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昭和であった1 〜電畜ラジオの時代〜

私の記憶を遡ってゆくと、概ね2、3歳の頃から断片的に始まっている。
ようやく昭和が30年代に入るか入らない頃からの思い出だ。
幼児期… まだ世界が自宅と自宅付近だけだった頃だ。
その中心にあったのが『電畜』である。

電畜とは電気蓄音機のこと。レコードプレーヤーである。
ターンテーブルが電動式になり、アンプとスピーカーが内蔵される。
多くの電畜はラジオ機能が付加されていた。
我が家の電畜からもレコードが掛かっていない時には、ずっとラジオ番組が流れていた。

大阪の社宅時代… レコードキャビネットの上に電畜が乗っている。
我が家にあった電畜と同じタイプのもの。ラジオが搭載され、レコードは30cmLPまで掛けられる。

さて、音楽とレコードの話は後に回すとして、まずは私のラジオ時代について話そう。

昭和30年代というとテレビ受像機の普及期と言われているが、テレビが一般家庭に普及し始めたのは昭和34年の皇太子御成婚をきっかけとしてのこと。
それでも普及率はようやく全世帯の20%程度だった。

この時代テレビ受像機はまだまだ高価で、視聴は街頭テレビが主流だった。

我が家のテレビ導入はそれよりも早かったが、それでも幼稚園の頃までは私の日常を彩ったのはラジオだった。

当時世の中のマスメディアの主流はラジオ放送だったので、ラジオ番組も今とは異なりニュース、歌番組はもとより、ラジオドラマやクイズ、紀行ものや演芸番組、バラエティー番組など豊富で、出演陣もメジャーばかりの豪華なラインナップだった。
その中で特に私が好きだったのは『物語』、ラジオドラマである。
何曜日の何時からはこの連載ドラマの続きが聴ける…
幼いながら1週間のスケジュールが頭の中にしっかりと組み込まれていた。

昭和32年のラジオ番組表の一部です。

思い出してみよう…
何と言っても筆頭に挙げられるのは『笛吹童子』https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009060098_00000

このドラマは日本中の子供たちを魅了し、大ヒット番組となって何年も続き、その後映画化もされた。

笛吹童子ブームを集めた出版物。映画化も多くあった。

もちろん当初はラジオドラマなので音声だけである。
こういったドラマを聴く時、私の記憶では、ラジオの前に座り、じっと電畜のスピーカー口のある布面を見詰める…すると、ストーリーが進むに連れそこに次々と実際の映像が見えてきたのである。
3、4歳の子供が頭の中で作像する映像なのでいい加減なものだが、確かにそこには画が映し出されていた様な気がするのだが、他の子供たちはどうだったのだろう…

今、当時聴いていた番組を思い出してみても、次々と記憶が開いていく…
『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』

この番組、大人たちは「チャカウカ」と呼んでいた。
ホンワカしたホームコメディーだったと記憶している。

これは主婦向きのコメディーで朝9時くらいの放送だったので、これを聴く日は幼稚園の登園を遅らせて貰っていた。
『お笑い三人組』
三遊亭小金馬・江戸屋猫八・一龍斎貞鳳3人の庶民的な横丁コメディー。
少年時代のうちにテレビ番組化されたが、当初は画像のないラジオ番組だった。

後にテレビ番組化されたお笑い三人組。

『サザエさん』
朝の定番番組だったように覚えている。

サザエさんの番宣。

『少年探偵団』
江戸川乱歩名作の連続ドラマ化で、これは近所のお兄さんの勧めで聴き始め、毎週ワクワクと夢中になった。

昭和に出版された『少年探偵団』のシリーズ本…
ブームはラジオ番組が引き金だった。

『イガグリくん』
手塚治虫が唯一のライバルと評した早逝の天才漫画家・福井英一の代表作である柔道漫画のドラマ版。

福井英一のイガグリくん単行本。

『トニーの童話』
俗悪キャラクター、その後赤塚不二夫漫画に登場する『シェ〜』のイヤミのモデルともなった芸人・トニー谷が何故か世のイメージにそぐわずにホストをつとめていた童話番組。
確かにトニー谷は子供に人気があったが、それは俗悪さが度を越していたからで、世の親たちは苦々しく思っていた筈なのだが…今考えても不思議なキャスティングだった。

当時のトニー谷。
本にもなっていた。

そしてこれらに加え…
『こども劇場』『連載童話劇場』という童話劇番組があって、アンデルセンやグリム、宮沢賢治など世の殆どの名作童話はラジオで聴いていた。
どちらかがNHKでどちらかが民放だったと思うが、どちらも週一回の番組で楽しみにしていた。

幼児の頃のこういった日々のラジオドラマ体験は私に『作像力』、さらに言葉によって映像を描くという大切な術を与えてくれた様な気がする。
これが後々映像の仕事を選ぶ起因となったのかも知れない、と、思うのだが…どうだろうか…
それほど幼年期の日常を飾った数々のラジオドラマは、私にとっては濃厚で大切な思い出なのである。

さらに、ドラマ以外の番組でお気に入りだったのが…
『ちえのわくらぶ』

こんな感じの公開収録番組だった。

これは子供向けクイズを中心とした公開収録放送の子供向けバラエティー番組で、毎週大好きな童謡歌手『小鳩くるみ』が出演するので楽しみにしていた。
ところがある日、この番組の公開収録が品川にやってきて、私は地元の幼稚園の代表として回答者出演することとなった。
初めてのラジオ出演、憧れの小鳩くるみを目の前にして物凄く興奮した。

童謡界の大スター、小鳩くるみ。

あまりにも興奮していたので、気持ちが抑えきれず、司会者がクイズ問題を出す度に、まだ指示もされていないのに勝手に大声で回答を叫び続け、慌てたスタッフさんに諌められた。
付き添いで舞台を観ていた母は「全く…お調子に乗って…物凄く恥ずかしかったわ…」と、すっかり機嫌を損ねてしまったのを良く憶えている。

こうして昭和30年代の前半まで、私は朝から晩までドップリとラジオの世界に浸っていた。
もちろん私だけでなく世の子供たち、いや子供も大人もすべての人々が日常の最も気楽な娯楽としてラジオ番組に親しんでいた…そんなラジオ番組が一斉を風靡していた時代が確かにあったのだ。

やがてテレビが登場すると、メディアの中心は瞬く間にテレビに代わっていくことになる…
我が家にもいち早くテレビ受像機が導入され、当然のことながら、あっという間に私の興味もテレビに移っていくことになる。
その話はまた後日にしよう…

昭和であった 2 〜身近だった映画館〜 へ…






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