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父の残像 4

ギブソンL4…


母は9時前に出掛けた。

今から数時間、この家には私だけだ。早速部屋の押入れに隠したビニール袋を出して洗面所に持っていき、下の棚からバケツを出して水を張った。
洗剤がどこにあるのか…子供の私の意識を探ったが、知らないようだった。洗濯機が置いてある風呂場の横の脱衣所の棚の上に洗濯洗剤を見つけたが、食卓の椅子をそこまで運ばなければ取ることは出来なかった。
洗剤を使ってパジャマのズボンと下着を洗い、子供の腕力では絞りきれない水分を洗濯機に付いているローラー式の絞り器で何とか絞ると、ハンガーに掛け、まずは日差しの強い庭の物干し竿に吊るした。それから納戸へ行き、古くて重い掃除機を引っ張り出す。

家の細部を探るには、掃除はまさに最適な作業だった。
子供部屋から始めて、廊下、板の間、仏間、床の間、取次部屋、そして洋間…力不足の不自由な身体で重い掃除機を扱いながら各部屋のコンセントの位置、箪笥や引き出し、戸棚、押入れなどに何がどのように仕舞われているのかを確認する…
背の届かない箇所にはその都度椅子を運びながらの作業となったのでたっぷり1時間以上も費やしてしまった。

ひと息つこうと思ったが、台所奥の扉の向こうに入院中の祖母の部屋がある事を思い出した。

ベッドにライティングデスク、小さな棚、一間幅の押入れ、出窓、板の間の小さな台所とトイレ、そして小さな玄関が付いた独立した快適な部屋だ。
ここで煙草をふかし、ラジオに耳を傾けながらトランプ占いをする祖母の姿を思い出した。
押入れを開けると、中は無秩序にいろいろなものが押し込まれていたが、端に古い詩集が何冊か重ねられているのが見えた。
『へえ…おばあちゃんって、詩なんか好きだったんだ…』その中の一冊、ロルカの詩集の色あせた頁をぱらぱらと捲っていると、本の間に薄いハトロン紙の封筒が挟んであった。

子供の私にとって祖母は無口で気難しい怖い存在だった。それが認知症が進むにつれ、ますます意思表示が希薄になってしまい、遂に私とは殆どまともな会話を交わしたことがないまま入院してしまったのだ。

封筒の中には古い千円札が3枚入っていた…
この押入れは確か祖母が帰宅を果たせぬまま病院で亡くなった後、家族みんなで片付け、大量の遺品を処分した記憶がある。
子供の立場としての50才の私が今後どう立ち回らなければならないかはまだ分からないが、自由になる所持金がないのはやはり不安だ。自分の勉強机の引き出しの中を確認した時に、現在の全財産は僅かに125円だということが分かっていた。月が明ければ毎月のお小遣い5百円が貰えるのだが、いくら物価の安い40年前でも、これでは心許ない。私は多分この先誰のものにもならないであろうこの3千円入りの封筒を頂戴することにした。子供の私は発覚の恐怖に脅えていたが、絶対に発覚しない理由をしっかり心に叩き込んでやると、少し安心したようだった。


次はここ最近の新聞に目を通す…さっき掃除をした時に、台所横の勝手口脇に新聞が積んであるのを見付けたのだ。
何故、私のタイムスリップがこの時代なのか…私が何かをする為にこの時代にジャンプしたのなら…もしかしたらこの時代にこそ、そのヒントがあるかも知れない。
取りあえず、ここ1週間の朝刊を選んでざっと見出しを追ってみた。
アポロ11号、ベトナム戦争の泥沼化、新宿西口フォークゲリラ、加熱する学生運動、東京都公害防止条例公布、水俣病、昭和元禄、自民党黄金時代…
なるほど…マスコミに近いところで仕事を長くやっていたおかげで昭和の時代の流れは概ね理解している。

そうだ…この時代は第二次佐藤内閣が国際情勢のターニングポイントを掴んで、見事に波に乗り始めた時代だ。
60年代後半に高度経済成長をまい進し始めた日本は、同時に東西冷戦という背景の中で西側先進各国の利益を守る重要な役割を担い始める。日米安保条約の継続と強化によって、いわゆる『核の傘下』に入り、同時に自衛隊の軍備が急激に強化されることとなる。
貿易黒字も国内需要も爆発的に拡大し、インフラ整備とモータリゼーションが一気に進んだ時期だった。間もなく日本は西側先進国でナンバー2のGNPを叩き出すことになる。その象徴となる大阪万国博覧会の開催も来年のことである。
勿論国民の世論は体制側へと傾き、いわゆる70年安保闘争は学生だけの思想闘争として次第に収束…一部の過激派だけがその活路を求めてパレスチナをはじめ海外へ進出していくこととなる。
大手資本と自民党が完全に主導権を掌握した時代だった…

初めは『ふーん…』とか『へーえ…』とか思考の隙間を埋めていた子供の方の私はそのうちすっかり退屈してしまったらしく、うつらうつらと意識の狭間に時折顔を覗かせるだけになってしまっていた。


強い夏の日差しが窓の外を照らしていたが、風通しの良い古い平屋住宅の室内温度計は30度手前といったところで、まだ猛暑というほど暑くはなかった。庭に出てパジャマと下着をチェックするともう殆ど乾いていたので、子供部屋の窓辺に引き揚げた。


『お腹空いた…』そう感じ始めたのは、子供の方の私だった。
時計を見ると間もなく正午になろうとしていた。新聞を片づけ、母が置いていった2百円をポケットに入れて、食器棚の脇に掛けてある鍵を取って家を出た。

今ではすっかりビルやマンションに囲まれてしまった我が家だが、この時代この辺りは同じ庭付きの一戸建てばかりが連なる、目黒はまだまだ緑の多い長閑な郊外の住宅地だ。

門を出る際に懐かしい石組みの門柱に埋め込まれた表札を見上げた。
『川瀬健造』…父の名前だ…そういえばこの表札は父の死後も家を建て替えるまで残っていた。母が女性名では不用心だからと外さずにおいたのだ。以来長い間、門柱に名前を残したまま父の姿はこの家から消えていた。しかし今は、この家の主が実際に父であることをこの表札は示している…

青々とした隣の垣根を眺めながら20メートルも進むと幹線道路に突き当たる。通り沿いの商店や工務店はせいぜい二階建て程度のモルタルばかりなので、大通りを歩いていてもやけに空が広く感じる。歩道を商店街に向かって歩きながら考えた…
父はまさに時代を象徴する企業戦士だったと同時に、社内では次々と新しい企画を立ち上げるアイデアマンだったと、当時父の部下だった人が七回忌の法要の時に詳しく語ってくれたことがあった。

父は大手のタイヤメーカー、つまりゴム製造会社に勤めていた。戦後のモータリゼーションの時流に乗って、会社は瞬く間に巨大化していったが、やがて競合企業との市場の奪い合いに苦戦を強いられるようになっていった。父の活躍はそこから始まった。ゴムや樹脂の製造加工技術を活かして、工業製品化を狙ったのだ。最初の成功は高速道路の躯体に敷かれるアスファルトの繋ぎ材だった。さらに、電力端子のプラスティックゴム部材、形状記憶樹脂、高圧ホースのアッセンブル等々…次々と新製品の開発を提案し、その全てがその後の会社の業績を支えていったのだそうだ。最後に彼がこういったのを思い出した…
「君のお父様は凄い人だった…まるで時代の先が見えているような人だったんだよ」
もしかしたら…私の役割はそれかも知れない…


「ケイジョウキオクジュシ〜…」子供の私は鼻歌のように心の中の聞き慣れない言葉を繰り返していた。商店街入り口のすぐ脇にある小さなベーカリーに辿り着く。
サラダサンドとコロッケパンを選んだ。子供の私はチョココロネとコーヒー牛乳を欲しがったが、コーヒー牛乳だけは我慢させた。支払は僅かに百円足らずだ。

家に戻る途中、子供時代一番の仲良しだったヤスオに出会った。
「よっ!」
「あっ!ヤッちゃん…」
懐かしくて涙が出そうだった。
ヤスオは幼稚園から小学校まで私の子供時代の思い出を飾り続けた一の親友だ。今でも地元に残り交友は続けているが、そのヤスオが子供の時のままの姿であの人懐こい笑顔を浮かべ目の前に現われたのだ。
『私』は、あまりの懐かしさに取り乱してしまいそうで、とっさに一歩下って主導権を子供の私に譲った…

「コウちゃん呼びに行ったんだよ。留守だったけど…」
「そこのパン屋に行ってたの。なんの用?」
「へへ…買って貰っちゃったんだよ、魚雷戦ゲーム」
「ほんと?」
「昨日さおばあちゃんと駅ビル行ってさ、買って貰っちゃった。ねえ、一緒にやんない?俺ん家来ない?」
「やりたいけど…今日は駄目だな。留守番だしさ」
子供の頃夢中になった魚雷戦ゲーム…私も久しぶりにやってみたいのは山々だ。
「じゃ俺、コウちゃん家にゲーム持ってってもいいよ」
ヤッちゃんは一人っ子なので、対戦相手がいないのだ。子供の私は大分悩んでいたが、折角の自由な時間を譲り渡したくはなかったので、何とか我慢して貰った。

「ごめんね、いろいろやんなきゃなんないこともあってさ…」
「なに?」
「ま、いろいろなんだけどさ…」
「言えないこと?何かあったの?」
「ちょっとね…」
「そうか…何か分かんないけど、大変そうだな。でも魚雷戦ゲームの最初の相手はコウちゃんだからな。俺決めてるから」
「ありがと…ごめんね…今度ね。遊びに行く…」
「おう、またな。あんまり後だと俺、練習して上手くなっちゃうからな」
「分かった。今度ね。バイバイ」
「またな」


買ってきたパンを食卓で1人で食べる。子供の私は不安で落ち着かない様子だ…
1人で食事をするということが、10才の子供にとって大きなストレスとなることを私は初めて感じた。
パンは予想以上に美味しかったが、身体がまだ小さいからだろうか、2つパンを食べるともう満腹になってしまった。チョココロネはおやつに残しておくことにしたが、子供の私は甘いものを欲しがっていた。冷蔵庫から氷を出してコップにカルピスを作る…信じられないほど濃かったが、満足感が身体を満たすのを感じた。

子供部屋に戻り、すっかり乾いたパジャマとパンツを引き出しにしまう。

安心すると、食後の一服がしたくなった…もちろん煙草は持っていない。両親の寝室に行って、父の洋服ダンスを探ってみたが煙草の買い置きは見付けられなかった。
もしかすると…と、洋間に入ってみた。ピアノの椅子の上に乗ってみると…『あった!』
灰皿の横に父のショートホープの箱とライターが置いてある。箱を開けてみると、中にはまだ6本残っている。1本を抜き取りライターを持って、縁側から庭に下りた。
朝起きてから、今日は1本も吸っていなかったし、この先煙草を吸えるチャンスがいつ来るかも分からないのだ。煙草をくわえ、ライターの火に近づけゆっくりと吸い込む…

「う…げほっ!げほっ!」
焼けつくような喉の痛みと気管の奥から込み上げる苦しさで途端にむせ返る…無垢な子供の身体は、吸い込まれた大量の煙に強烈な拒否反応を示した。暫くは満足に息も出来ず、その場で身体をくの字に曲げて鎮咳を待つしかなかった。
迂闊だった…私の身体は10才の子供なのだ…慌てて地面で煙草の火をもみ消すと、吸い殻を縁の下に放り投げ、何とか必死で呼吸を整えた。

『当分の間は、禁酒・禁煙だな…こりゃ…』
諦めて洋間に戻り、ライターを元の場所に戻す。ふと目を移すと、ピアノの脇に父が愛用していたギターが立て掛けてある。戦後、進駐軍の米兵から安く譲ってもらったと言っていたギブソンL4という大振りのピックギター…私が弾いた最初の懐かしいギターだ。

父の目を盗んで時々触っているうちに、いつの間にか弾けるようになった。

ピックギターは戦前のジャズシーンではよく使われていたアコスティックギターで、主にコードを弾くリズム楽器である。生音なので、大きな音が出るようにボディーも大きく太い弦が硬く張られている。つまり、初心者には恐ろしく弾き難いギターなのである。
中学に進学してから、ロックやフォークを志すクラスメートが放課後の練習のために学校に持ち込んでいたギターを弾かせて貰った時には、こんなに弾きやすいギターがあるのかとビックリしたものだった。
そのうち、「川瀬はギターが上手い」という評判が立って、学校内のバンドやセッションに呼ばれるようになった。もちろん父の死後、このギターは私が引き継いだが、時流からいってピックギターの出番はなく、大切な父の遺品として私の部屋に長く飾られていた。
以後、私はこれが出発点となり、学生時代を通じてジャズバンドに参加し続け、大学卒業後もそのままプロのギタリストの道を歩み始めた。しかし、20代半ばにひょんなきっかけで関わった映像の仕事に魅了され、いつの間にか人生はシフトしてしまった。
以来20数年…今の私の肩書きは映像の演出家だ。
ジャズギターはあくまでも趣味だと割り切っている。

映像の仕事を始めて暫く経ったある日、部屋のギター棚から『バチッ』という乾いた嫌な亀裂音が響いた。並んだギターを一台ずつ調べてみると、父のピックギターのボディに大きな亀裂が入っていた。傷の大きさからして致命傷だった。修理出来たとしても、元の音色を取り戻すことは不可能に思えた。知合いのビンテージギターのコレクターに見せると、私と同じ意見だったが、希少なモデルだということもあり、破格の値段で引き取りたいと言われた。
修理を施して保存して貰えるならと、引き取って貰うことにした。このギターは、父と同じく、深く心を通わせることもなく私の前から姿を消してしまったのだ…

そのギターを久しぶりに手に取ってみた…私が小さいせいもあって、楽器は思った以上に大きく重く感じる。
ソファーに腰掛け抱えてみる…ピックポジションやネックのフィンガーポジションが遠く感じられたが、意外とそれ程苦労せずに音を出すことはできた。チューニングはさほど狂っていないし、汚れも少ない。父が頻繁に愛用している証拠だ。

若い頃から身体に染み付いたツーファイブのフレーズやコードワークを弾いてみる…
しかし、手の小ささや握力の弱さは如何ともし難く、最初はミスタッチの連続だった。

何度か弾き込んでいく内に、だんだんコツが掴めてくる。指の届かない装飾音や音数を減らして、シンプルな運指に組み直してゆく…明らかに普段ギターを弾き慣れていない指先は痛み、手首にも二の腕にも疲労痛が走るものの、弾き込めば弾き込むほど音色はクリアになり、指の動きもスムースになってゆく…何よりもまだ幼く小さな手先が私の脳の指令によって見る見る大人の動きをマスターしてゆく過程が面白くて仕方なかった。
久々に耳にするピックギターの豊潤な音色も心地良かった。
…スリー・ディミニッシュ…ツー・マイナーセブン…ファイブ・セブンスプラスナイン…ツー・ディミニッシュ…ワン・メジャーセブン…フレーズ…テンション…フォー・メジャーセブン…フレーズ…フレーズ……指の痛みが限界に達していたので、そろそろ止めてあげないと可愛そうだな…と考えていたその矢先だった。

背後にふと人の気配を感じて振り返ると…会社から帰宅したばかりの父が唖然とした表情で洋室の扉の傍に立っていた。
「あ…お父さん…」
「コウちゃん…お前…いつギター弾けるようになったんだ?…」

玄関の鍵を掛け忘れていた…

第5話につづく…

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