見出し画像

父の残像 15

松岡幸三を名乗る…


家でしずさんのおやつを済ませ、時間を見計らって私は家を出た。
待ち合わせ場所にはもうヤスオが自転車をとめて待っていた。

「真弓、来なかったぜ」
「そうか、良かったね。じゃ、行こうか」
「おしっ!」

時間に余裕があったので、あまり急がずにゆっくりと自転車を走らせる…『私』は移動中、じっくりと父に伝えるべき言葉の内容を再確認していた…

病院の近くの児童館に到着したのは丁度3時半だった。
自転車を置き、すぐに『私』と私は座席を入れ替わった。

「じゃ、行ってくるから、ヤッちゃんは児童館で待ってて。大丈夫?一人で入れる?」
「うん、大丈夫大丈夫。俺、なるべく図書室にいるようにするから、もし早く終わっても図書室に来てくれれば、いるようにするから…」
「おう、分かった」
「あの…頑張れよな。しっかり話してこいよ。それと…子供のコウちゃん、心配すんなよ。大人のコウちゃんに任せとけば大丈夫だからな。きっといろいろ上手くいくから…」
「有り難う、ヤッちゃん。じゃあね、後でね…」


病院へは子供の足でも歩いて2、3分程だった。
子供の私は不安でじっとしていられない様子だった。早足で歩きながら、『大丈夫、大丈夫…何があってもじっと落ち着いて…』と子供の私に言い聞かせた。

病院に入ると、慣れた素振りであまり周囲をキョロキョロせずに、ロビーを抜け、長い廊下を歩いて、父が入院する病棟へと向かった。
病棟の大きなエレベータを最上階まで上がる...
エレベータには見舞客や患者に付き添った看護婦など数人の大人と乗り合わせたが、子供の私にはちらりと目を配るものの、声を掛けてくる大人は誰もいなかった。

エレベータを降り、父の病室に面した廊下をナースステーションまで進む…
母が言っていた通り、この時間入院病棟にいるスタッフは少なく、皆忙しそうに働いているようで、子供が一人で廊下を歩いていても気に留める者はいないようだった…

廊下の突き当たりの手前2つ目、右側のドアが父の病室だ…ドアの脇に小さく『川瀬健造』の名札が掛けられている…

『私』はドアの前で大きく深呼吸をして、ドアをノックした。
「はい…」ドアの向こうから父の力ないかすれた返事が微かに聞こえる…
『私』はそっとドアを開けて病室の中に入った。
部屋の奥のベッドに力なく横たわり、うっすらと目を開けてこちらを見る父がいた。
『私』は父に近付いていった…

「ああ、コウちゃんだ…」父はそう言ってにっこりと微笑んだ。
その表情はいつもの父だったが、入院時より一回り以上も痩せてやつれた父の姿がそこにあった。もう脱毛が始まっているのか見慣れない毛糸の帽子をかぶっていた。子供の私は父の変貌に驚くばかりで、ぐらぐらと動揺していた。『大丈夫…お父さんは今、病気と闘っているんだから、あの位は当たり前なんだ…』そう私に言い聞かせながらベッドのすぐ脇まで歩み寄った。

「お母さんは、さっきもう帰ったぞ…お前、一人で来たのか?」
「うん。今日は大人の俺なんだ。意味、分かるよね」
「そうか…ようやく、ちゃんと話が出来るんだな…ちょっと待ってて、今起きるから…」と、父は重そうに身体を起こし、ベッドサイドに腰掛けた。
「お父さん…どう?大丈夫?」
「ああ…お前が大人だから言うけど…正直、ちょっと辛いな。担当の先生から聞いてはいたけど…こんなに辛いとは思わなかったよ」父はそう言って、笑顔を作った…
「大変なとこ悪いんだけど、一度ちゃんと話しておかなきゃって思って…」
「今日は内緒で来たのか?」
「そう。ヤスオと一緒に自転車で来た。近所の公園で遊んでいることになってる…」
「康夫君はどっかで待ってるの?」
「この近くの児童館で待ってて貰ってるから、大丈夫だよ」
「そうか…俺から聞きたいことがあるけど…いいか?」
「いいよ。何でも聞いて」
「コウちゃんは大人の自分がもう1人いるって言ってたけど…2つの人格がいるっていうことなのか?」
「そう…そういうことなんだけど…『多重人格』とは違うよ。僕はコウちゃんとは別の大人なんだよ」
「それは…どういうこと?」

『私』は慎重に言葉を選びながら、私が自分の意思とは関係なく2009年の未来からこの時代に跳ばされてしまったこと、跳ばされた先が康治の意識の中だったことを説明した。ただし、『私』と私が同一人物であることは敢えて伏せておいた。

父は暫く考えているようだった。
「じゃあ…ギターが弾けるのは君だったってこと?」
「そう、若い頃ジャズギターを弾いてたから…」
「若い頃って…君は一体何歳なの?」
「ここに来る前は、丁度50歳だった」
「俺よりも年上なんだ…ちょっと待ってくれよ…そんなこと…信じられるか…」
父は体調の悪さを乗り越えて、何とか理解の道を探っている様だった。子供の私はいつも堂々とした態度で包容力に溢れた父の姿が目の前で崩れていくことにますます動揺している…

「僕自身も初めは信じられませんでした」『私』は子供でいる振りをやめて、口調を変えて続けた…
「僕も僕の世界では自分の生活があったんです。家族もいたし、子供もいました。望んでここに来た訳じゃないんです。もちろん康治君はまだ子供ですから、もっとびっくりした筈です。でもこれは自分でコントロール出来ることではなく、受け入れて、同居…と言うか…康治君の身体を共有するしかないんです。信じられないことですが…本当の事なんです」
「ちょ、ちょっと待って…うーん…身体を共有するっていうことは…今、そこにコウちゃんもいるっていうこと…なんですか?」
「ええ、今は私が主導権を執っていますが、康治君の意識は心の中の少し離れたところにいて、今の2人の会話もちゃんと彼には聴こえています」
「いや…君の…いや、あなたの話を聞いていると、とても子供が、というか…息子の康治が大人の振りをしているとは思えないし……ああ、そうか…前にあなた、僕の仕事のことでいろいろアドバイスしてくれましたよね?あれも、あなたですよね?」
「ええ、そうです」
「あなた…私と同じ業界で働いていた方なんですか?」
「いえ、そうじゃなくて…私は40年先から来てますから…自分が見聞きしてきた時代の流れというか、変化を見ている訳で…それに、私の仕事は映像の制作、つまり企業広告やマスコミと関わりが深いんで普通の方達よリもいろいろな業界の事情を知っている、ということはあるかもしれません」
「そうか…確かにあのお陰で、私の仕事が大きく広がりました…と言うか、私がこの歳で役員になれたのも…いや、でも、やっぱりすぐには…とても信じられない…」父はそう言って辛そうに額に手を当てた。

「大丈夫ですか?身体がお辛いんじゃないですか?」
「いや…大丈夫…大丈夫です」
「実は、康治君の友達の康夫君には随分前にこのことを打ち明けました。その時は、アポロ12号が月の石を持ち帰ることや巨人軍が優勝することとか…いろいろと伝えて信じて貰いましたけど…私もこの時代には子供でしたから、覚えていることはそれ程多くはないんです。なにしろ私にしてみれば、ずっと昔のことですから…」
「そうか…あなたは未来のことを知っているのか…今年、これから起こること、何か覚えていることってあります?」
「多分そう聞かれると思って、ここのところ、いろいろと思い出してみました。去年のシーズン、巨人が優勝したでしょう?今年も優勝します。パリーグはロッテ。日本シリーズは巨人が勝ちます。来年は阪急と巨人で、これも巨人が勝ちます。その次の年73年の日本シリーズは南海と巨人、やっぱり巨人が優勝します。65年から通算9連勝して、これは『ブイ・ナイン』といって、巨人ファンの間の伝説になるんです。僕も巨人ファンですから、この間のことは良く覚えているんです。あと…今年、確か…秋だったと思うんですけど、作家の三島由紀夫が、主催する盾の会のメンバーと市ケ谷の防衛庁施設を占拠して、自衛隊員達に檄(げき)をとばして、その後で割腹自殺をするという事件があります。嘘みたいですが本当ですよ。あと…72年には沖縄が日本に返還され、その年に自民党の代表選挙があって、佐藤内閣の次には田中角栄が首相に就任します。と、近いところだとこんな感じです…まあ、証明するにはちょっと時間が掛かりますけどね…」
「康夫君に、あなたが話したことも、実際に起こったんですよね?」
「もちろん、全て的中しました。というか私が言ったことは、予言じゃなくて事実だからです。私はただ…2009年までの50年間を生きたというだけのことなんです」
「…なるほど…どうやら…信じざるを得ないようだな…でも…どうして…そんなことが…」
「それは…私にもさっぱり分からないんです。私が使える身体は、ほら、この通り子供ですし、それも、居候しているような状態で…一体何のためにここに来てしまったんだろうと…知ってる方がいたら教えて欲しいですよ。ただ…きっと、何かをするためにここに来たんじゃないかと…最近は思っていますけど…」
「何かって?」
「いや…康治君のこととか…康治君の御家族のこととか…何かをやり終えないと、元のところへは帰れないような気がするんですよ。それが何かは分からないんですけど…」
「そういえば…このところ康治があなたが消えてしまったと言っていましたが…」
「ええ、そうなんです。3月のお葬式の時でしたか…」
何故『私』が消えてしまったのか、『私』と私の意識の間に絶対に守らなければならない距離感のことや、意識同士が接近しすぎることで『私』が時空に留まれなくなる現象について説明した。

「いや…僕にはとてもイメージ出来ないな…あなたも大変でしょうけど、息子の方は大丈夫なんですか?」
「大分動揺していましたけど、最近は慣れてきたようです。息子さんは歳の割には分別も理解力もありますんで、助かります。今のところ何とか…変な言い方ですが、二人三脚で上手いことやっています」
「そうですか…康治はお兄ちゃんに比べると少し大ざっぱなとこがありますから、お困りになることも多いんじゃないですか?」
「いやいや、お父様が思っている以上にしっかりされていますよ。私は助かっています」

父は戸惑いながらも、何とか落ち着きを取り戻した様子だった。
「ところで…あなたのお名前は…?」
「あ、はい。松岡です。松岡幸三(まつおかこうぞう)と言います…」
『私』のオフィスのスタッフの名前を借りた…

「じゃあ、あなたもコウちゃんなんですね?」父はそう言って少し笑顔を浮かべた。
「はい、子供の頃は私もコウちゃんでした。その点は楽でしたけど…」
「で…松岡さんは、うちの家族と何かその…ご縁のある方なんですか?と言うか…我が家の未来について…何か御存知のことがあるんですか?」話が一気に核心に触れようとしていたが、『私』は敢えて嘘を貫き通した。

「いえ…そういうことはありません、残念ながら…」
「そうか…でしたら、この際ちょっと御意見を伺いたいんですけど、私のこの病状については、どう思われます?あなたの時代なら、癌なんてもう大した病気じゃないんでしょう?」
「いや、私の時代でも癌はやはり怖い病気です。ただ抗癌剤の開発や治療技術は大分進歩していますから治るものも多くはなっています。でも、癌細胞の発症のメカニズムについてはまだはっきりは解明されていませんから、癌で亡くなる方は多いです。医者ではないので…はっきりしたことは言えませんが…お父様のケースを伺っていると、初期の治療ということですし、転移を抑えるための抗癌治療も受けてらっしゃるから、そんなに心配されなくてもいいんじゃないかと僕は思いますけど…ただ…この時代の抗癌治療は相当辛いというのは聞いたことがあります。大変でしょうけど、お子さんたちのためにも頑張って欲しいです。頑張って下さい、治療さえ終わればまた元の生活に戻れますから」
「そうか…身体が辛いと、つい気弱になってしまって…いや、そう言って頂けると心強いです。それに…あなたのような方が傍に付いていてくれれば、子供たちのことも家族のことも、安心ですしね。勝手なお願いで申し訳ないですが、どうか宜しくお願いします」
「私もちょっと不自由な状況ですけど、出来る限り力になれればと、考えています。それで…今日私が伺ったのも、そのことなんですけど…」
「どういうことですか?」
「私がこの時代に来てからのことを振り返っていろいろ考えてみると、私が来たことで結果的に最も大きく影響を与えることが出来たのは…実はお父様なんですよ」
「…なるほど…たしかに…」
「ですから…この際、私が知っている限りの未来の情報を全てお父様に伝えさせて頂こうかと…ま、記憶に残っていることに限りますけど…それをお仕事に利用されるか、御家族の将来のために利用されるか、それはお父様にお任せするとしても、きっと何かのお役に立つ筈です。もしかすると…私はそれをしなければいけないのかな…と…」
「…それは…私もとても興味があります。是非、聞かせてください」明らかに父の顔つきが変わった。病室の中で鬱々としていた気分が、一気に振り払われたようだった。

『私』は70年代から2009年までの時代の流れや人々の生活の移り変わり、産業技術の進化、さらには時代を追いながら、それぞれの時代に起こった様々なエポック一つ一つを知る限り父に伝えていった。
『ドルショック』『オイルショック』『ベトナム戦争の終結』『第四次中東戦争』『ロッキード事件』『ウォーターゲート事件』『イラン・イラク戦争』『バブル経済と崩壊』『家電製品のデジタル化』『小売り業態の量販化』『中国の開放政策』『製品のブランド化』『東西冷戦終結』『ソ連邦崩壊』『コンビニ文化』『液晶モニタ』『インターネット』『炭素樹脂』『携帯電話の進化』『記憶媒体の進化』…等々…
なるべく端的に時代の移ろいとその時期を大きくイメージできることを心掛けた。
父はベッドサイドに置かれた数枚の書類の裏にボールペンでメモを取りながら、興味ある事柄があると時折質問を投げ掛けてきた。特に各分野で成長を続ける企業や時代に乗りきれず衰退してゆく企業については、細かく知りたいようだった。


瞬く間に時間は過ぎていった…さすがに父は疲れを隠し切れず、時折目頭を押さえたり、頭痛を堪(こら)えるように目を閉じて辛そうに額の脇を擦りはじめていた。病室の時計に目をやると、既に5時を回ろうとしていた。
「…大分お疲れになったようですね。私もそろそろ戻らないといけないので、この続きはまた次の機会に…」
「すいません…もっともっと聞きたいんですけど…ちょっと辛くなってきました…」

と、その時だった。意識の奥の方から子供の私の動揺した声が聞こえてきた…
『大丈夫?お父さん!お父さん!僕もお父さんと話したいよ!ねえ、ちょっと替わってよお!少しだけでいいから…すこしだけ!』

話に夢中になっていて、うっかりしていた…
子供の私の様子に配慮することを忘れていた…父の表情に疲労の色が明確になっていくのを見て、私は大きく動揺していたのだ。急激に『私』に接近していた…

『待って!お父さんは大丈夫だから!近付かないで、離れてっ!今、替わるから…』と席を空けようとしたその時、『私』の意識に子供の私の意識が重なり始めた…
時計の長針がすっと動き始めるのが微かに見えたその瞬間に、『私』は再び時空の外側に弾き出された。

白色に輝く空間の中で、もはや全く身動きが取れなくなってしまった…

第16話につづく…

第1話から読む...




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?