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あやかし暮らし小説「ぼくと世捨て人」第三話「ボクっ娘人魚」

 不思議なこと、っていうのは一日にそう何回も起こるべきじゃない。
 ぼくはそう思う。

 だってびっくりするし、おちおち昼寝もできないじゃないか。

 まあ、まだ多少は猫を被っていたほうがいいだろうから、昼間から怠けるつもりはないけれど。

 そう考えて家の様子を見るため歩いていたら、縁側で何かおかしなものを見た。
 とりあえず気付かないふりをして、そのまま通り過ぎようとしたら、じいっとぼくを見ていたその人(?)が片手を挙げたのが視界の端に映った。

「こらこら、無視しないでくれるかな!」

 面倒くさそうなのでスルーしようとしたのに、思いきり声をかけられた。

 まあそんなことより。
 この家に若い女の人なんていたっけ? と一回考える。

 いや、じいさんの一人暮らしだって聞いてたはずだ。昨日だってぼくとじいさんの二人きりだったし。
 ならお客さんか。
 でも普通、お客さんって『池』からやって来るもんだっけ?

 ぼくはそう不審に思いながら、声のした方に顔を向けた。

「ねえ、ねえってば〜! あ! やっと見てくれた♪」

 見れば、やけに楽しそうな女の人がいた。でも普通の人じゃない。
 身体の半分が池に沈んでいるタイプのお姉さんだ。
 見た目年齢は二十歳くらいだろうか。

 うん。普通じゃないなどう見ても。

 ぼくはとりあえず心を落ち着けて、ここでも処世術を使ってみることにした。

「いらっしゃいませ?」

「おや、招いてくれるのかい?」

 お得意の子供らしい笑顔を作って挨拶してみれば、なんだかやけに喜ばれた。
 可愛いひとだな、と思った。ちょっと口調は特殊だけど、すごく綺麗な女の人(?)だ。
 池にいるお姉さんは、正直言ってこの世のものとは思えないくらい美人だった。

 濡れ羽色の長い髪には水が滴り、陶器のような白磁の肌は午前の光で輝いている。
 それから、ええと、虹色のなんだろう、キラキラした扇形の……耳、かな? あれは。
 顔と首、鎖骨くらいまでは滑らかで綺麗な白い肌なのに、他はちょっと滑らかすぎる青いような緑のような、オーロラみたいな色の鱗がびっしりついている。

「お姉さんはお客さんでしょう?」

「そういうことになるのかな?」

 お姉さんは首を傾げながら言った。

 いや、ぼくに聞かれてもわからないけど、たぶんあのじいさんの知り合いなんだろうな。

「君が噂の新入りくんかな? ボクは瑠璃(るり)、人魚だよー♪」

「それは見ればわかります」

「おや、つれない」

 お姉さんが口を尖らせる。けどそんな顔をしてもやっぱり綺麗だった。しかもボクっ娘だ。

 それより、普通に返事をして会話しているけどいいのかな。
 連れて行かれたりとか、池の中に引きずり込んだりされないだろうか。ってあれは河童だったっけ? お尻の玉がどうとかいう破廉恥なやつ。

 うーん。
 ぼくはやや混乱しながら首を傾げた。

 ぼくを呼んだと言うことはこの人魚……ええと瑠璃さんには用があるのだろう。しかもどうやらぼくのことを知っている様子だ。

 新入り、ということは古株もいるのだろうか、なんて考える。
 どちらにしても人間とは限らなそうだ。

 朝食の時といい、何かあるとは思っていたけど、ここは化け物屋敷だったのか。
 なら世捨て人になるのも頷けるな、なんてぼくはちょっとだけ現実逃避した。

 だってここがぼくの新しい家で、他に行く場所なんてないのだ。
 たとえここが化け物屋敷だろうが、そうでなかろうが。

「ええと。それで、何かご用ですか?」

「おや少年、見た目より肝が据わっているね。中々いいよ」

「はあ」

 なぜか褒められた。

 人魚に肝が据わっていると言われても。確か人魚の肝には不老不死の力があるんじゃなかったっけ、なんて昔呼んだ妖怪本を思い出しながら話を続ける。

「あの、祖父にご用ですか」

「うんそうだよ。呼んでもらえるかな」

「わかりました」

 ぼくはまた返事をして、今のところ連れて行かれる様子は無さそうだと内心安堵してからじいさんを呼びに行った。いい加減あの達磨じじいは説明してくれるんだろうか。

 達磨じじいとはぼくが脳内でつけたじいさんのあだ名だ。
 いつも無言でむっつりしているから名付けた。我ながら中々良いネーミングだと思う。

 ぼくは恐らく朝食の片付けを終えて居間に戻っているだろうじいさんのところにいった。

 じいさんは今度は国語辞典みたいな分厚い本を広げて呼んでいた。ぼくが和室に足を踏み入れると、老眼鏡だろう銀色の眼鏡が上向いてぼくをじとりと見上げた。なんだか睨まれているみたいだ。せっかく呼びに来てやったのに。

「何だ」

「……お客さん。池から」

 ぼくはそれだけ言って踵を返した。
 たぶん意味は伝わるだろう。
 ぼくはまったく状況がわからないけど。

 だけど「あの人?何?」と聞くのも憚られて、ぼくはじいさんより先にさっきの人……じゃないな、瑠理さんのところに戻った。

 瑠理さんはやっぱり池の中にいて、綺麗な鱗を朝の光に煌めかせている。
 オーロラのように虹色に輝く鱗はまるで宝石みたいだ。

「祖父に言ってきました。あと、鱗綺麗ですね」

「おや、ありがとう。よければ一枚あげようか?」

「え」

 まさかくれると言われると思わなかったのでぼくは面食らった。

 でも、ちょっと欲しい気がする。一枚だけでも十分綺麗だし、人魚の鱗なんて早々手に入るもんじゃないだろうし。

 くれるって言うのなら貰っておこうかな、なんてぼくはよく母さんが口にしていた言葉を内心思った。だけど。

「やめとけ。対価に何を要求されるかわからんぞ」

「え?」

 低い声にばっと振り向いたら、不機嫌そうなじいさんがいた。

 両腕を腹の前で組んで、さっきと同じようにじとりとぼくを睨んでいる。どうも責められている気がした。

 なんだよ。そんなの知らなかったんだから仕方ないじゃないか。

 だけど人外(人魚って妖怪の部類?)から何かを貰うのはまずいんじゃないかと実は思っていたので、軽々しく返事しなくて良かったとぼくはほっとした。

「……やめておきます」

 ぺこりと頭を下げて断ると、瑠璃さんは鱗と同じ緑のようなオーロラのような不思議な色合いの瞳をすうと細め、それから唇をつんと尖らせた。

「っちぇ。あと少しだったのに」

「この子に手を出すのはやめろ。でなけりゃもう食わさんぞ」

「うわっ、それだけは勘弁してくれないか! 悪かったよ!」

 まるでじいさんの声が鶴の一声みたいに人魚、もとい瑠璃さんが悲しそうな悲鳴を上げた。
 じいさんはふん、と偉そうな態度で瑠璃さんを縁側から見下ろしている。

「許してよ栄一郎〜! ちょっとからかってみただけなんだ。君がつれないもんだから。だからさ? ね? いつものやつ頼むよ、お願い〜!」

「……二度とこの子に手を出すな」

「はい! わかりました!」

 元気よく返事をした瑠璃さんは、じいさんが背中を向けた瞬間、ぺろりと赤い舌を出してぼくに視線を一瞬寄越した。
 瑠璃さんの目はまるで猫みたいに縦に細くなっている。

 うわっ。

 瞬間、ぼくの背中がぞわりと総毛立った。
 腕を見てみると、鳥肌がぶわっと立っていた。何だこれ。

「あいつらには気を抜くな」

「え?」

 顔を上げると、いつの間にかじいさんがぼくを見下ろしていた。しかも厳しい表情で、口は真一文字に結んである。

 怒っている……? ように見えたけど、どうやら違うらしかった。じいさんは目線だけでちらと瑠璃さんを牽制していた。

 瑠璃さんは「あ、あはは〜♪」なんて下手な愛想笑いをしている。

「わかったな」

「……うん」

 じいさんの言わんとしていることがわかったぼくは、念を押してくるじいさんにはじめて素直に、頷いた。

 どうやらこの家には、天邪鬼だとかボクっ娘人魚だとか、曲者ばかりがいるらしい。

四話へ続く

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