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父の残像 17

運命は変えられるのか…


翌日、朝食後父と磯田さんを見送ると、部屋で昨日のプリントの復習に取り掛かった。母は早速磯田さんのお嫁さん探しを相談するのだと女学校時代の友人のところに出掛けて行った。入れ替わりにしずさんがやってきて、家事と昼食の支度をしてくれた。

昼、前日のすき焼きの残りを使ってしずさんが作ってくれた肉ジャガを食べているとヤスオが迎えにやってきた。


「じゃ、行ってきまーす!」
「気をつけてね。おやつ3人分用意しとくからね」
「お願いします!お待たせ、ヤッちゃん。行こう!」
「おう、行こうぜ!」休み中も自転車登校は禁止になっていたので、歩いて学校に向かう…

「で、どお?入れ替われた?」ヤスオが心配そうに訊ねた。
「ああ、今入れ替わってる」
「本当かよ…じゃ、今、大人なの?」
「そう…午前中にいろいろ相談して、午後はずっと替わって貰うことにした」今回の帰還以降の『私』と私の微妙な関係の変化について、ヤスオに簡単に説明した。

「そうか…やっぱ、帰ってくるたんびに何か少しずつ変わってるんだなあ…」
「そうなんだ、でも前の時よりも慣れた分少し楽かな」
「でも…すぐには替われないんだろ?」
「そうだね…というより、急いで替わろうとするのがあんまり良くないことが分かったからね」
「じゃさ…今日は大人のコウちゃんと泳ぐんだ…」
「そういうことになるな。ま、身体は一つだから、厳密に言うと泳ぐのは子供の自分だけどね」
「大丈夫?」
「ははは…大丈夫だよ。水泳の選手だったし…」
「そうか、そう言ってたな…じゃさ、俺にクロール教えてくれよ。な」
「いいよ」


プールの入口に真弓が待っていた。
「おう、真弓。早いな」
「あたしも今来たところ。ねえねえ、本当?大人の川瀬くんが戻って来たって…」
「ああ、本当の事言うと初めてじゃないんだけど…初めまして…」
「え?川瀬くん、大人なの?50歳?」
「ああ、見た目はおんなじだけどね」
「あの…あの…1年も、何処に行ってたんですか?」
「時間の外側に跳ばされちゃったからね、僕にとってはそんなに長い時間じゃないんだよ。ごめんね、心配掛けちゃって…」
「いえ…いえ…いいんです…やだ、ヤスオ、あたし何だか感激しちゃったあ!本当じゃない!本当に大人じゃない!」真弓は感激で少し涙ぐんでいた。

「だから、さんざん説明したじゃねえか。騒ぐんじゃねえよ、ったく…目立つだろ?」
「あ、そうか…だってさ、だってさ…本当に顔つきも大人なんだもん…川瀬くんなのに…」
「いいから、入ろうぜ。今日は泳ぎに来たんだからよ」
「え?川瀬…さんはそのまんま泳ぐんですか?」
「いいよ、真弓ちゃん敬語使わなくて。いつもの通り話しかけて。怪しいから…」
「あ、そうですね…そうね。子供と一緒に…あ、あたしたちと一緒に泳ぐの大丈夫かなって思って…」
「大丈夫だよ。コウちゃん中学から水泳部だったんだもん…な」
「そう。この身体にももう慣れてるしね」
「ええ?そうなの?あたし初耳。ねえ、泳ぎ教えて欲しいな」
「駄目だよ!今日は俺がクロール教えて貰うのっ!」
「ははは…いいよいいよ。二人とも教えてあげるからさ。それより、早く入ろう」と二人を促して更衣室に向かった。


「ね、大人の川瀬くんって、いい人ね」プールサイドで真弓がヤスオに言った。
「あったりまえじゃねえか。コウちゃんはコウちゃんなんだからよ」
「そりゃあ、そうだけどさ…良かったわよ…いい人で…」
「そうだな…」
「ほら、2人とも、もう少し泳いだら上がるよ」
「え?もう?もっと泳ごうよ」
「だって、もう2時過ぎだよ。あんまり長い時間泳ぐと疲れるぞ。3人とも結構身体冷えてきてるし…」
「何か大人みたいね…川瀬くん…」
「だって俺、大人だもん…」
「だよな。じゃさ、最後にもう1回鬼ごっこやろうぜ。コウちゃん速いから鬼な」
「なんか俺ずっと鬼だな…ま、いいや。じゃあ2人とも逃げる時は今日教えたクロールで逃げるんだぞ。短くてもいいから、キックとストロークに気を付けて…」
「分かった。早くやろうぜ…」

久し振りに子供に戻って思い切り泳いだ。水の中で感じる歓喜は子供の身体に染み込んでいるものだった。『私』は心地よい疲労を抱え、2人を連れて家に戻った。


「いらっしゃい。みんな疲れたろう?今おばさんがおいしいおやつ作ってあげるからね」しずさんが満面の笑顔で迎えてくれた。
「お母さんは?」
「さっき、お電話があったわよ。5時位になるって…なんだか磯ちゃんにいい人が見付かったみたいよお…その人のお母様に会ってくるって、お友だちと一緒に」
「へーえ…素早いね、お母さん」
「上手くいくといいけどねえ」

3人で子供部屋に移動した。
「磯ちゃんて、誰?」
「あ、うちの運転手さん。磯田さんっていうんだ」
「川瀬くんとこって凄いのね。お手伝いさんがいたり運転手さんがいたり…」
「コウちゃんのお父さん、出世したからな…」
「そう、仕事の役に立つように、未来の情報をいろいろ伝えたんだ…あ、話をする前にさ、3人で普通に遊んでる状態にしとかないと…しずさんもいるし、兄貴も帰ってくるかもしれないし…」
「ゲームかなんかやってることにしようぜ」
「3人だから……」私は部屋を見回した…「あ、あそこにモノポリがあるな」
「あ、あたしモノポリだーいすき!」
「ばーか、振りだけだぞ、振りだけ」
「分かってるわよ。やってるみたいに並べとくんでしょ?任せなさいよ」真弓はそう言ってゲームボードを広げると、その上に手際よくカードやコマを置いて、ゲーム用の紙幣を適当に分け、三人の前に置き、残りを裏返した箱の蓋に並べた。

「これでよしっと…どお?こんな感じでしょ?」
「なんでパークプレイスとボードウォークにお前の家が建ってんだよ。なんで俺の家はオリエンタル通りだけなんだよお」
「まあ、いいじゃない…どうせ振りだけなんだから」ヤスオをなだめたのは『私』だ。
「そうよ。小さい男ねえ…」
「なんだとう!こら…」
「まあまあ…真弓ちゃんもわざとヤスオ刺激しないでよ。ややこしくなるからさ…」そういいながらFMラジオのスイッチを入れた。

「ごめんなさい…」真弓は悪戯っぽい笑顔でペロリと舌を出した。
ラジオからはエルトンジョンの聴き慣れた歌声が流れた。

「よし、こんなところでいいだろう」全員、モノポリのボードを囲んで床に座った。
「今度は、他の時代に跳ばされた、とかはなかったの?」最初に質問を投げ掛けたのはヤスオだった。
「いや、まっすぐここに帰ってきた。一応弾き跳ばされてもこの時代とは同期してるみたいなんだ…」
「で、どうだった?一年経ってるんでしょ?何か記憶と変わっちゃったことって、ない?」真弓が聞いた。
「うーん…実は、僕も子供だったし、40年も前のことだから、そんなに細かくは覚えてないんだよねえ…ただ、こっちに来てからもいろんなことが起きるだろ?父親の仕事が上手くいって、偉くなって、運転手が付いて、入院があって、お手伝いさんがきて…学校の事や受験勉強の事や…ああ、そういえばこうだったなって、思い出すことは沢山あるんだけど、絶対にこうじゃなかったっていうことはないんだ。いろいろ教えたニュースも全部当たってるだろう?」
「そうだな…全部コウちゃんが言った通りになるもんな」
「でも…お父さんのお仕事が上手くいったのって、大人の川瀬くんがいろんなことお父さんに教えてあげたからでしょ?」
「確かにそうなんだけど…僕の子供の時の記憶でも父親は仕事バリバリやって、おんなじ時期に役員に昇進してるんだよね。もちろんその頃は父親がどんな仕事をしているのかなんて、全然知らなかった…と思うんだ…」
「じゃあさ、大人のコウちゃんがいなくても、お父さんは出世してたってこと?」
「そこが不思議なんだよ。俺…最初に父親と話した時にね、彼がやったいろんな大きな仕事の内容をね、伝えてあげたんだよ。その時は全然考えたこともないって感じだったんだよねえ…」

その時、襖の向こうからしずさんが声を掛けた。「ちょっと、誰かここ開けて頂戴。おやつ持ってきたよ」

慌てて襖を開けると、しずさんが大きな盆を持って入ってきた。
「あら、みんなでゲームしてたの?いいね」
「うん。モノポリ。しずさんも一緒にやる?」
「あははは…あたしは駄目だよ、そういうハイカラなゲームはよく分かんないしね。ほら、蒸(ふ)かしたての蒸し饅頭だよ。熱いからね気を付けて食べてね」そう言って、ゲームボードの横に盆を置いた。大きな蒸し饅頭にブドウとジュースが添えてあった。

「うわあ、美味しそう!これおばさんが作ったの?」真弓が目を輝かせた。
「そうよ、中に甘ーいお芋が入ってるからね、火傷しないでね。誰が勝ってるんだい?」
「あたし、かな…」
「ははは…やっぱり女が強いか。2人ともゆっくりしてってね。コウちゃんも勉強ばっかりしてるとロクな大人になんないんだから…たまには友達とたっぷり遊ばないとだからね。じゃ、あたしはちょっと夕ご飯の買い物してくるから」そう言い残すと、機嫌良さそうに部屋を出て行った。

「すごいわね、あのおばさん…」
「面白いだろ?言うことが一本筋が通ってるって言うか…ユニークなんだよなあ。料理も上手だし…すっかり忘れてたんだけど、凄い好きな人だったの思い出したんだ…」
「俺も勉強ばっかりしてるとロクな大人にならない、なんて言われてみてえよなあ…」
「あんたなんて勉強しなくったってロクな大人になんないわよ」
「へへえだ…それがロクな大人になんだよなあ、これが。な?」
「何よ、それ…」
「まあ、詳しくは言えないけど、結構成功するんだよ、ヤッちゃんは」
「ええっ?あ、そうか…みんながどんな大人になるか知ってるんだ…なによ、あんたたちそんなこと一度も言わなかったじゃない」
「だって、俺だってそんなに詳しくは聞いてないしよ…」
「子供同士じゃ、ちょっとその辺は説明し難かったんじゃないの?」
「じゃあ、大人の川瀬くんは、あたしの未来も知ってるの?」
「ある程度はね…でも、真弓ちゃん、本当に知りたいの?」
「うーん……いや、いい。だって…恐いもん。それに…分かっちゃったら…何だか、つまんないじゃない。でも…少しは知りたいけど……」
「お前、いい女になるみたいよ」堪え切れずにヤスオが切り出した。
「え?そうなの?」
「まあ、そうだね…どっちにしても2人ともいい人になるし、幸せになるから、心配しなくても大丈夫だよ」
「本当?それだけ聞けばもういいや、あたし…ねえねえ、ヤスオとあたし、どっちの方がお金持ちになる?」
「うーん…難しい質問だなあ…まあ、おんなじ位かなあ…はは…」『私』は大人の二人を思い浮かべて、可笑しさを堪え切れなかった。

「なに?…何が可笑しいの?…でもま、それならいいや、あたしこんなバカに負けんの嫌だもん」
「お前なあ…大人のコウちゃんの前だからって、調子乗んなよ…」
「まあまあ…それより、話を元に戻そうよ」
「そうね…でもさ、ヤスオが言ってたように、川瀬くんは子供の頃に大人の自分が来たこと…覚えてないんでしょう?」
「そう、全然覚えてない…全く記憶にないんだ…」
「俺とその話したことも覚えてないって…おかしいよな?」
「そうよ。去年大人の川瀬くんが消えちゃってから、あたしたち何十回も3人でこの話したでしょ?それも覚えてないんでしょ?もしよ、もし、明日また消えちゃって、今度は本当にずっと戻って来なかったとしたって、絶対にこの3人でまた話する筈よ。時間が経って、大人になったって、会えば絶対に話題に出る筈でしょ?それが無いなんて、ぜーったいにおかしいわよ」
「そうだよな…だからさ、もう違っちゃってんだよ。コウちゃんが子供の時にいた今とはさ」
「でも…その点以外は、何も変わらないんだ…まあ、今んとこだけど…」
「何かさ、違うことしてみれば?」
「うーん…結構違うことしようとしてるんだけどね…でも、いつも結果的には何だか辻褄が合っちゃうんだよねえ…」
「そうだよなあ…苦労してお父さんと話してさ…いろいろ頑張ってみたんだもんなあ…」
「そういうんじゃなくてさ、もっとはっきりと違うことをするのよ。何かない?確実にこの日にここに行ったとか…ここでこんなことしたとか…うる覚えじゃ駄目よ。絶対に確実にあったことじゃないと駄目なの」
「そう言われると…ずっと昔のことだからなあ…6年生の夏だろ…」
「何かないの?家族でどっか行ったとかさ、親戚の集まりとかさ…そうだ、夏休みの自由研究、何やった?」
「そんなの全然覚えてないよ。この夏休みは進学教室の夏季講習があって、あんまり楽しいことがなかったって事くらいしか確かな事は覚えてないなあ…あ、そうだ!1つだけある!」
「なに?」
「少し後だけど…ほら、9月に修学旅行があるだろ?」
「ああ、日光?」
「そう、あれは行った。っていうか…行った時のことをそれ程覚えている訳じゃないんだけど…僕たち卒業した時に卒業アルバムを貰うんだよ。5年生位からのことが写真でいろいろ載っててさ、日光の東照宮前で撮った集合写真…1番前の列の左端にヤスオと並んで一緒に写ってた写真が大きく載っててさ…あのアルバムは大人になってからも時々見てたから良く覚えてるんだ」
「…川瀬くんさ…修学旅行、行くのやめてみたら?」
「え?だってそんなの可愛そうじゃん。せっかく楽しみにしてんのに、なあ。申し込みだってとっくに終わってるだろ」
「修学旅行くらい何よ、お父さん死んじゃうよりいいじゃない」
「そうか…やってみる価値はあるな…」
「そんなこと、出来んの…?」
「出発の日の朝に仮病使うしかないだろう。なるべくギリギリの方がいいだろうな」
「そんな、上手く出来る?」
「俺、一応大人だから…子供よりは嘘つくのは上手いと思うよ」
「もし、上手くいかなかったら…?」
「その次はいよいよ受験かな…答案用紙白紙で出しゃ、不合格だからな。俺が不合格だったら、相当未来は変わるってことだからね」
「そりゃないだろう?コウちゃん、あんなに勉強してきたのに…」
「ま、まずは修学旅行だな…」

第18話につづく…

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