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室井の山小屋 10

第10章 5日目・山小屋


重い道のりだった…皆雨でぬかるんだ道をひたすら歩き続けた…
途中幾度も休憩を取り、握り飯の昼食も摂ったが、
一団の気分は沈んだままだった…

「とにかくよ、みんな無事で良かったじゃねえか。くよくよしたって始まんねえよ。取り敢えず結城さんのとこに行きゃあ雨風もしのげるし…不幸中の幸いってなあこのことだぜ。そのうち役場と掛け合って住むとこくれえ何とかして貰うから心配すんな。まあ、何とかなるってもんよ」
康三がそう言うと仁が歩きながらそれに続いた…
「そうだよ。父さんだって大工得意なんだからさ、家くらいまた建てりゃあいいんじゃない。今度はさ、さえばあちゃんもコウ先生も、八郎じいちゃんもみんなで住める大きい家にしようよ。みんなで一緒に住んだら楽しいよお。結城おじさんだって一緒に住めるよお」
「あはは…そりゃあいいねえ。あたしも旨い菓子沢山つくらなきゃだねえ…」さえも笑顔を浮かべる。
「まあなあ、みんな一緒なら、きっと何とでもなんだろう。それに、一緒なら何やったって面白えべ」洋次も加わる。
「奪うのが山なら、恵むのも山じゃ。山で生きるっちゅうことは、そういうことじゃ。なあ、八郎さん?…」千津が八郎に同意を促す。
「その通り…待ってりゃすぐに、沢も元に戻るべえ…」

山小屋に辿り着く頃には皆少しいつもの陽気さを取り戻した様だった…雨も小降りになり始めていた…

「ほら、ここだよ。結城おじさんの家」先頭の仁がそう言って皆に室井の山小屋を指し示した。

「だから…俺の家じゃないって、言っただろう…はは…」
「へえ…こりゃあ小屋なんかじゃねえぞ…立派な家だあ…」恭司が呟く…
「いや、持ち主が山小屋だって言い張るんで…」鍵を外し扉を開放する…

「どうぞ、入って下さい。濡れた荷物は取り敢えず土間の方に…上がって奥が部屋ですから…俺、水とプロパンの準備してきますから…」
「俺、花子繋いでくる…父さん、花子の餌、積んできた?」
「おう、背中に一袋積んである。どれ、花子の荷物も下ろしてやんべ…」


風呂の準備をして、居間に行くと、彼らはそれぞれに居場所を確保してくつろいでいた。テラスへの雨戸は開けられていた。キリはベンチに座ったさえの膝に乗り、心地良さそうな表情で身体を撫でる手に身を任せていた。

咲恵と昌子は既に炊事場でお茶の支度をしている。子供たちは佳代と一緒にロフトに上がっている。千津はさえと一緒にベンチに、康三はテーブルの椅子に座って外の様子を眺めている。恭司は床の上にあぐらをかいている。八郎と洋次とタロはどうやら土間にいるようだ。大人10人、子供2人の大人数を抱えると、この小屋もほぼ満員状態だ。

「すいませんねえ…狭くて…って、借りてるだけの俺が言うのもなんなんですけど…もう少ししたら風呂も沸きますから…」
「いやあ、助かりましたよ。ここに居させて貰えりゃ、もう御の字ですよ」恭司が満足そうに笑顔を浮かべる。

「ほらほら。お茶が入りましたよ。さえさんの葛餅も…結城さん、急須とお皿と勝手に使わせて貰ってますよ」咲恵と昌子がお茶と葛餅をテーブルとサイドテーブルに運ぶ…
「ここにあるものは何でも好きに使ってくれって言われてますから…あ、俺、八郎さんと洋次さん呼んできますね」そう言って土間に向かった。


土間では洋次が運んできた荷物を選分け、棚の前や上がり口の脇に整理していた。
「結城さん、ここは酒も食いもんも沢山あんだねえ…あ、花子は取り敢えずそこの椎の木の下に繋いだからよ…」
「花子、入れてあげられなくて可愛そうですね…」
「ま、あいつは慣れてるからな。もう大分小降りになってきたしよ…」
「あ、咲恵さんがお茶入ったから、どうぞって…」
「そうか…じゃ、ひと息入れるとすっぺ。おい、じいさん…」

八郎は道具棚の前の椅子に座り、真剣な面持ちで室井の釣り竿を手に取って眺めていた。
「おい、ここの釣具はあんたのかい?」
「いえ、ほら、昨夜話した室井って人のですよ」
「こらあええ竿だ…擬似餌もリールも全部揃ってらあ…手入れも行き届いて…その人あただもんじゃあねえぞ…」

「そうなんですか…俺、釣りのことはさっぱり分かんないんで…室井さん、竿は自分で作るって言ってましたよ」
「どれも技もんだあ…大えしたもんだ…」
「八郎さんは、道具置いて来ちゃったんですか?」
投網とあみと仕掛けだけは多少な…竿は置いてきちまった…」
「室井さん、ここにあるものは何でも好きに使ってくれって言ってましたから、暫く使ってていいんじゃないですかね。もう1年以上ここにも来てないみたいだし…」
「そうかい…そらあ有り難えなあ…」八郎はそう言いながら愛おしそうに竿を構えた…


交代で風呂を使い、全員が集まって食事が出来るように、テーブルや椅子の配置代えを終えた日没前、ようやく雨が上がった。皆自分の僅かな私物や着替えを整理し、それぞれにくつろげる場所を確保して、この山小屋の空間にすっかり馴染んできた様子だった。

佳代はロフトで子供たちに勉強の続きを教えているようだ。八郎は土間で持ち込んだ漁の道具の手入れに没頭している。私は昌子と咲恵とさえが夕食の支度をしている間、康三と共にテラスに出て煙草を吸いながら、花子の世話をする恭司と洋次相手に談笑を交わしていた。

この3日間の豪雨が嘘のように空は高く、朱と青のグラデーションに染まった薄雲と長閑な時間が流れる…ここまでの慌ただしい避難はまるで夢の中の出来事の様だ…


食卓の上に酒と肴が用意された。私を含め男連中が酒を交わし始めると、女性陣や子供たちが一人また一人と食卓に参加し始める…あれ程のことがあったにも関わらず、食卓は昨夜ゆうべと変わらず陽気で賑やかだ…家財産、そして故郷ふるさとを一瞬にして失ってしまったばかりの人たちとはとても思えない…

そもそも一人自然の中でゆっくりと人生を見つめ直そうと、ここ月夜見にやってきた筈なのに、あっという間に私の周囲は人で一杯になってしまった…しかし、この数日の間に、私の心の中で何かが大きく変化した。八方塞がりだった人生の中に、様々な歓びや無限の先行きと広がりが秘められていることに気が付いたのだ…


「こんばんわあ!結城ちゃーんっ!」突然玄関に男の声が響いた…
「おじちゃん、誰か来たみたいだよ?」隣から仁が私の顔を見上げた。
「え?誰だろ?…」慌てて玄関に赴く…


「良かったあ…無事だったんだなあ…」雨具を脇に抱え、満面の笑顔で土間に立っていたのは、室井だった。
「室井さん…」
「いやあ、驚いたぜ。結城ちゃんに会おうと思って来たらさあ、月夜見は大雨で、山に入んのは危ないって言われちゃって…で、俺、少し小降りになるの待って登って来たんだよ…いや、良かった良かった!…でも…何だか随分人がいるみたいだねえ?」室井は興味深そうに中の様子を覗き込んだ。

「いや、実は大変だったんです。まあとにかく上がって下さい。中で説明しますから…」
「そお?いいの?」
「いいも悪いもここ、室井さんでしょ?」
「はは…そりゃそうだわ…」


居間で室井を全員に紹介し、一人一人を室井に紹介しながら下の沢での出来事を説明した…

「いやあ、そりゃあ皆さん大変でしたねえ…」
「申し訳ねえっす。勝手にここ使わせて貰って…」洋次が頭を下げる。
「いや、いいんですよ。この小屋もお役に立って良かったですよ。どうせ今は誰も使ってませんから…ああ、良かったら、落ち着くまで暫くここ使って頂いて結構ですから」

「室井さんは?ここ、使わないんですか?」
「俺はちょっと…いろいろあって…今回は結城ちゃんがここに居るっていうからさあ、頑張って来てみた訳よ。明日にはもう戻んなきゃだしな…」
「そう言って頂けると助かりますよ。俺達ゃ暫くは行き場がねえしなあ…いや本当に、助かります」今度は康三が頭を下げる。
「もし結城さんと知り合ってなかったら、今頃は山ん中で野宿ですからねえ…まあ、室井さん、どうぞ召し上がって下さい。山のもんばっかりですけど…」咲恵が勧める。

「いやあ、実はずっと歩いてきたんで腹減ってたんすよ。玄関とこから、ああ、何だか旨そうな匂いだなあ…って…へへ…遠慮なく頂きます」


室井は直ぐに皆と打ち解けた様子だった。食事の後は八郎と土間に行って釣り道具の話に花を咲かせていた。

食卓の片づけが終わると、サイドテーブルとベンチを部屋の端に移動し、ロフトと居間にありったけの布団や毛布を敷きつめて全員の就寝場所を確保した。酒席はテラス前のテーブルだけになった。

千津とさえはさすがに疲れたのだろう、早々に就寝し、咲恵と洋次、昌子と恭司も就寝の支度を始めている。佳代と子供たちもロフトに上がっていった。私は約束通り子供たちに『風の又三郎』の続きを話して聞かせた…

「…こうして、高田三郎は学校から居なくなったんだ。学校の窓が風でがたがたと音を立てるのを聞いて、嘉助と一郎は、三郎は間違いなく又三郎だったと分かった…おしまい」
「…それでおしまい?…」仁が私の顔を覗き込んだ。

「そう、これでおしまいだ…」
「三郎は、やっぱり風の又三郎だったんだね…面白かったあ…どっどどどどうどどどうどどどう…青いくるみも吹きとばせ」千恵が呟くと仁も後に続いた…
「すっぱいかりんも吹きとばせ…どっどどどどうどどどうどどどう…」

「さあ、じゃあ二人とももう寝なさい。結城さんにお礼を言うのよ」佳代にそう促されると二人は私の顔を見た。
「結城おじさん、ありがとう」
「おじちゃん、ありがとう。おやすみなさい…」
「はい。じゃあな…」

私と佳代はロフトを下り、階段の一番下に並んで座った。
「ありがとう御座います。子供たち楽しそうだったわ。結城さんてお話上手ですねえ…あたしも聞いてて面白かったわ…」
「言葉を紡ぐのが仕事だったからかな…俺も楽しかったです。子供なんて苦手だと思ってたんですけど…そうじゃなかったなあ…まあ、佳代さんも今日は大変でしたね…」
「ええ…結城さんこそ…ねえ、結城さん?」
「なんですか?」
「もし東京に帰っても、また、会えますよね?また戻ってきてくれますよね?」
「ええ。俺、みなさんと知り合えて本当に良かったです。もし帰っても、絶対に戻ってきます…今は、そう思ってます…」
「絶対ですよ。約束ですからね」佳代はそう言って優しく微笑んだ。
「はい。約束します…」


佳代は再びロフトに戻った。居間の奥のテーブルではまだ康三と室井が杯を酌み交わしていた。

「子供たちゃ寝たかい?」康三が訊く。
「ええ…ようやく…佳代先生も休みました。あれ?八郎さんも休まれたんですか?」
「ああ、さっきまで飲んでたけどな」

「結城ちゃん、溶け込んでるねえ…まるで家族みたいじゃない。あんなに悩んでたのに、人格が変わっちゃったみたいだねえ」室井は膝の上で微睡むキリをそっと撫でながら、にこやかに語りかけた。
「いやあ、ここに来てから何だか毎日いろんなことがあって…あたふたしてるうちにだんだん気持ちが落ち着いてきたんですよ」
「ま、良かったじゃねえか。あんたは元々そんな人なんだよ」
「じゃあ、結果的にはここに来て良かったってことじゃない?」室井がそう言って微笑む…

「室井さん…室井さんには感謝してます…いろいろあったけど、ここに来て、色んな意味で本当に良かったです…あれ?…何だか変だな…」大して酒も飲んでいないのに、急にめまいが始まった…連日の出来事で疲れが出たのだろうか…

「俺もよ、村のみんなもよ、結城さんに会えて本当に楽しかったぜ。確か最初に会った時は、人生の意味を探してるとか何とか言ってたよな?どうだい?あいつ等と一緒にいたらよ、そんなこたあどうでもいいって、少しゃ分かってくれたら俺も嬉しいけどよ…」
「はい…あの…康三さん……俺……」

それ以上は言葉が出て来なかった。視野が少しずつ狭くなってゆく…
身体から力が抜けていく…

私はかろうじてテーブルにつかまり、椅子に座った自分の身体を支える…
しかし、それも長くは持たなかった…
室井も康三も何故か私に微笑みかけていた。

私が気を失う直前に康三がこう言ったのを微かに覚えている…
「あとのことを頼むぜ…」

最終章につづく…

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