楽しみですね」
彼はそう言って、眼鏡を少し上にあげた。
「本当に。まさか、北海道に来てもらえるなんてって感じですよね。サイン会はやはりハン・ヘギョ目当てですか」
「はい」と勢いのある声が帰って来た。
「わかります。最高ですよね」と私が答えると、さらに前のめりに彼は弾丸トークをはじめた。
「最高です。あんな可愛くて、透明感があって表情豊かな子なんて、そうそういない」
「激しく同意です」
彼は、バックから何かを取り出し、「写真は撮れないかも知れないけど、万が一のため、この高いカメラを購入して持って来たんです」。
彼は、低くて素敵な声で、好きな子を想いすぎておかしくなった男子のようなことを言っていた。
だが、私もほぼ同類だった。
「ふふ。私は、この日のために長年使用していたiPhoneを最新にしてきました」
「おお、最近のiPhone、けっこう出費になりません。ほぼPC買うのと同じ」
「そこは言わないでください」
はたから見ると、かなりやばい二人に見えるはず。
だが、最高に楽しい!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?