大矢のカンガルー 6
第6章 夜の制作室
その夜、新企画の制作会議が予定通り行われた。
大きな会議テーブルを二つ縦に連ねた上に11人分の弁当とお茶が用意されていた。正治と前山と大矢は3人席を並べた。幹部は野口を筆頭に末次と岩本が出席し、末席にはアシスタント候補として梶井とシゲ、さらに玉江と番組デスク役として鈴子がいた。
案の定、岩本は自分の班からチーフ格のスタッフ薮畑良次を同行させ、自分の隣の席に座らせていた。岩本一派は徹底した現場主義で、体育会体質の徒弟制度を敷いていたので、末次が新設した企画部に対しては「現場のいろはも分からねえひよっ子どもに、番組の何が分かる」と、露骨に批判的だった。
従って、正治は岩本配下のスタッフとは誰とも挨拶以外ちゃんと話をしたことは殆ど無かった。薮畑は歳こそ正治とさほど変わらなかったが、前山と並ぶ巨漢で、押し出しも強く大きな怒鳴り声で配下のアシスタントをまとめ上げる迫力満点のチーフだった。岩本をはじめ目上のスタッフには従順で献身的、若手の中では岩本の一の子分と言える。
会議は野口を中心に進められた。
企画書にはクイズのネタからゲスト案、スタジオセットの規模や仕掛けに至るまで必要な構成内容はほぼ描き出されていたので、会議はいたってスムースに進行していった。ただし、議事が制作スタッフの管理と人員配置に及ぶと、岩本から猛烈な攻勢がかけられた。
「ここまで収録が大掛かりだと、大矢と川村でフロア仕切るのはちょっと無理なんじゃねえか?」
「まあ、今回の企画は川村と大矢の手柄だった訳だから、何とか二人にやらせてみるのもいいんじゃないすかねえ?梶井もシゲも手伝うことだし…」前山が応戦する。
「いやあ…俺はやっぱ、心許ねえなあ…薮畑クラスの奴がいねえと、俺もサブで安心してキュー振れねえからよ」
「大丈夫ですよ。大矢は小さい番組ならフロア何度もやってるし、ま、ちょっと頼りないとこもあるけど、その辺は岩本さんがガッチリ指導してくれれば…なあ、大矢」
「はいっ、頑張りますっ!」
「しかしよ…セカンドが川村ってのもなあ…まだトーシローだろう?やっぱ、うちから助っ人入れた方が、俺は安心だな。なんたって特番だからよ」
「でも、川村君外すって訳にゃいかないわよ。この子の企画なんだから。ねえ野口ちゃん」
「だな…。岩本は薮畑の方がやり易いだろうけど、川村も一応社員だからな。このくらいの現場は出来るようにならねえと…川村もやりてえだろうし…だろ?インテリ」
「はいっ!頑張りますっ!」
「スタッフはこんな感じでいいんじゃねえか?どうだ?」野口が岩本に向かってこれ以上横槍を入れないように釘を刺した。
岩本は不愉快そうに表情を歪めて了承した。正治はことの成行が上手く運びそうなので、思わず口元がほころんでしまった。その表情を見逃さなかった薮畑が、物凄い形相で正治を睨みつけた。
「こら、ヤブ…お前え、新人にガンたれてんじゃねえぞ…」前山が低くつぶやくと、薮畑は素直に視線を下に落とした。
会議はおよそ2時間を掛けて順調に進行し、終了した。
決定台本を書き上げる役割についても、岩本は配下の作家を推薦してきたが、正治が書き上げた企画書の構成案をほぼそのまま採用することになり、仕上げは作家のキャリアを持つ前山が買って出てくれた。
正式なスタッフリストには、『フロア』の欄に大矢と連名で、『構成』の欄には前山と連名で、2箇所に正治の名前が書き込まれた。正式なスタッフリストに名前が書き込まれるということは、番組の放送時に画面に名前がスーパーで表示されるといういうことだ。新人制作マンにとってはこの上もない名誉なことである。もちろん、正治にとっては初めてのことで、その喜びは隠しきれなかった。
会議が終わって、主だったメンバーが去り、アシスタントたちが会議テーブルを片付けていると、薮畑が正治に近付いてきた。
「おい、川村」
「はいっ」
「お前え、御大(おんたい)や前山さんからちょっとぐらい目え掛けられてるからって、あんまりいい気になるんじゃねえぞ…」
「あ、はい…すみません…」
「俺は認めてねえからな…現場仕切れねえうちは制作マンとは言えねえぞ」
「はいっ。頑張りますっ!」
薮畑はそう言い捨てると、会議室から出ていった。
「威張っちゃって、やな感じっ!」シゲが毒づいた。
「しっ!声が大きいよっ!」梶井が指を口に当ててささやいた。
「気にすんなよ、なっ。今度の企画は川村君の手柄だって、みんな分かってんだからさ。ここ片付けたら二人で岩本さんのとこに挨拶に行こうぜ」と、大矢が正治の肩をぽんと叩いた。
「あのお…」
正治と大矢が顔を揃えてデスクの脇に立つと、岩本は怪訝そうな目つきで二人を見上げた。
「なんだお前えら…なんか用か?」
薮畑を中心に付近に集まっていた岩本の取り巻きスタッフが、話を中断して一斉に振り向いた。
「いや…あの…特番の方宜しくお願いします…」
「宜しくお願いします…」
「おう。宜しく頼まあ」
「…で…あのお…これからの作業どうしましょうか?」
「タレント事務所の方は俺が交渉してやっから、お前えらは現場の段取り全部つけとけ。それとよ、お母ちゃんと仲野にはっぱかけてスケジュール早く出してもらえよ」
「あ、はい…」
「新米は前山と相談して早えとこ決定台本仕上げちまえ。出来たらすぐに見せろよ」
「はいっ」
「あとよ、仮払い出しといてくれ。20万位でいいや」
「あの…でも…仮払いは鈴子さん通しじゃないと…」
「お前の名前で出しときゃいいんだよっ!気が利かねえな…」薮畑がいらいらした表情で口を挟んだ。
「でも…理由が…」
「いいよっ、もう。後で俺が鈴子に頼むからよ」
「あ、はい…どうも、すみません…」
「しかしよ、あれだな、ボケと新米がコンビ組んで、俺の下でフロア仕切ろうってんだから、まったくいい度胸してるよなっ!」取り巻き連中が薄笑いを浮かべていた。
「ま、たっぷりしごいてやるからよ、覚悟しとけ…な」
「はい…宜しくお願いします!」
その時、遠くのデスクからアシスタントが岩本に声を掛けた。
「岩本さーんっ!3番、お宅からお電話ですう!」
「おう」岩本は目の前の受話器を取ってボタンを押した。
「はいはい……あー、ユーたんでしゅか?…んー?どうしたのかなあ?…んーんー、そうなのお、お利口さんだったねえ。…んーんー…パパはねえ、まだもう少しお仕事があるのねえ、先にお利口におやすみしてて頂戴ねえ…できるかなあ?……んー?…はいはい…分かったから、いい子だからね…ちょっと待っててね」
岩本は細めた目を再びギョロリと見開き、受話器をしっかり手で塞いで正治達を睨み上げた。
「おう、お前えら、もうあっちいっていいよ。さっさと仕事に戻れっ!」
「あ、はいっ!失礼しますっ!」
『ひゃあ…あんな奴の下で仕事しなきゃなんないのかあ…』
自分のデスクに戻る途中、正治は胸の中に嫌なものがこみ上げてくるのを押さえきれなかった。
「いくつなんだろうねえ?」何事も無かったかのように大矢が話しかけた。
「え?何がすか?」
「岩本さんのお嬢ちゃんだよ…」
「あ……まだ小さいみたいですね…」
「可愛いんだろうなあ…めちゃめちゃ可愛いんだろうなあ…」
「…はあ…可愛いんでしょうね…きっと…」
「そりゃそうだよなあ…自分の娘だもんなあ…」そう言って大矢は幸福そうな笑顔を浮かべた。
デスクに戻ると梶井だけが正治と大矢を待っていた。
「あれっ?シゲや玉江さんは?」
「もう帰りましたよ。シゲは打合せがあるからって、直帰だって…」
「逃げたな…仕事増やされたくないんだ、あいつ…」
「玉江さんは?」
「竹中くんと一緒に仲良く帰ったよ」
「仕様がねえなあ…」
「それよりさ、川村、ほら、これ」梶井が紙を一枚つまんでヒラヒラさせた。
「なんすか?それ」
「竹中くんが置いてった。ほら技打ちしたからさ、技術のスタッフ表」
「じゃ、それ香盤に書き込んどかなきゃじゃないですか」
「だからよ、お前が終わるまで待ってたんだよ」
「待ってなくていいですよ。どんどんやっちゃって下さいよ」
「なんだよお、冷てえなあ…また俺間違えちゃうと迷惑掛けちゃうからよ。カメラの位置だけ教えといて貰おうと思ってよ」
「三木さんは?連絡ありました?」
「おう、竹中くんがいろいろ話してた」
「じゃ、オーケーですね」
「そう思うよ」
正治はまず日曜日の撮影の手伝いの為に梶井と香盤表を手早く仕上げた後、神経質で臆病な梶井を何とか手短に安心させて退社させると、大矢と二人で特番の本番までの仕込み作業を一つ一つ洗い出し、シートに書き出して分担を決めていった。
『本番収録スタジオ、本番収録日、放送日の決定…出演交渉・出演者決定…決定台本作成…制作費予算決定…技術プロ決定…制作スケジュール表…監修生物学者・教育学者等アプローチ…回答者(都内・都下小学校生物クラブ等)アプローチ…本番用動物プロダクションアプローチ…本番出題用素材フィルム取材…素材フィルム編集室、素材テレシネ手配…素材完パケ、スタジオ作業…本番美術スタジオセット打合せ、発注…本番技術打合せ…選曲他BGM等手配…本番各出演者事前打合せ…本番出演者控室、衣装、ヘアメイク等手配…フリップ等本番用小道具担当…本番前日仕込み立会い…本番用香盤表作成…本番出演者・スタッフ用弁当・茶・コーヒー、車輌等手配…回答者謝礼金・謝礼品手配…本編集スタジオ・MAスタジオ手配…』本番までの僅か2週間程の間に、こなさなければならない大まかな仕込み作業だけでもこれだけある。
もちろん、個々の細かい煩雑な作業を並べればきりがない訳で、その間にも正治には、他の番組の手伝いや他の幾つかの企画作業、様々な企画会議への出席が容赦なく言い渡される。『のんびり』『じっくり』といった感性とは程遠い騒々しい環境で、考える暇はもちろんのこと、食べる暇も寝る暇も惜しんで、ひたすら疾走し続けなければならない。その目眩くスピードの中で僅かな隙間を狙い、瞬発的にアイデアを閃かせる感覚…正治はたまらなくそれが気に入っていた。
大矢が帰り、一人とり残された正治は、広い制作室の一角だけに灯った蛍光灯の下で、明日からの作業のために、台本の直し作業に取り掛かった。時計はとっくに零時を回っていた。
顔見知りの警備員がそっと入口のドアを開けた。
「お疲れさまです…テレコープさんはあと何名残ってます?」
「今日は僕一人ですけど…」
「いつも遅くて大変だねえ…」
「いや…そうでもないです…」
「そうだ、下の警備室にさ、美味しい最中(もなか)があるからさ、一息入れたくなったら降りといでよ。お茶でも入れてやるよ」
「いいんですか?」
「いいよいいよ。おたく、毎晩大変そうだもんねえ…」
「じゃ、あとで寄らせて貰います」
「おう、いつでもいいよ。俺は朝までいるからさ」
「有り難うございます」
「じゃ、あとでね。頑張ってね」
「はい…」
正治は、窓の外で少しずつ数を減らしながらもまだまだ眩い新宿の夜景を暫く眺めると、少しほっとした気分で、再び原稿にペンを走らせ始めた…
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