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手塚治虫さんに会いたい!

私は手塚治虫世代だ!

なんてったって、1952年・昭和27年『鉄腕アトム』誕生と同じ年に生まれている。
手塚治虫のストーリー漫画が一世を風靡した手塚中期がまさに私の少年時代だった。

Tzイラスト3

手塚1

漫画家として、ストーリーテラーとして、映像作家として、手塚治虫はいまだに私が目指すクリエイターなのだ。


確か、昭和39年のことだったと思う。
私が小学校6年生になるかならないかの頃、中学受験の準備が始まったばかりで、毎週日曜日に進学教室(塾)の模擬試験に通っていた。
私は早くも勉強がうんざりで、模擬試験後の長い授業をどうやってサボろうかいつも考えていた。

そんなある日のこと、進学教室で仲良くなった友人が、偶然自分と同じく発足したての『虫プロ友の会』の会員であることを知り、手塚漫画談義に花を咲かせていたところ…
「ねえ、今度授業サボって手塚んち行ってみない?」
「え??そんなこと出来るの?」
「大丈夫だよ。俺一回行ったことあるもん。うち、割と近いんだ」
「手塚治虫に会えるの?」
「うーん…前んときは、おばさんしかいなかった。でも、上がらせてもらえるよ。漫画の部屋があってさ、単行本とか、原画とか沢山あってさ、見せて貰えるんだよ。うまく手塚がいればサインも貰えるって」
「行くっ!!絶対、行くっ!!」

てなことで、次の日曜日、午前中の模擬試験が終わると、2人で午後の授業をサボり、池袋から西武線で、確か練馬の方に向った。

畑の多いところで、当時は長閑な郊外の田舎という感じだったが、確か大きな白い家で、隣に『虫』のマークがついた『虫プロ』の小振りなビルが隣接していた。

『手塚治虫』の表札が掲げられていた...その門を入って玄関へ...
おそるおそる呼び鈴を鳴らすと、奥さんらしい女性がドアを開けた。
彼女は私たちを見て「はい、なんでしょうか?」と、やさしく尋ねてくれた。

「えと、あの、手塚治虫さんいらっしゃいますか?」
「ファンの子たち?」
「はい…あの、サインが欲しくて…」
「あら、そう…せっかく来てくれたのに、今は、お仕事でいないのよ…すこし上がっていく?漫画が沢山あるわよ」
「いいんですか?」
「どうぞ。他の子も来てるから…」

と、玄関から大きめの洋室に案内された。

そこには、彼が言っていたように、ズラリと単行本と原画のファイルが並んだ大きな書棚があり、数々のアトムグッズやポスター等が飾られていて、手塚ファンにとってはまさに夢のようなスペースだった。

既に2人の同じ位の年の男子がいて、少し緊張の面持ちで行儀良く部屋の中央に置かれたテーブルで漫画を読んでいた…

「こんちわ…」こちらが軽く会釈すると、向うも返してくる。
「ゆっくりしていっていいのよ、でも、大人しくしててね。あとでお紅茶入れてあげるわね」
と、奥さんはにこやかに微笑んで部屋から出ていった。

私は感激を抑え、しばし書棚を眺めて…「ね、どれでも見て良いのかな?」と小声で友人に尋ねると、先客の一人が「ここにあるのはどれ見てもいいんだよ」と教えてくれた。

彼等と話をすると…ここに来るのはもう3度目だそうで、最初に来た時にちらりと手塚治虫本人と会って、握手をして貰ったことがあるらしいが…
彼は殆ど家には居ないこと、ここでは行儀良くしなければいけないこと、長居してはいけないこと、読んだ本や原画は必ず元の場所にきれいに戻さなければいけないこと、等、ここを訪れる子供たちの暗黙のルールがあることを細かく教えてくれた。

私は早速書棚を物色し、大きな紙の封筒が並ぶ原画の棚から、『0マン』の原画を見つけだし、テーブルに運んで恐る恐る開いた…

想像していた以上に大判のケント紙に、実際にインクで描かれた原画…吹き出しになぶり書きされた手塚治虫本人の鉛筆の筆跡…修正インクの跡…

『すげえ…』本人はいないけれど、それはまるで、手塚治虫と1対1で会話をしているような感激に溢れた時間だった。

暫くすると、再びドアが開き、奥さんが御盆に紅茶とビスケットを乗せ、笑顔で運んで来てくれた。
すると…その後ろから、あの手塚治虫がやはり満面の笑顔で入って来るではないか!!

「やあ!いらっしゃい!よく来たね」
まさに、あのベレー帽、あの眼鏡の、あの手塚治虫だ!!

『本物が自分に話しかけてる!!』
「こ、こんにちわ。」
「お邪魔してます…」

手塚治虫さんは短い時間でしたが、「何年生?」とか「何処から来たの?」とか「いつも何を読んでくれているの?」とか「僕の漫画で何が一番好き?」とか…詳しい会話は忘れてしまったが、4人それぞれに優しく話しかけてくれた…

横で友人が必死に小突くので、私は思いきって「あのお…サイン貰えませんか?」と切り出したところ、「いいよ。で、どこにサインすればいいかな?」とあっさりOK。
ところが、間抜けな私たちは、色紙とかサイン帳とか、全く何の用意もしていなかったのだ…
私はとっさに、カバンの中からノートを出して白い頁を開き、「ここにお願いしますっ!」と差し出した…

手塚さんは、「うーん…」と少し考えて…私が見ていた『0マン』の原画の束をペラペラとめくり、一枚を抜き出すと、その裏にマジックでサラサラとサインをすると…
「ほら、これ、君にあげましょう」と言って、差し出してくれたのだ!

私は驚きと感激のあまり、一言も声が出せず、その一枚の原画を持って、ただ固まっていることしか出来なかった…

手塚さんは他の3人にも私と同じことをしてくれて、「じゃあ、僕は仕事に戻らないとね。君たちはゆっくりしていってね」と言い残すと、「よしっ」とか「さあっ」とか気合いを入れながら急がしそうに出ていってしまった…

まさに忘れられない至福の数分間だった…


このサイン入りの『0マン』の原画は、以降ずっと私の宝物だったが、30年ほど前、私が海外で仕事をしていた時、丁度実家の家の建て替えがあり、戻った時には、数々の少年時代の貴重品とともに紛失してしまっていた。

それは丁度、手塚さんが亡くなった年のことでした…

『手塚治虫さんにまた会えた!』につづく...


このエッセイではイラストレーターのTAIZO Condovic氏にイラストを書き下ろして頂きました。
TAIZO氏のProfile 作品紹介は…
https://i.fileweb.jp/taizodelasmith/







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