昭和であった2 〜身近だった映画館〜
昭和30年代…
ラジオの時代は同時に映画の時代でもあった。
もちろん今と同じように映画館は非日常の空間ではあったものの、今よりもずっと身近で気楽な場所だった。
テレビの時代が到来するまでは動画に触れる場は映画館か、もしくは学校や体育館、町内の広場や神社などで催される映写会など、今思うとその機会は意外と多かったのである。
もちろん大きな繁華街にある大きく立派な封切館では、話題の新作邦画やハリウッド大作、ディズニーの新作アニメーションなどをロードショーで公開していたが、それ以外に地域の町ごとに二番館や三番館が1、2軒は必ずあった。
二番館とはロードショーが終わったばかりの映画を上映してくれる映画館、三番館はその次で、もちろん料金も安く鑑賞できる。
洋画邦画を2本立て3本立てで上映し、さらに繁華街にはニュース映画や短編映画を専門に上映している気楽で小さな映画館もあり、ちょっとした時間潰しに利用されていた。
実際に私が少年時代を送った北品川にも、旧街道と商店街に2軒の二番館があり、祖母や叔父叔母が住む目黒にも歩いてほんの3分くらいの目黒通り沿いに二番館があった。
こういった身近で小さな映画館では、洋画と邦画を取り混ぜて隔週掛け替えたり、夏休みや年末年始には子供向けの映画を集めて上映してくれたりしていた。
人々は時間があれば今よりもずっと気楽に映画を観に行っていた様に思う。
私の両親は世代的に2人ともとても映画好き。
特に父親は戦前の若い頃から映画が大好きで、世の映像技術にも何故か詳しく、特にディズニー作品は『子供は絶対に観るべき』と、いつも父の大推薦で私は義務のように観に行かされた。
また、当時私をとても可愛がってくれた目黒の叔父は、よく美味しいものを食べに私を銀座に連れ出してくれた。
その折には、「少し映画でも観ようか…」と、必ず数寄屋橋にあった小さなニュース映画専門館に立ち寄った。
そこではニュース映画を3、4本掛けると必ず1本ディズニーやワーナーアニメーションの短編アニメが掛けられる。
しかも、売り子さんからモナカアイスを買ってくれるのだ!
毎回全てがとても楽しみだった…
さてさて、こうした私の幼年時代から少年時代へと作品の記憶を探ってみよう…
まずは大阪時代、世は嵐寛寿郎主演の映画『鞍馬天狗』が大ヒットしていた。
周囲の上の世代のお兄ちゃんたちは夢中になっていたが、正直私はあまり興味はなかった。
私の幼年期に深く心に残ったのは…
この2本…多分3歳位の頃だったと思う。
『ゴジラ』と『ファンタジア』
序文でも触れたが、『ゴジラ』は本当に泣いた…
母親は怖くて泣いていると思ったらしいが、決してそうではない。
主役やヒロインではなくゴジラそのものに感情移入してしまったのだ。
ゴジラが可哀想で可哀想で… ゴジラは大きいだけで、どうしていいのか分からずにいるだけなのに、何故人間はみんなでゴジラを虐めるのか…その哀しさで泣いたのだ。
怖いといえば同時期に観た『ファンタジア』の方が余程怖い。ファンタジアだけではない。その後観たディズニーの長編アニメーションは『ダンボ』にしろ『わんわん物語』にしろ、『ピーターパン』『白雪姫』『シンデレラ』『バンビ』『眠れる森の美女』…どれをとっても、ディズニーアニメーションはどこかしらそこはかとなく表現が深く恐ろしいのだ!
今でもディズニーはこの『恐ろしさ』こそが病みつきになる魅力なのだと思っている。
近所の小さな映画館で頻繁に観た映画の幾つかも心に残っている。
『ターザン』
水泳の金メダリストジョニー・ワイズミュラー主演のターザンシリーズ。
アフリカのジャングルの中、超人的な運動能力で蔦から蔦を辿りながら中空を駆け巡るターザンの雄叫び「ア〜アア〜〜〜!」にどれほど憧れ、「うるさいっ!」と、どれだけ怒られたことか…
『スーパージャイアンツ』
和製スーパーマンとしてテレビ時代を直前にスクリーンに登場した特撮ヒーローシリーズ。
これもよく叔父に連れて行って貰った。
スーパーマンがクリプトン星からやってきた宇宙人なのと同じ様に、スーパージャイアンツもエメラルド彗星からの使者。
確か目的は時代を反映してか『反核』だったと思う。
言ってみればゴジラのテーマも『反核』だった。
スーパーマンが普段は使えない新聞記者だったのに対してスーパージャイアンツは立派な学者なのがちょっとダサい。
主演は宇津井健。
当時町の映画館は庶民的で、ヒーローが活躍すると客席から拍手が沸き起こったり、時には声援が飛んだりと賑やかだったのを覚えている。
テレビでスーパーマンシリーズが放映されるまでのほんの短い間のヒーローだった。
『地球防衛軍』
ラドン、バラン、アンギラス等々…
ゴジラの大ヒット以来、数々の怪獣映画が封切られ、私も街の二番館で色々観たが、中ではこの1本が最も心に焼き付いている。
地球防衛軍という名前が何とも勇ましく特別な正義感を感じたし、何と言っても『モゲラ』と名付けられた地球移住(征服ではない)を目論む宇宙人が作った超合金ロボット怪獣という設定が幼い科学心を強く揺さぶった。
最近、友人の家にこの映画のDVDを発見し、貸して貰ったが、ストーリーも特撮も今観てみると『こんなにチャチだったのか…』とビックリさせられた。
そういう意味では昭和29年の『ゴジラ』は本当に完成度が高かったのがよく分かる。
『モスラ』
これはロードショー封切館で観た。
昭和36年なので、私はもう小学生だった。
当時ザ・ピーナツが大好きだったので、絶対に見逃せないと親にせがんで連れて行って貰ったのを覚えている。
ザ・ピーナツの話は後日また話すが、モスラは設定やストーリーが凄く良く出来ていた印象があり、大人になってからもDVDで何度か見返しているが、当時の東宝映画の力の入れ方が良く分かる大作だ。
このロードショーは2本立てで、同時上映はザ・ピーナツ初主演の『私と私』。
内容は生き別れた双子が偶然出会い、デュエット歌手としてデビューするという話。(だったような気がする…)
後記する『罠にかかったパパとママ』と同じく、児童小説『ふたりのロッテ』を彷彿とさせるストーリー。
憧れのクレイジーキャッツも出演していて大満足だった。
品川の社宅にいた頃は特に地域社会が密接で、家族以外の住人たちとも深く交流していた。
年上は年下の面倒をよくみてくれた。
同じ社宅の中学生や高校生のお兄さんたちが行く映画に同行させて貰うことも度々あった。
隣町やちょっと離れた二番館が多かったが、そんな時は結構大人な映画を観る機会になる。
『ハーヴェイ』
不思議な映画だった…
主演はジェームズスチュアート。
ハーヴェイという大きなウサギが見える男の話で、他の人には一切見えないのでハーヴェイが画面に登場することはない。
男は精神異常者として扱われるのだが、至って温和で礼儀正しく、誰よりも正常に思える人格者なのだ。
子供心に、自分もハーヴェイを見ることの出来る大人になりたいと強烈に憧れた作品だった。
『理由なき反抗』
そんな時代の中にジェームスディーンの代表作『理由なき反抗』があった。
アメリカでは高校生が車を乗り回していることにビックリし、いずれ来るであろう青春の暴力的な側面にビックリし、身近に拳銃があることにもビックリ仰天。
仲良しの友人が警察に撃ち殺される結末にも、まだよく分からない恋愛感情も、決して解決しない親子関係も、全てが驚きの連続で、当分の間『あれは一体なんだったのだろう?』と子供心に反芻を繰り返していた。
『片目のジャック』
ある日、近所のお兄さんが映画を観に行くと言う…
「何を観に行くの?」
「片目のジャックだよ」
「え?どんな映画?」
「西部劇だな」
「え?いいなあ、一緒に行きたいなあ…」と、頼み込んで一緒に連れて行って貰った。
ところが…タイトルから想像する格好良くて勇ましい西部劇ではないのだ。
主人公は片目でもなければ名前もジャックではない。
悪い奴ばかりが登場する恨みつらみの暗いストーリーで、『こんな西部劇があるんだあ…』と、思いがけず大人の世界に足を踏み入れた気がした。
ただただ、マーロン・ブランドという俳優の美しさに魅了されてしまった。
片目のジャック(One-eyed Jacks)とはトランプカードの中の横顔のジャック2枚(ハートとスペード)のことを指すらしいが、何故それがこの映画のタイトルなのか未だに知らない…
どなたかご存知ですか?
小学校や町内会の上映会も度々あった。概ね文部省推薦のものが多かったが、その中でも最も強く記憶に残っているのが…『にあんちゃん』
子供の頃に両親を失った在日韓国人の兄弟姉妹4人。炭鉱の臨時雇いの長男の僅かな稼ぎで極貧の生活を送るが、やがて4人はやむなく離散する…末っ子の未子が書き綴った日記が出版社の目に留まり書籍化、そしてベストセラーとなる実話ストーリー。極貧の環境に立ち向かう兄妹の絆が素直に胸を打った。
『赤い風船』
フランスの短編映画である。あまりセリフはない…というか重要ではない。
物語は少年と赤い浮遊ガスの風船とのふとした出会いから始まる。
そして少年と風船との間に友情の絆が生まれ、それはどんどん深まってゆく…
その絆に嫉妬する街の不良少年たち。
そして、突然の風船との別れ… 悲嘆する少年はやがて無数の風船たちに天に導かれてゆく…という不思議な不思議なファンタジー作品。
この作品は子供の時にたった一度だけ観ただけなのだが、生涯一度も忘れたことがない。深く深く心に刻まれることになった作品だ。
ここからは、ロードショー封切館で主に親に連れられて観た作品…
言ってみれば世の評判を聞きつけ『さあ、観に行くぞ〜』と、よそ行きを着て、気合を入れて観た作品ばかり。
今考えれば、多分当時の大人が子供に観せたかった作品なのだろう… その中でも心に残った数本。
『チコと鮫』
あまりに美しいポリネシアの珊瑚礁の島を舞台にした少年と鮫の友情物語。
真っ青な海、島民たちの素朴な暮らし、そして少年と本来危険なはずの鮫との深い友情…
全てがただただ美しい。
やがてその美しさを近代文明が汚し始める…
今となっては有りがちな設定とストーリーだが、自然をひたすら愛する主人公チコの成長物語が圧倒的な映像美の中で紡がれてゆく。
『ジョーズ』とは真逆の作品だ。
『狼王ロボ』
シートン動物記『狼王ロボ』をディズニーが多くの脚色を加え実写映画化した長編映画。
大きな群れを率いるボス狼に5匹の子狼が生まれる。
その中の1匹ロボは多くの苦難を経験しながら、やがて父親を凌ぐ大きな群れのボスとして人間たちから恐れられてゆく…
以来ロボには多額の懸賞金が掛けられ、ロボと人間たちとのせめぎ合いが繰り広げられてゆく…
原作の実話では悲劇に終わる結末だが、ディズニーはハッピーエンドに脚色した。
凄いのは、CGのないあの時代に、全て実写だけでそのストーリーを描き切ったことだ。
小学生の私には、狼たちの生活の機微がどうやったらあんなに細密に描き出せるのか、まるで魔法のような映画だった。
そして狼王ロボの毅然とした野生の力の美しさにすっかり心を奪われてしまったのだ。
ディズニーの思う壺だ…
『罠にかかったパパとママ』
これも当時のディズニーによる実写作品。ヘイリー・ミルズという子役をご存知だろうか?
イギリス出身の子役で、ハリウッド進出の『ポリアンナ』の主役でアカデミー賞子役賞を受賞した当時大注目の子役だった。
『罠にかかったパパとママ』はその翌年の鳴り物入りのコメディー作品。
前記したようにザ・ピーナツの『私と私』と同じく、児童小説『ふたりのロッテ』を原作としている。
ヘイリー・ミルズ1人2役の作品。
本編の途中、2人がギターを弾きながらハモって歌うシーンがある。
『Let’s get together』という挿入歌… 作品の楽しさもさることながら、私はこの愛らしいロックンロール曲にハマった!映画を観て以来この曲のメロディーがずっと頭から離れない…
父親に相談したところ、何処かからサントラ盤シングルレコードを探し出してきてくれた、というおまけが付いた。
『これがシネラマだ』
この作品を私が観たのは昭和37年。10歳の時だ。
ただしこの作品はアメリカではそれを遡ること10年前、まさに私が生まれた年に制作された作品なのだ。
その間、東京(帝国劇場)と大阪(OS劇場)の2カ所でだけ限定的に上演されたことがあったらしいが、シネラマという映写システムを常設出来るキャパの映画館がなかったので、長く通常公開が出来なかったそうだ。
なので、ようやく日本では10年後に封切館公開となった。
私が観たのは銀座のテアトル東京。
シネラマとは簡単にいうと、ムービーカメラ3台分を横並列に同時に撮影し、上映も映写機3台を同期させるという超ワイドスクリーンのシステム。音響も当時では珍しい立体音響… まあ今となっては普通にステレオっていうことなんだが…
映像技術好きの父に連れて行かれた。
この光景この風景をシネラマで撮ったらどうなるか…というドキュメンタリー作品なのだが、本当にぶったまげた!!
頭を左右に振らなければ視野を確保出来ない視聴環境は子供の私には強烈すぎる程強烈だった!
多分音楽や効果音、構成も良く出来ていたのだろう。
私はショックのあまり、当分の間買って貰ったパンフレットを繰り返し眺めては『もう1度観たい…』と願ったが、それは叶えられなかった。
と、ざっとここまでが私の子供時代に観た、昭和30年代を中心とした映画への印象である。
すっかり長くなってしまったが、幼い頃の記憶を掘り起こしてみると、思ったよりも沢山の作品が次々と思い出されてしまう。
これでも随分と厳選し、減らしたつもりなのだが…
この後も私の昭和の映画はまだまだ続く。
思春期に入りると007シリーズやアメリカンニューシネマ時代、ジャン・リュック・ゴダール、サム・ペキンパー、スタンリー・キューブリック、日本のATG映画、横溝正史シリーズ…等々、話し出したらキリがない。
それはまた次の機会としよう。
次回は私の少年時代の音楽とレコードのお話を…
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