山小屋滞在録(14) 〜井戸ポンプ復旧 編〜
東京目黒の自宅建て替えは概ね内装を残すばかりとなり、諸々ややこしい手続きや打ち合わせも概ね片付き、来年1月末の完成を待つばかりとなった。
そんな残暑の折、今度はかねて相談していた熊本の業者さんから連絡があり、ここ数年壊れたまま隣家からの貰い水に甘んじていた山小屋の井戸ポンプの入れ替え工事予定が決まったとのこと。
10月初日からの工事になる。
急遽主治医と相談して、抗がん治療のスケジュールに隙間を作って貰い、9月の28日に家内と東京を出発することにした。
今回往路は途中京都に1泊することとする。
この時期、京都はアートフェスティバル期間、家内が観たかった手拭い店の老舗『細辻伊兵衛』の美術館に寄ったのだ。
京都でのんびり遊んだ翌日は家内にも協力して貰いながら一路南阿蘇へ…
何とか日が暮れる前に山小屋に到着!
やはり今年の夏は山の天候は温度も湿度も高かったようだ。
前回2ヶ月前に滞在したにも関わらず山小屋の中はうっすらとカビが生えている。で、家内があちらこちらを掃除してくれている間、私はベッドでひたすら体力を回復する。
次の日はニューヨークから一時帰国している家内の友人を訪ねて山鹿へ…
そして10月1日…
朝から井戸水ポンプの入れ替え工事が始まった。
やってきたのは作業車のトラックとクレーン車。
ポンプ小屋の屋根を外し、周囲の邪魔な草や木々を切り払い、これまで使用していた大型のタンク他給水設備を全て撤去する。
前にも説明したがこの場所は標高約700m、阿蘇中岳の南側中腹で、30年以上前に別荘地として宅地化された。
給水は阿蘇の地下水を汲み上げているが、その設備は全7世帯分を賄えるように大型の給水設備が設置されている。
ところがここに家を建てて利用しているのは我々一軒だけ。
他の土地は全て売れているにも関わらず、別荘を建てる人は誰もおらず、その気配すらない。
全くの放置状態なのだ。
なので、こんな大そうな給水設備は必要ないのだ。
しかもこのポンプはここ3年ほど前から調子が悪く、当初は騙し騙し使っていたが、現在は電源も止め、我々はちょっと離れた隣家から水道ホースで貰い水状態が続いていた。
高地なので井戸の深さは150mもあり、ポンプも120m以上地下に到達している。そこから水を汲み上げるのだからかなり強力なポンプが必要となる。
クレーンで地下水用のパイプがどんどん引き上げられてゆく…
泥を除去し、錆びたパイプは新しいものと交換しながら、再びパイプを地下深くに沈めてゆく…
古いポンプも回収して、新しいポンプが地中深く沈められてゆく…
どうなることか…井戸自体がヤバいんじゃないか…と固唾を飲んで見守る…
何せ阿蘇は熊本の大地震の影響で、水脈にも影響が出た箇所もあった。
新たに再ボーリングするとなると、さらに莫大な費用が掛かってしまうのだ。
と…問題なく透明な綺麗な地下水が汲み上げられて、ほっと一安心。
地上モーターや配電設備もリニューアルする。
で、2日間掛けて我が家の給水設備は完全に復活した!
費用はおよそ200万円。
ちょっと痛いが、大切な水のこと、致し方無い。
新たな設備は以前とは比べ物にならない位小型の設備。
ポンプ小屋は他の用途にも使用できそうだ。
さらにもう1つ、動かなくなってしまった浄化槽用の空気ポンプも新しいものと入れ替えた。
兎にも角にも、今回の山小屋滞在の最大の目的はこれにて完了!
さて、まだ滞在の日数はたっぷりある。
友人たちとアポをとって会いに行っても、それ以外特に予定もないので余裕がある。
で、今回は熊本市内の家内の実家を訪れ、久々に90歳を過ぎた義母のお相手と日頃人手の足りない庭のメンテ諸々を手伝うことにした。
家内の実家は水前寺の近く、出水という文教地域にある旧家だ。
敷地は6、700坪程もあり、さらに最近この家を守る義弟と家内が協力して購入した100坪程の平家の隣家もある。
ここの庭の面倒をみているのが、今回もここに登場した吉井氏。
ところが吉井氏はここ近年病気に見舞われたり、周囲の手伝いの人材が不足したり、県外の仕事が忙しくなったりで、今年の猛暑の夏の間実家の庭はほぼ手が付けられない状況だった。
義弟夫婦も介護施設を2軒運営しているので大忙しの毎日。
義母は既に認知状態が危うく、1人留守番が精一杯という状況である。
まずは実家を訪れ一泊。
翌朝、実家の近所にある墓にお参り…
我々が山小屋から実家を訪れると義母はいつも「良かねえ、私も阿蘇に行きたかあ。私は阿蘇に行くのが大好きだけん…行きたかねえ…」と言う。
そこで今回は翌日義母が大好きな阿蘇へのドライブに誘い、山の風景を満喫させることにするのだが、義母は決して我々の山小屋に泊まろうとはしない。
夜は自宅でゆっくり酒を飲んで、自分のベッドで寝たいのだ。
なので、夕刻には再び実家に連れて帰る。
いくら県内とは言っても市内から山小屋までは片道1時間以上は掛かるので、2往復は大変なのだが今回は日頃の義弟たちの苦労を労ってサービスだ。
そして別日、我々は車に仮払機や電動チェーンソー、燃料など一式を積み込み、今度は庭のメンテに再び市内に向かう…
広いとは言っても市内の普通の家の庭である。
『山の草刈りと比べれば楽なもんだ…』と思いきや、いざ手をつけ始めてみると、今年の夏は尋常ではなかったことが良く分かった。
どこもかしこも下草の雑草に加えて、背の高い一年草や蔓蔦の類が密集し、庭の木々にまで絡みついて、まるで熱帯ジャングルのように絡まり合っているのだ。
こうなると仮払機の扱いにもちょっとコツが必要になってくる。
いきなり下草を刈っても蔓や蔦や枝と絡まり合っていて除去することは出来ない。
まず大きく十字型に仮払機を振り回し、上層部の蔓や蔦を切り離し、背高の太い茎や枝を切り払い、それから下草を刈るのだが、これが一夏の間に植生が移り変わり、二重にも三重にも密集しているので、地面近くまで刈り進むには2度3度と掘り進めなければならない。
三次元的に刈っては払うを繰り返さなければならないのだ。
まあ、本来ここまでにならないように小まめに草刈りはしなければならないのだが、手を付けた以上文句も言っていられない…
草刈り初日、家内と義弟は家の資産のことで市内の法律事務所に出掛け、家には私と義母だけ。
で、早速私は器具の準備をして、草刈り作業に取り掛かった。
『ひゃ〜、こりゃあちょっと大変だなあ…』
庭の雑草の状態は奥に行けば行く程酷くなり、覚悟を決めて仮払機を振り回していた時である。
夢中になって鬱蒼とした雑草に取り組む私の肩越しに人の気配がした。
振り向くと義母が直ぐ近くに立っていて、私に何かを叫んでいるが、仮払機のエンジン音で何も聞こえない。
慌ててエンジンを止め、「何ですか?何かありました?」と尋ねる…と…
「いやあ、クニハルさん、もうよかけん、そがんことせんでえ!」と言っている。「え?何でですか?」
「あんた、病気なんでしょう。そがんことは若かもんにさせるけん、あんたがそがんことせんでよ」
「若かもんって、誰ですか?」
「そりゃあんた… 大司(義弟のこと)とか… うちには他にもおるけん」
「大司くんは出かけたし、他には誰もいないじゃないですか。第一、今日は僕は草刈りをしに来たんですから…」
「いやあ、もうせらんでえ。やめてえ!」
「いいからお母さんは中で座ってて下さい。大体、そんなに近づいて来たら危ないじゃないですか」
「そお?...」と、全然納得していない… それでも渋々家の中に戻る。
作業を再開する… そしてものの10分もすると、また義母がよたよたと近づいてくる。
「クニハルさ〜ん、もうよかけん、そがんことやめてえ…」
そして同じ問答が繰り返される。
こうして庭から義母を何度追い出しても作業は中断させられてしまう。
何度目だったか、仕舞いには…
「うるさいっ!もう、邪魔しないでくださいっ!危ないから庭には降りないでっ!」と、怒鳴りつけてしまった。
どうやら義母は諦めた様だったが、暫くして私がデッキで休憩していると、義母が出てくる。
「クニハルさん、これ、水、どれくらい入れたらいいのかねえ?年取ると駄目ねえ、最近はなんも分からんようになって…」
手には計量カップを持っている。
「どうしたんですか?何に水を入れるんですか?」
「米ば炊こうと思って… 水の入れ方が分からんようになって…」
「まだ時間が早いですよ。ご飯の支度はメグちゃん(義弟のお嫁さん)が戻ってからするって言ってましたけど…大体お母さん、普段ご飯炊いたりするんですか?」「そら、自分の食べる分くらいは自分でするよ」
「そうですか、じゃちょっと見てみますね。お米は何合入れたんですか?」
「このカップで5杯…5合はそれでよかろ?」
「5合?そんなに沢山炊いてどうするんですか…今日は僕らと大司くんたちだけですし、お母さん、ご飯はあんまり食べないでしょう。まあいいや、少し減らしましょう。第一そのカップお米の計量カップじゃなくて水の計量用ですよ」
「あら、そがんね。あはは、最近はなんも良く分からん…違うと?」
「米のカップは180cc、水のカップは200ccですから。まあいいや、見ましょう」長靴を脱ぎ装備を外して、台所に向かう…
ところが大量の米はもう既に研いで炊飯器の中に入れてある。
一応言った通り5合半くらい…大量だ…
米櫃に戻す訳にもいかず、水を少し少なめにしてセットする。
「準備はしておきましたけど、まだ少し早いですから暫く水に浸けておきましょう。炊飯器のスイッチは後で僕が入れますから、お母さんは何もしないでくださいね」
「ああ… はいはい、そら申し訳なかったね。どうも有難う」
私は再び草刈り作業に戻る。
さて、今日はこの位にして、そろそろ夕刻に差し掛かってきた。
あとは明日…と、装備を外して片付け、台所に向かう…
と… 既に炊飯器のスイッチは入った状態で、炊飯器ももう直ぐ炊き上がりそうだ。「お母さん、炊飯器のスイッチ入れちゃったんですか?」
「いやあ、知らん… 」
『義弟夫婦も大変だなあ… 』と、思っていたところにお嫁さんが帰って来た。
事情を話すと「え… お母さんはこの5年以上はご自分でお米なんて炊いたことないですよ。夕ご飯は毎回お世話してるし… クニハルさんたちが来たから、なんかお世話したくなっちゃったんじゃないですか?そうですか… 5合かあ… 夜はお母さん、お酒飲まれるんでご飯は食べないんですけどねえ… ま、いいですよ残ったご飯は冷凍にしちゃいますから」と、大したことでないという反応。
「大変だねえ…あれじゃあ、もっと色々あるんじゃないの?」
「いやいや、うちのご利用者さんたちに比べたら全然問題ないですから… 普段はもっと凄いの一杯診ていますから… ははは…」
流石にプロだ。
翌日も翌々日も実家の草刈り…
で、週末前に山小屋に戻り、我々の山小屋の方も草刈り…
ま、こちらは2ヶ月前にも刈ってあるので、楽勝だった。
今回地下水ポンプの工事立ち合い以外は滞在中はほぼほぼ草刈り三昧の日々だったと言うことだ。
草刈り三昧とは言っても今回は結構時間的に余裕がある。
刈り払い機の修理調整はもとより、今回は山小屋のオーディオ設備にCD・DVDプレイヤーを加え、レコード、カセットテープ以外にCDやDVDの鑑賞も出来る様にした。
何しろこの夏に、我々のバンドのCDもリリースしたので…
兎にも角にも最後の週末をようやく秋空の広がった阿蘇の山小屋でのんびり過ごし、連休最終日、一路神戸へと向かった。
なぜ神戸に向かったかというと、前回初めてお目見えした川西のささヤン… 神戸市のジャズフェスにギターで参加すると言うのだ。
丁度帰京のタイミングと合うのと、神戸には我が一族『川崎家』の菩提寺があって、両親もそこに眠っている。
私もいずれそこに入ることになる。
で、久々に墓参りと和尚への挨拶に寄ることにしていた。
さらに、子供の頃から弟のように可愛がってくれた大好きな従姉にも会いたいので今回は神戸に2泊することにした。
秋晴れの連休最終日の朝、我々は山小屋をあとにした…
神戸までおよそ700kmの高速路運転だ。
特にそれほど大急ぎすることもなく、余裕を持って夕刻には神戸のホテルに到着。まずはホテルでしばし休養… ホテルはささヤンライブ出演の店の赴く…、歩いて僅かに6、7分の近さだ。
ささヤンのバンド(Vo.+E.G.+アコG.)は大トリ。
ゆっくり食事をさせて貰い、ゆっくりと鑑賞することが出来た。
流石のキャリア、なかなか大人なステージを満喫出来たし、何より前回に続いてささヤンに再開出来たことが嬉しかった。
翌日はのんびり… 旅の疲れをシャワーで洗い流し、ゆっくり朝食…で、昼前に子供の頃から大好きな従姉ミミちゃんの住む甲子園に向かう。
ミミちゃんは私より一回り近く年上で、昨年連れ合いを亡くし、今はマンションに元気で一人暮らし。
昔から活発で今でも卓球を続けている… というか指導者でもある。
ミミちゃんも我々夫婦の来訪を喜んで、とても歓待してくれた。
彼女とは、私がまだ幼かった頃少しの間一緒に暮らしたこともある。
いつも弟のように可愛がってくれて、あちこち連れ歩いてくれた。
どの位いただろうか… 5、6時間もあれやこれや話に花を咲かせ、ホテルに戻ったのはもう夕刻。
さて、まだお腹の空かない我々はそれから神戸市内のサークルバス(300円でバスガイド付き)に乗り、もうすっかり観光客のいない夕暮れの神戸の街を貸切状態で解説付きの車窓からたっぷり1時間周遊したのでありました。
翌朝は今回の訪神の最大の目的、両親親類の墓参りへ。
新神戸駅の上、六甲布引にある我が川崎家の菩提寺『徳光院』へ赴き、久々に和尚と親交を温めた後、一族の納骨堂でのお参りと相成った。
久々に両親や親族に手を合わせ、諸々の想いを昇華させることが出来、とてもすっきりした気分でその日の夕刻には世田谷の仮住まいマンションに到着。
熊本行きは毎回色々あるが、今回は比較的余裕のある楽ちんなペースで楽しむことができた。
まあ、私も家内も私の今の健康状態にだんだん慣れてきたということなのだろう。
さてさて、次回はいよいよ冬仕舞いの南阿蘇ということにしようと思うが、上手く機会が作れるだろうか…